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小説 -DAWN OF AKARI- 奏撃(そうげき)の い・ろ・は(06)



  クラブハウス『シン・禁断の惑星』(ネオ・フォービドゥン・プラネット" Neo Forbidden Planet ")の入り口で、制服スタッフによるIDチェックを済ませるとアレイスターは、エントランスでマルボロを一服してから店内に入った。

 一階のダンスフロアではDJによるクラブミックスソングが流れている。アレイスターは着ていたアクアキュータムのコートをクロークに預け、注文したスコッチのグラスを片手に二階のソファー席に座った。
 ここネオ・フォービドゥン・プラネットにはDJブースが2カ所あり、メインブースにはリループ製のターンテーブルとレインのスクラッチミキサー、サブのブースにはヌマーク製のPCDJコントローラーと楽曲再生用のPC機材が所狭しと常設されていた。
 普段は、アナログレコード盤を模したコントロールバイナルという円盤でパソコンのセラートDJというソフトウエアを制御しながらテクノやユーロビート、EDMなどのビートミュージックを鳴らしているのだが、今宵はこの店のDJ兼オーガナイザーのDJトニオが、一月に一度だけ週末に開催する『アナログ・ナイト』というイベントの開催日で、アナログレコードによる懐かしいビンテージ曲や心地よいジャズの楽曲がフロア全体に流されていた。

 しばらくすると、それまでフロアに鳴り響いていた音楽が次第にフェイドアウトしながら、スモークが焚かれ、レーザー光線と間接照明がフロア中央付近にあるステージをゆっくりと照らし始めた。
 ステージの背面の壁に設置された幾何学模様を幾つも組み合わせた立体的な投影スクリーンには、回転しながら飛んでくる瑞々しいオレンジの3DCG映像とJ・U・I・C・Yのアルファベットの文字がプロジェクションマッピング投影され始めた。
 そして一人の女性がマイクを片手にゆっくりとステージに上がってきた。
「監視カメラの解析影像に写っていた赤毛の女性だ」
 アレイスターは心の中でそう呟いた。
 彼女の今夜この店での最後のライブタイムだった。
「ようこそ、ネオ・フォービドゥン・プラネットへ! 今晩もあなたにとって素晴らしい夜でありますように……」

 ステージ上の赤毛の女性はマイクを手にそう言うと一曲目となる" When a Man Loves a Woman " (男が女を愛する時)、ニール・ジョーダン監督の映画『クライング・ゲーム』のオープニングでも使われたあの有名な曲を、力強く、静かに心に染み入るような美しい声で歌い始めた。

 歌い始めるとオーディエンスは一瞬にして彼女の虜になり、ダンスフロアのざわめきは一瞬にして静けさに変わった。

 そして曲はベリンダ・カーライルの名曲" Heaven is a Place on Earth "、パティ・オースティン" Say You Love Me "へと続いた。

 何曲かの後、フロアDJを務めるDJトニオが聞きなれたメロディを流しはじめた。それはクラブジャズ風にミックスアレンジされた" Unchained Melody" だった。
 それが彼女が今夜のライブで歌う最後の楽曲となり、フロアの多くの観客達は惜しむように盛大に拍手を贈っていた。
 今宵も最高潮の中、彼女のライブは幕を閉じた。
 ライブ直後、彼女に話しを聞こうとアレイスターは店内を隈なく探したが何処にも彼女は居なかった。仕方なくアレイスターは店の外に出た。
 既に外は夜が白々と明けていた。

 時計を見ると朝の五時前だった。
 通りにでると、通り沿いに設置された赤い電話ボックスの小便くささが鼻をついた。
 ここブリューワーストリートは、昔はストリップ劇場や、ピンク色の照明で飾られた如何わしい店が並ぶポルノ街だった。
 しかし最近では、スケートボードとボードウエアを取り扱うストリートブランドのパラスや、日系のレストランやカラオケ、古書店などが店舗を構えスタイリッシュな通りに変貌してきている。
 だからといって早朝この時間では開いている店はほとんどない。たとえコーヒーショップと言えどもまだ早すぎる。
 地下鉄の始発までは多少時間があった。
 アレイスターは眠気覚ましと日頃の運動不足の解消を兼ねて、そこからウォータールー駅まで歩くことにした。
 ウォータールーブリッジの付近は、早朝のロンドン市民のジョギングコースだ。多くのランナーたちが時計台(ビッグ・ベン)や大観覧車(ロンドン・アイ)を横目に、汗をかいている。
 ナイトクラブで一晩明かした不精髭の男は確実に周りから浮いていた。
「朝から気分悪いなあ……気持ち悪くてタバコを吸う気も起きない。くそっ、出勤前にアパートに帰ってシャワーだけでも浴びるか」
 アレイスターはそう思いながら歩いていると、始発前の地下鉄の入り口の階段付近で、座り込んでいる昨夜の歌姫を偶然見つけた。
 女は首からぶら下げていた小さな赤いアルミ製のピルケースから一錠のカプセルを取り出し、それを口に含んでいた。
 アレイスターは近づいて話しかけた。
「やあ、君も早朝のジョギングかい? しかもドラッグをやりながらとは、かなり健康的だね」
 女性は顔を上げてアレイスターを見た。
「ライブ良かったよ。――あれ? 髪の毛ウイックだったのかい」
 アレイスターの目の前の彼女の髪の毛は赤ではなく青紫色の髪の毛だった。
「あんた誰?」
 女性が不審そうに尋ねた。
「おれは、MPSのアレイスター。君にちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「警察が何の用なの? 話すことなんてなにもないわ」
 そう言うと、アレイスターの言葉を遮るように女性は立ち上がり、その場から立ち去ろうとした。
「待って! あんた、アカリ・アリシマじゃないのか?」
 女性はそれを聞くと一瞬立ち止まり振り返った。
「――それがオリジンなの?」
 彼女が突然言い放った意味不明彼の言葉にアレイスターは少し混乱した。
「オリジンって? あんたアカリじゃないのか?」
「わたし……あの……」
 女性が続けようとしたとき、アレイスターの背後で野太い声がした。
「おい!」
 振り返ると、屈強で大柄な黒服の男性が立っていた。
「ボブ!」
 女性が男に気づいた。
「 ジューシー・パイン! ずいぶん探したぞ。また逃げ出した訳じゃないだろうな?」
 ネオ・フォービドゥン・プラネットの用心棒兼フロア・マネージャーのロバート・サムだ。
「おや? お兄さん、朝っぱらからウチの女の子にチョッカイ出すとはいい度胸だな。おっ! そういえばお前、その顔知ってるぞ! 店でもなんか嗅ぎ回っていたな」
 言うが早いか彼の右拳がアレイスターの腹部に入った。
「ぐっ!」
 ヘビー級ボクサーが繰り出すパンチの様に拳は重かった。
 アレイスターは腹部から逆流してくる酒臭い胃液を口元に感じながら崩れ落ちそうになるのをなんとか耐えた。
「――あんた、元ボクサーか?」
 アレイスターは搾り出すような声でそう言うと、痛みに耐えながら両拳を顔の前に突き出し両足で踏ん張った。
「ほう! まだ立てるのかい?」
 次の瞬間、バットを圧し折る様な音がしてアレイスターの足に激痛が走った。彼の蹴りが入ったのだった。
「ぐ、はぁ!」
「あいにくだな、アーミー仕込みなんでね。どこかのボクサー崩れみたいにパンチだけみたいな手加減ができねえんだよ」
 もう一発の左ストレートがアレイスターの顔面に決まった。
 アレイスターは意識を失いながら後ろに倒れた。
「キャー!」
 ジューシー・パインは悲鳴を上げながらその場から逃げるように走り去った。
「さてと……」
 フロア・マネージャーのボブは地面に気絶しているアレイスターには目もくれず歩き出した。
 方向的には、どうやら先ほど逃げ出した(アカリに姿形がそっくりな女性の歌姫)ジューシーを追っている訳ではなさそうだった。


 その日の夕刻、テムズ川のエンバンクメント埠頭付近の河畔で一人の男の死体が発見された。
 顔は傷だらけで無残な状態だったが、男はまぎれも無く失踪届けが出ていた銀行のシステムエンジニア、リチャード・ガストンだった。


――――物語は07に続く――――


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