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残された時間

昨日人生初の選挙ビラ証紙貼りなるものをやってきました。
(例によって写真が逆さまです(^_^;))
なかなか無になれる作業です。
21世紀にチマチマシール貼らないとビラも配れない、というルールはどうなの?…
と思いますがこれも公平さを保つ1つの要素と思うしかないですね。
推しの候補がいると選挙ってオモシロイですよー!


話は180度変わり…。
最近精神的にしんどい時期が続いていました。
というのも、立て続けに身近な人が亡くなったんです。
なかなか人が集まりにくいご時世でもあり、家族葬となってお別れできないままになりました。

急性期病院で働いていることもあり、今まで多くの方の最期を見てきました。
でもやはり身近な人は全く違うんですよね。
病に伏してから関わりが始まっているのと、元気な時から知っているのとでは認識が全然違います。
関わり方も違いますから尚更です。

言葉にできないもどかしさであふれ、心がなかなか落ち着かない状態が続いていました。


そんな中、自治会内でお亡くなりになった方がいると連絡がありました。
私が存じ上げない方でした。
家族葬ではなく通常の葬儀をされるとのことで、自治会長の私がお通夜に伺うことになりました。

会長になって初めてのお通夜でした。
どう振る舞っていいのか分からないままでしたが、しっかり焼香させていただきました。
遺影を拝見しましたがやはりお会いしたことのない方でした。
会場の方に促され、棺のお顔を拝見すると周りには飼っていたと思われるワンちゃんの写真と犬のぬいぐるみが添えられていました。

穏やかなお顔でした。
ご家族に言葉をかけるタイミングを見失ったまま会場を後にしました。


どんな人生だったのだろう。


亡くなってから初めてお会いした、その方の生き方に思いを馳せました。
お年は70代でした。


私はもうすぐ40歳。
この方の年齢まであと30数年なんだと思うと時間の限りを感じました。
…そう言いながら明日心臓が止まるかもしれませんし交通事故で一瞬にして人生を終えるかもしれません。

残された時間の中で何をするのか、何がしたいのか。
改めて考えるきっかけになりました。
不惑を目前にしてぼんやりと自分の核になる生きる意味を掴みかけているのですが、まだ明確になりきれていません。
考えてみると自分の生きる意味を明確に認識できる人はとても少ないのかもしれません。
日々生きることに精一杯で気が付いたときには最期を迎える、という方が大半なんだろうと思います。

宇宙が誕生して138億年と言われています。
地球誕生からは46億年。
生命の誕生から35億年。
人類誕生から500万年。
ホモ・サピエンス誕生から20万年。

それを考えると人の一生なんて本当に儚い。
100年後にはこれを読んでいる全ての方が恐らく亡くなっているでしょう。
誰もが死に向かって歩みを続けている。
虚しさを意識的にもしくは無意識的に乗り越えて生きている。
自分が生きる意味、それは自分の中にしかありません。
そもそも意味など無いのかもしれません。
そんなことを考えずに日々生きていた方がいいのかもしれません。
でも私は知りたい。
儚くも短いこの人生の中で自分が何故生きているのかを。

限られた残りの時間。
精一杯大事に生きていきたい。
それが先に亡くなった方から学ぶこと。
そう思います。
皆さんはどう感じますか?

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