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文章書くのってアートっぽい(8/25)

持病の入院が来週に迫っている中、補助金2本と議会向け質問とその他もろもろの書類作成に勤しんでる。タイムリミットは入院前日まで。もはや意地

朦朧となりながら行政文書とか書いてると、なんかこれってアートっぽいよな?って思ったりする。想像したり、想定したりして計画を立てて、現実と擦り合わせていく。当然、文章を書くことは表現の一つなので、創作活動と言えるのではないか?

一般的な「アートっぽさ」と違うところといったら、文章にロジックが必要ということと、成果を明確にしないといけないところ。あとエモさがいらないところ(自分的にはそれが逆にいいんだけど)。ただ、最近のアートはちゃんとリサーチが必要なものが多いので、一概にそうとも言えないけど。

逆説的に「アートっぽさ」って、「ロジックがなくて、成果が見えなくて、エモいもの」ってことになるのか?よくわからないね。そんなこともないと思うんだけど、実際なんなんだろう。

「アートっぽさ」って感覚、結構危険だと思うんだよね。

ある種の感覚が「アートっぽい」って言葉になってその行為を定義してしまうせいで、質の議論はまだしも、成果の議論からも逃げることができちゃう。「アートっぽい」ってかなり漠然とした概念だと思う。「アートっぽい」の中に、資材の購入や広報、PR、完成品の売買、イベント会場の入場料、地域の文化レベルから移住、教育や生涯学習、地域振興や観光政策までてんこ盛りで入っている。けど現場のレベルでは、議論が個別の要素までまだ進めていない、そういうところがほとんどだと思う。ソシュールかよ

一昔前〜……と言っても30年以上は遡るだろうけど、そのくらいのころはまだ機能してた言葉のような気がする。当時の資料とか見てるとそう思う。純粋芸術とかがまだ少しは機能していた時代。ぶっちゃけもうそのくらいの概念だよね。時代がとうの昔に追い越していった。

逆に言葉に惑わされずに、これらを細部まで見ていけば、きちんと機能と成果を取り戻すことはできると思う。「アートにはこれは無理!」じゃなくて「こことここは、こういう成果出せてますよ?」みたいな。

「アートは○○だ!」ってアート関係者がドヤって言っちゃうの聞くと、それこそ現代アートでも見て頭を柔らかくした方がいいとか思ったりするかも。知らんけど。


蝉の抜け殻

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