森健太郎

https://www.morikentaro.info 森健太郎です。アートの仕事をしています。長野、静岡、群馬、東京、福島など。虚構と現実。noteは日記みたいな感じです。

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最近の記事

付箋ワークショップで合意が取れると思うなよ!!(11/27)

僕はKJ法が大嫌いだ。なんか前にもおんなじようなことを書いたことがある気がする。知ってると思うけど念の為に、KJ法ってこれね↓ 先日、とあるワークショップに参加した。 役場が主催となって「村の観光戦略の方針を決めるため、村民に集まってもらい、意見を聞くためにワークショップをしよう」という趣旨だった。 参加者名簿を見ると、役場の職員と村内某企業の社員が多数、その他に移住者や村民などの個人勢がちらほら、という感じ。会場に着くと、テーブルがいくつかの島になって配置されており、座

    • 隠れAIRは邪道なのか?

      今、僕の携わっている事業は、復興系の予算で広い意味でアーティスト・イン・レジデンスの形式を踏襲したプログラムをしている。もちろん最終的な事業目的は復興だが、その手段としてアーティスト・イン・レジデンスの形式が必要だという関係者と相談し、事業を実施している アーティスト・イン・レジデンスという仕組みはアート文化の発展に重要なものだ。その仕組みに社会が新たな価値を見出してくれることは、アート文化にとっても良いことのはずだ。しかし、そうやって事業をしていると、たまによく知らない人

      • 地域アートはポスト資本主義?というはなし

        少し前、「アートはポスト資本主義」というようなテーマの展覧会や座談会が目についた時期があった。当時はぼんやりと見ていたんだけど、最近、マルクス資本主義の解説動画を見てて、なんとなくそこがつながったような気がした 以下動画の要約 「資本主義は「資本を増やす」ことを前提に、物事の確率を計算し、時間を区切り、未来を予想し、投資する価値があるかを判断する。 資本主義では大量生産できる商品を対象にしていて、一点ものとして作られることを前提にした芸術作品のようなものはその理論に適用さ

        • 僕らは普通にやっているけど、地域アートの現場で「現場感」を楽しむのは、実はハードルが高いことな気がする(11/28)

          僕は昔からパフォーマンスアートが苦手だ(あと小劇場 だからパフォーマンスアートの鑑賞にはずっと苦手意識がある。 もっと細かくいうなら「パフォーマンスを見ないといけない場」が苦手 そもそも、何が起こるかわからないものをじっと見ていられない性分だ 昔なら「つまんね」と途中で退席もしていたが、 今は関係者もいる手前退席もできないので、心を殺して最後まで見る。 そしてメンタルを消耗しながら、苦手意識を上書きしていく。何層も何層も積み重なった苦手意識はちょっとやそっとじゃ払拭され

          被災地でのアート事業で「調査される迷惑」を思い出した(11月7日)

          夜中に思ったことを書き残します。 ここ数日、頭が痛い案件が多い。 とあるプロジェクトについて、実施者からも「地元との多少の軋轢はしょうがない(むしろアートはそういうものだ)」みたいな言葉を聞いて頭を抱えた。 「アート」という言葉は社会にとって、特に特定の世代以降にとっては、まだまだ異物だ。そんな状況を鑑みず、強引なプロジェクト運営に走ると求心力を失う。 地方でのアート作品制作に関しては、「準備中には地元と多少の軋轢や問題が起こったものの、完成した作品を見て、反対してい

          被災地でのアート事業で「調査される迷惑」を思い出した(11月7日)

          目的と成果は違うということ(10/21)

          展覧会の撤収も兼ねてしばらく休みをとりました。身の回りは相変わらずバタバタしてる。政治とか、周りの環境とか、補助金とか。いろいろある。 先日とあるミーティングに参加した。そのミーティングの主題は「アーティストのための仕事を作る」というものでした。すごく熱意のある主催者さんで、やもすれば熱意だけが先走るタイプでした。 会議でもまとまりのない話が続き、みんなのテンションが下がり始め、そろそろ会議はお開きにしようか?という雰囲気に。すると、突如主催者が参加した人たちに怒り始めま

          目的と成果は違うということ(10/21)

          中之条に出してる作品のこととか(10/9)

          今年の中之条ビエンナーレに作品を出しています。会期もぼちぼち終わるので、最後に作品のことを書きます。 今回の作品は、生肉が干し肉になる過程について肉自身が語る、というもの タイトルは「Mid Jerky」。元ネタはMidjourney(旅の途中)っていうAI画像生成ソフトの名前から。肉を使うことは、ヨーゼフボイスが動物の脂肪を使った作品を作っていることや、2011年の震災の直後の横浜トリエンナーレで島袋道浩が発表した『ハムはできるのか?:復興と発酵』という作品にも影響を受

          中之条に出してる作品のこととか(10/9)

          SNSでの〇〇アートも、地方の〇〇アートも、じつは同じかもしれないというはなし(9/27)

          最近「〇〇アートやってみました!」みたいな動画を山ほど見かける。ぶっちゃけ「え!?何が”アート”なの!?」みたいなことも多い。あと、地方のイベントとか見てると「〇〇アート体験会」みたいな、そういうのによく巻き込まれる。正直対応にちょっと困ったりもする。 そういう”アート”は、これまでの芸術の分野や文化庁なんかが想定している分類とは全然別のベクトルなんだけど、ちょっと調べただけで山ほど出てくる。例えば、パステルアート、AIアート、テクスチャーアート、アルコールインクアート、た

          SNSでの〇〇アートも、地方の〇〇アートも、じつは同じかもしれないというはなし(9/27)

          ハレとケって本当かよ?ってはなし(9/23)

          ハレとケって本当かよ?って最近思う。少なくとも、当初の感覚で語られていることと、現代の感覚ってかなり違うんじゃないかな?という気もする 現代人は仕事でも毎日「ハレ」、推しのイベントは「ハレ」、スマホゲーのイベントは「ハレ」。リアルでもネットでも連日イベント三昧。「ケ」は家に帰って誰もいないときだけ、みたいな。 「ハレとケ」は柳田國男の民族学で注目されたけど、それはある意味「日本人とは!!」みたいなものを論じるためのものだったわけだし、今の時代にこの理論を使うのはかなり慎重

          ハレとケって本当かよ?ってはなし(9/23)

          地域とアートと情報の濃度の話(9/4)

          脊髄の手術も無事終わりまして、今は暇を持て余しています。暇なので、適当に本読んだりしてます。幸いにも考える時間は無尽蔵にあります。 また、ただでさえ限られているインプット量が激減しているので、存分に脳内で泳ぎ回っている状況です ロラン・バルトが、ヨーロッパ的な言語の解釈〜言葉の全ての意味をはぎ取り、表に露出させる方向〜では無く、「俳句」のような言葉の解釈を自制する者がその美的価値を開示する〜と言いました。今もその考えに従い、多くのアーティストは解釈を拒み、理解を拒むような

          地域とアートと情報の濃度の話(9/4)

          レモン電池の見た夢と、自分の作品のこと(8/26)

          自分の作品のことを書いてみる。普通、アーティスト名乗るなら、それが普通なんでしょうけど、アートの話をすると堂々巡りになるから、あんまり話たくない気持ちもある。 作品はどちらかというとライフワークに近いので、あまり売れることとかは考えてない。それよりも、「アートって何?」とか、「アートで生まれるいいことって何?」みたいな疑問が原点 例えば、ご飯を食べた時に「楽しさ」とか「喜び」を感じるけれど、これってアート鑑賞で得る「楽しさ」「喜び」と何が違うんだろう?とか。そういうこと。

          レモン電池の見た夢と、自分の作品のこと(8/26)

          文章書くのってアートっぽい(8/25)

          持病の入院が来週に迫っている中、補助金2本と議会向け質問とその他もろもろの書類作成に勤しんでる。タイムリミットは入院前日まで。もはや意地 朦朧となりながら行政文書とか書いてると、なんかこれってアートっぽいよな?って思ったりする。想像したり、想定したりして計画を立てて、現実と擦り合わせていく。当然、文章を書くことは表現の一つなので、創作活動と言えるのではないか? 一般的な「アートっぽさ」と違うところといったら、文章にロジックが必要ということと、成果を明確にしないといけないと

          文章書くのってアートっぽい(8/25)

          地方はプレイヤーが増えすぎてマネージャー足りてない問題のこと(8/16)

          地域活性系のプロジェクトって、プレイヤーばっかりでマネージャーできる人、あんまりいないよね。という話。 地方での活動って、人口の少ない地域で活動することが多すぎて、活動単位が小さく小さくなっていく。会社とかグループ規模の活動が維持できないんだよね。結果的にほとんど全ての活動が個人名義になっていくし、個人でしか活動できないタイプの人ばっかりが集まったりする。 これ、個人が強いことは、良いところもあるけど、当然悪いところもあって。例えばチームで上げた成果なのに特定の個人が吸い

          地方はプレイヤーが増えすぎてマネージャー足りてない問題のこと(8/16)

          背中が痛いはなし(8/16)

          背中が痛い、というはなし 2年くらい前からずっと背中が痛い。東京で働いていた時も痛みはあったんですが、福島に来てから急に傷みが増して、まともに寝られない状態が半年以上続き、さすがにこれはやばいと病院に。 結果的に「硬膜内髄外腫瘍」と診察されました。脊髄神経の通っている背骨の穴の中に腫瘍ができて神経を圧迫しているらしい。こわい。 今月末に手術の予定なんだけど、手術の説明がまたこわい。 まず背中を10cmくらい切って開く 次に骨を削って開く そんで、背骨の奥にある袋を

          背中が痛いはなし(8/16)

          文化事業に来るお客さんの数のこと(8/7)

          福島県から飛び出して、8月は渋谷ヒカリエでイベントをやっています。やっぱり地方と都市部では、お客さんの数が圧倒的に違います。みなさん楽しんでくれているようでありがたいですね。葛尾村の事業も、この機会にもっと たくさんの方に知っていただきたいですね。 ↓イベント情報はこちら(8月17日までです。ぜひお越しください!) やっぱり東京は、アートに触れる人の母数が多いです。 2021年の調査では、現代美術作品の売買で394億、美術品関連グッズで240億が購入されたそうです。

          文化事業に来るお客さんの数のこと(8/7)

          アートは社会問題を顕在化させるっていうけどそれってなんなの?ということ(7/26)

          アートのプロジェクトの陥りがちな罠として、周辺の環境と軋轢や問題点が起きたときに、それを「社会の課題を顕在化させた」といったような言葉にして、1つの成果のように捉えてしまうことがあります。それは確かにそうなのでしょうが、それってなんなの?それって本当に価値なの?というはなし 以下、だらだらと書きます。 作品を通じて「社会の課題を顕在化させた」。ここまではわかります。ただそれはプロジェクトとしての成果になるのか?と言われると、少し自信がなくなります。 それは本当に「その出

          アートは社会問題を顕在化させるっていうけどそれってなんなの?ということ(7/26)