中之条に出してる作品のこととか(10/9)
今年の中之条ビエンナーレに作品を出しています。会期もぼちぼち終わるので、最後に作品のことを書きます。
今回の作品は、生肉が干し肉になる過程について肉自身が語る、というもの
タイトルは「Mid Jerky」。元ネタはMidjourney(旅の途中)っていうAI画像生成ソフトの名前から。肉を使うことは、ヨーゼフボイスが動物の脂肪を使った作品を作っていることや、2011年の震災の直後の横浜トリエンナーレで島袋道浩が発表した『ハムはできるのか?:復興と発酵』という作品にも影響を受けている。
フードをモチーフにした作品だけど、ティラヴァーニャのようなコミュニケーションをモチーフにするつもりはなくて、”物”が出来上がる過程の変容と価値の変化みたいなものがテーマになってる。
ものの価値は、複雑で流動的。そして不確かなものだけど、アートってまさにそんな複雑なものの価値を扱っているものだと思う。
地域でアート活動をしていると、その出来事の”価値”に関する議論は「わかりやすさ」という尺度でとても乱暴に扱われたりするし、逆にアート関係者はその「乱暴さに耐えている」というスタンスをとることで価値の議論から身を守ることもある。抽象的な価値の議論はものの本質から目をそらす。そういうブラックボックスのような議論の中で、価値が変わって変容することのわかりやすい事例として食べ物、料理、加工品(ジャーキー)というテーマを設定した。
ちなみに干し肉の名前はMs. Jerky
映像では、Ms. Jerkyがずっとこちらに話しかけてくる
この作品では人に語らせるのではなく、ものに語ってほしかった
人より”もの”の方が、物事の価値を正しく認識していると思う
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曖昧なものに、私たちは惹かれるの、
それの何がいけないの?
だって、
私たちのこの世界も
ひどく曖昧なものでしょう?
We are attracted to ambiguity,
What's wrong with that?
Because,
Our world is so ambiguous, isn't it?
Is also terribly ambiguous, isn't it?
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生肉と干し肉の境目がわからないように、あたりまえだけどアートとそれ以外の境目もすごく主観的であいまいなものだと思う
「これはアートかもしれない」とどこかで思った瞬間に、それはアートになるかもしれない。逆にアートばかり見ているとだんだん「これはアートじゃない」みたいな感覚になることもある。
目の前のものがアートなのかそうじゃないのかについては、最大公約数的な答えかたになりがちだけど、実はシュレディンガーの猫的な感じで「アートかそうでないか確定していない状態」であることも多いと思う。
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アートと、それ以外の境目も、よくわからないの
アートは世界を救わない
ジャーキーも世界を救わないもの
I don't know where the line between art and the rest of the world is.
Art will not save the world.
Jerky won't save the world either.
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ラブイズオーバー。学生のころはアートは世界を救うかもしれないと思っていたけど、最近はそうじゃない気がしてきた。アートという活動には可能性もあるけど限界もある。
造形するだけでいいのか?アートで哲学を語る意味は?ついてこれない人はそこに置いていく?社会問題を可視化するだけで終わり?
実際は、それがアートでもアートじゃなくてもいい。むしろ少しだけでも世界の何かが変わるようなことをしたい。その方がみんなが幸せになるんじゃないかな?
そんなこと言うと「それってArtivismだよ!」みたいなことになるかもしれないけど、いやいや、勘弁して欲しい。もっと、ちゃんと、少しづつ世の中を良くしていくような活動は、多分「Artivism」が意図する範囲から少し外れているような。
最後に、作品の概要を置いて終わりにします。
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ミッド・ジャーキー ~干し肉とアートのあいだで~
Mid Jerky ~Between Jerky and Arts.~
干し肉となま肉の間はどこにあるのでしょうか。ただの”もの”から”食べ物”に変容する、その境目はどこにあるのでしょうか。現代では干し肉を作ることはありませんが、その変化の過程は、日常のものがアートになる過程に少しだけ似ています。
Where is the line between Jerky and raw meat?
Where is the boundary between the transformation of " objects" into food?
We don't make dried meat today, but the process of transformation is a bit similar to the process by which everyday objects become art.
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