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タバコの灯は消えない

やさしさのおすそわけ

喫煙所コミュニティという言葉は最近無くなってきたのだろうか。
どこもかしも受動喫煙防止法という大衆のエゴを振りかざし、喫煙所を破壊していく。「こちとらたばこ税も収めている高額納税者様やぞ」という怒りをたばこの煙と吐き出すべく、私は今日もいそいそと喫煙所に向かうのだった。

喫煙所は好きだ。いや、正確にいうならば好きな時が多い。喫煙所がハズレな時、とても嫌な気持ちになる。
部下を引き連れて偉そうにしているおっさんがいたり、やたら息を吐く音がでかいおっさんがいたり、咳がうるさいおっさんがいたり…
書いてて気づいたが大体おっさんが悪い。こうしたおっさん達を見ていると「ああはなりたくないな」と切に思う。人の振り見て我が振り直せとは妙を得た言葉である。

喫煙所だけでなく話までもおっさんに浸食されてしまったが、とにもかくにも喫煙所が好きなのだ。喫煙所といっても公衆喫煙所だったり、会社専用の喫煙所だったりがあるが、どちらもそれぞれ良さがある。

会社の喫煙所はコミュニティの場として最適である。仕事に対してATフィールドが展開されている。関係性がどうであれ、皆仕事の疲れを癒そうと喫煙所に逃げ込んでいるのだ。縦の関係性も横の関係性も存在しない。くだらない話、趣味の話、社内の恋愛事情、スケベな話でありふれている。そんな空間が無味無臭な仕事に味を加えてくれるスパイスなのかもしれない。
実際、喫煙所で仲良くなっておくと仕事上やりやすくなることが多い。特に若手の社会人は喫煙はお勧めする。なぜなら喫煙者は上司のおっさん達が多いからね。

公衆喫煙所もそれはそれでいい。知らない大勢の中の一人として自分だけの時間を過ごせる。スマホを見ながら吸うのもよし、他人の会話に耳を澄ませながら吸うのもよし、ぼーっとするのもよし。会社の喫煙所と違ってそこにまったくの関係性はないけれど、どこか仲間意識がある。特に昨今の喫煙者排他運動から、村八分された者同士の結束を感じるのは私だけだろうか。

そんな喫煙所でもっとも心が温まるのは、ライターの貸し借りだろう。今は私もアイコスなどの電子タバコユーザーになり、紙たばこユーザーは目に見えて激減した。そんな中でも時代に抗って紙たばこを吸う彼らが織りなす、ライターの貸し借りは見ていてほっこりする。
あそこには利害もなにもない純粋な善意と感謝があるからだろう。

社会に追いやられた喫煙所には、現代社会に最も必要である誰かの心を温めてくれる、儚く美しい灯がともっているのは皮肉な話だ。
今日もそんな温もりを感じるべく、私は喫煙所に足を運ぶ。


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