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ハレとケって本当かよ?ってはなし(9/23)

ハレとケって本当かよ?って最近思う。少なくとも、当初の感覚で語られていることと、現代の感覚ってかなり違うんじゃないかな?という気もする

現代人は仕事でも毎日「ハレ」、推しのイベントは「ハレ」、スマホゲーのイベントは「ハレ」。リアルでもネットでも連日イベント三昧。「ケ」は家に帰って誰もいないときだけ、みたいな。

「ハレとケ」は柳田國男の民族学で注目されたけど、それはある意味「日本人とは!!」みたいなものを論じるためのものだったわけだし、今の時代にこの理論を使うのはかなり慎重になった方がいいんじゃないかな……とすら思ってる。

そして、ハレの代表としてよく語られる「お祭り」についても、現代の新しい認識が出てきても良い気がしてる。

https://www.ana.co.jp/ja/jp/japan-travel-planner/japanese-festival-omatsuri/0000001.html

ANAいわく祭りとは、「神様とは関係のない新しいものもあります。例えば、地域おこしのための市民祭り、雪まつりや桜まつりなど季節に由来するもの、時代まつりのように歴史を祝うもの、サンバカーニバルや春節に代表される外国由来のお祭りなど。これらも文化を尊重し、季節に感謝し、人々を繋ぐため、日本に欠かせないものとなっています。」とのこと。外国の人向けの説明には、わかりやすくていいと思う。

じゃあ改めて、お祭りって何だろう。

少なくとも自分は「神様にささげ〜」みたいに言われると、全然ピンとこない。お祭りは楽しいし、イベントは好きなんだけど、じゃあ盆踊りは「ハレとケ」の理論で、神様に捧げ一体感を高めるために盆踊り踊ってたか?って言われるとよくわからない。みんなはそうなの?え?まじで?ほんと?

これはAIで出力した日本の祭り。まだAIには日本と中国の描き分けは難しい。

まぁ歴史的なお祭りが神様を祀るものだったとして、新たなできたお祭りはどうなんだろう。

新しく神様を祀るようなお祭りを新しく作り出すのは正直難しいと思う。何らかのバックボーンがあるならまだしも、真っ当な感覚を持った普通の人なら、まずは倫理観が邪魔する。現代日本で何らかの神様を“新たに”崇めるようなものを作ると、それはもう新興宗教。普通にやばい。途切れた祭りを新たに復活させるにしても、「地域おこしのための市民祭り」の文脈で語る方がしっくりくる。

そもそも信仰が途切れたり、何らかの理由があったから自然消滅したわけで、「一度忘れられたとしても、この神は地域のものだから、再度信仰しなさい!」みたいなロジックは新興宗教のとほとんど一緒だと思う。普通にやばい。そこに「ハレとケ」の文脈を使うとさらに混乱する。そもそも100年近く前(成り立ちはもっと前だけど)のロジックを現代まで使って齟齬が起きないわけない。

美術とか博物館とかそういうところにいた身ではあるけど、本音を言って終えば、伝統文化の復活とかについては「どこまでも自己満足であるべき」だと思ってる。

他人を巻き込むのが「当然」と思った瞬間に胡散臭くなるし、失敗する。他人に対して「同じ地域にいるから」という理由で何かを強要することは(100年前ならいざ知らず)現代ではできない。

過去に「地域から〇〇の化石が出たから、地域を〇〇の里として売り出そう!」と奮闘しているおじさんと関わったことがある。ただそのおじさんの活動にはいつまで経っても賛同者が増えなかった(説得が下手すぎたとのもあるけど)。今思えば、その化石おじさんは自分1人でどこまでも進むべきだったんだと思う

伝統文化を復活させる人もそれと同じだと思う。伝統文化を復活させる人と、それを支持する人がいる、というだけの話のはず。なんだけど、なぜか変なタイミングで「地域」という言葉が一人歩きし悪さをしはじめる。「地域にいるのに手伝わないなんてけしからん!」みたいな人が現れてくる。やってる人も対外的に掲げた「地域のために」とかいう言葉を、自分で信じ始めてしまう。本当に不幸だと思う。

そんなことをうだうだ書いていたら、すこしづつ現代にも「ハレとケ」があるような気がしてきた。やっぱり柳田先生はすごい

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