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地方でアートをするときに感じる文化の違いについてぐだぐだと整理すること(7月19日)

前回

地方での芸術活動は、これまでも多数ありました。例えば有名どころでは、山本鼎の農民美術運動や、戦後に地方で多数立ち上がった前衛芸術運動などがあります。しかし、現在の「地方」と「アート」の文脈で語られる「アート」とは、それらの文脈を継承していない現代アートがほとんど。

https://ueda-kanko.or.jp/blog/nouminbijyutsu/

アートの効果について

アートによる町おこしの是非や、政府による地方創生の思惑や、芸術の有用性についての問題など色々あります(ありました)。いろいろな思惑はあれど、「地域アート」を支えたものは、”地方創生”という国策に則った価値観だったりするわけで、それは「少子高齢化と、東京圏への人口の集中を是正することで、活力ある日本社会を維持していくこと(要約)」でした。国家の維持のための芸術や文化を利用することの是非については、様々な意見があると思います。アートの価値の話はそれぞれの考え方があると思うので(恐ろしすぎて)一概に定義することはできませんが……それによる効果の観点に限って見るならば、アート作品によって観光資源が生まれ、地域にお金が落ちること、人の移動・交換が行われること(ついでに地域のイメージアップになること)が外から見た時のアートの価値、ということになるでしょう。あくまでアートの一面に過ぎませんが。

「そんな効果があるならさっさとアートをやればいいじゃん!」というわけにも当然いかないわけです。地域でアートをするには(少なくとも、行政が動くようなプロジェクトの場合には)、地域が「”他のものと比べて”、地域を発展させるためにアートが有効である」というふうに思わないといけない。すくなくとも、地域の代表の人たちにはそう信じてもらわないといけない。大変。だけど、そもそもアートは「始めたら収入が5倍になりました!やったー!」みたいなものではないので、資本主義の錦の御旗が機能しない。「めちゃ儲かりまっせ!すぐ税収増えまっせ!」みたいな武器がない。(国としては観光とがっつり絡ませてアートにも稼がせる方針だけど、それができるプロジェクトは、そもそも投資額が全然違う)。なので、しばらくはアートをする意義を伝えて信じて耐えてもらわないといけない。だけど、それすら賭けみたいなところがある。ふと気がつくと、変な都市部のコンサル会社に1億くらいで委託をして「〇〇村復興プラン!」みたいなものを出してきたりする。その結果、歴史的な建物なんか潰して工場を誘致しちゃえ!尾瀬を潰してメガソーラーで副収入を得よう!美術館なんか潰しておしゃれなカフェとイベントスペースを合わせて複合商業施設を!みたいなことになる。大変。

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文化資本は都会のもの?あなたはそれでほんとにいいの?

少し話は変わるけど、Twitterで「東京在住の人は仕事帰りにふらっとライブに行くみたいなムーブをしていて、そういうところに地方との『文化資本の差』をありありと感じる」という投稿が話題になった。

https://togetter.com/li/2181286)

文化の需要には、物理的なハコとそこに行ける身体が必要です。VR技術などを使っても、精神だけがその場所に飛んでいくにはまだまだ時間がかかりそうです。

そうすると、都市部(特に東京近郊)に生まれた者と、それ以外の地域に生まれた者では、文化を享受する難易度に天と地ほどの差ができてしまう。物質的な充足度もそうだが、同じくらい文化資本の充足度も課題だ。文化資本の充実した都会で「帰りにふらっとライブハウスに寄る」という生活をする人たちと、そうでない人たちの間では、同じ日本に住んでても社会そのものへの認識が大きく違う。

https://smoo.jp/2021/04/cultural-issues/


当然、文化に対してのスタンスに大きな違いが生まれることは、想像に難くありません。「文化?家でテレビ見れるしそれでええやろ。ライブなんて贅沢品だ!」なんて普通に思ってしまう人たちと、「文化がないと生きていけない!ライブ行きたい!クラブで朝まで踊りたい!美術館でインスタ映えする写真撮りたい!」という人では、そりゃもう全然話が通じない。

彼らも、僕らの感覚はわからないし、僕らも、彼らのことを知らなすぎる。地域でアート事業を進めていくことの難しさの根幹はこの点にあると思う。


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