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着物男子のトイレ事情①

 Twitterのスペースという声でコミュニケーションを取れる機能があるが、そこで男性が幾人かで着物について話していたが、話題が「袴のトイレ」の話になっていた。これは参加せねば!とリクエストしてみた。

袴のトイレの問題点

 話していて感じた問題点は「どうやるのか周りの人も知らない」につきる。これは大問題だ。

 というのは、現代で着物を着る人口の男女比が9:1と言えるほど男性の着物着用率が低い。成人式と結婚式に着ればいい方だろう。

 そして、女性が女性目線で考え、販売することで「行燈袴の方がトイレが楽」という性差を考えない安直な知識が広まってしまう。女性が楽であっても、男性が楽な訳ではないのだ。

 これは女性と男性の着付けの違いでもある。女性は腰で腰紐を結ぶが、男性は腰骨に引っ掛けるようにして腰紐を結ぶ。つまり、洋装下着はゴムの部分が腰紐よりも高い位置にあり、用を足す時に引きずり下ろすことになてしまう。そして、これを戻すには長着を脱いで襦袢から腰紐を結び直さねば、着崩れたままになってしまうのだ。

 それと、行燈袴とは何なのか?を知らないが故の誤った認識がまかり通ってしまっていることも原因の一つである。これは販売員の教育をしていない呉服店の問題でもある。
 
 既に茶道界においても正しく馬乗袴を着けている人は1%にも満たない。ほぼ全員が間違っている。武家茶で数名正しく着けている方がいる程度だ。これは千家流が9割を占める中で、行燈袴がほとんどだからである。

 ちなみに、馬乗袴で小さい用を足す場合、左の裾をたくし上げてする。これは袴の左裾が若干大きめに作られているからで、紳士服のズボンが左側をやや大きめに作るのと同じ原理だ。

 大きい用を足すときは、両裾を帯に引っ掛け、立ったまま結び目を解き、後ろ紐を背板に巻きつけて、背板を股にくぐらせて前に持ってきてしゃがむのだが、ここでステテコが邪魔をする。

 ステテコも現代のものはゴム留めであり、結局腰紐の上に行っているため、戻すのが大事になる。

行燈袴と馬乗袴

 皆さんはそもそも行燈袴と馬乗袴の違いを正確にご存知だろうか?
 
 股の割れていないものが行燈袴であるが、馬乗袴は股が割れていればいいというものではない。股が膝まで割れている物を馬乗袴という。ちなみに左右の「投げ」は太腿の中ほどまで開いているものであり、浅いものは馬乗袴であっても女袴と呼ばれ、男性用ではない。現在、女性用として売られているものには背板が無いが、明治時代の女学生たちは背板のある袴を着けていることもある。
 
 股割れの襠が低いものは舞袴といい、見た目は馬乗袴だが、膝まで割れている必要が無いので、そうなっている。

 そして、行燈袴というのは、袴を着けて外を歩かない町人用に生み出されたものであり、襠のない袴である。

 平らな所をを歩くには不便はないが、階段では裾の扱いが面倒で、坐るときなどは後ろに膨れやすく、初心者では取り扱いが難しい。それもそのはず、あくまで見てくれだけの物だからだ。

 Wikipediaの行燈袴の項には「明治中期頃から女学生が着用していた袴を、裾さばきのしやすさから後に男子も略式として使用するようになった」とあるが、これは二つの意味で間違っている。

 そもそも、行燈は裾さばきが非常にしにくいし、元々男性のものを女学生たちが着けたものであり、明治の女学生たちも馬乗袴を着けて自転車に乗っていた。

 正直、一体誰が書いたのか?と疑問に思うところだ(実際に袴を着けている男性ではない気がする)。

 行燈袴は、江戸時代に町人が茶席などに入る際に外では袴を着けられない(禁止されていた)ことから、袴付とも呼ばれる待合にて袴を持ってきて着けた記録が残っており、江戸時代には男性が着用している。あくまで屋内用であるということが正しい。このことから、町人袴ともいわれる。故に行燈袴の下に締める帯は角帯でよい。

 女学生が使うようになったのは、江戸時代に女性が袴をつけることを禁じられていたことに対する反発であったとも言われている(羽織も同じ)。文明開化における女性開放の一つであったと考えるべきであろう。文化史や服飾史をきちんと学べば、分かることである。

 蛇足だが、訪問着というのは、明治に生まれた立ち姿を美しくするものである。訪問着が茶道に向かないと言われるのはこのためで、正坐をすれば柄は隠れてしまうし、躙って進む際に柄を畳表で擦ってしまうからだ。

角帯と広巾と袴下

 男性の帯といえば代表的なものが角帯である。近年、日本人の身長が大分高くなったために生まれたのが広巾だ。

 しかし、馬乗袴の下にはどちらも着けない。馬乗袴の下には袴下という帯を締める。

 武士は元々、この袴下の帯を締めて、袴紐(袴についている前紐後ろ紐とは別の白い紐)を締めて捕物や稽古などをする。この袴下という帯でないと、結び目が高くなりすぎて七五三になってしまうのだ。

 寸法は

  • 角帯(二寸四分/9cm)

  • 広巾(二寸七分/10.2cm)

  • 袴下(三寸四分/12.9cm)

     となっている(鯨尺)。

 着物を着るのが女性ばかりになり、男性もほぼ袴をつけなくなり、つけても行燈袴になってしまった現代では袴下帯というものは販売されておらず、知る人もほとんどいない(特注で仕立てることはできる)。

 袴をつけることの多い茶道でも、千家流が主流になると町人茶であるという理由から、着流しにそのまま着用できる行燈袴が数多くなり、袴下を知る人は皆無である。

 そして、行燈袴と馬乗袴では、前紐の扱いも違うのだが、それすら知らない人が多い。

 前紐は、刀をく武士なら右脇で交差させ、刀を差さぬ神職なら左脇で交差させ、行燈袴なら前で交差させる。

 ちなみに交差させる際、下にした紐を返して回すのだが、これも知らない人が多い(普通は右から回した紐を下にする)。

裾捌きの問題

 次に問題となるのが裾捌きのために穿く、ステテコだ。

 現代で猿股というと大正時代以降に生まれた今で言うスパッツみたいなものを思い浮かべる人が多いが、それではない。猿股というのは襠のない股引ももひきで下に褌を着ける。

 似ているものといえば、中国人の子供が履いているお尻の開いたズボン――開襠褲クァイ・タン・クーである。

 現代では股割ズボンという言い方をするらしい。日本語表記では「開襠袴(あきまちばかま)」となるか。褲は袴の俗字である。

 これに越中褌えっちゅうふんどしを着ければ、すべての問題が解決する。

 昔は「もんぺ」形の下着を褌の上に穿いて、袴をつけていたらしい。ちなみに、軽衫の衫は裾の長い下着の意味であるという。猿股の裾が伸びたものと考えると分かりやすい。

 もんぺというのは近代に入ってからの名称らしく、元々は山袴、軽衫(かるさん)、裁着(たっつけ)などと呼んでいた。

 もんぺや軽衫、山袴は股が開いていて、そのまま用を足せる構造になっていたが、洋装化が進む中で、その必要がなくなり、普通のズボンと化していったという。

 この内、軽衫はポルトガル語のカルサオ(calças)というズボンが由来であり、襦袢もポルトガル語のジバゥン(gibão)という肌着が由来であるのが面白い。

肌着問題

 これまででも書きてきたが、下着を脱がないといけない場合、着けているものが洋装下着(トランクスやブリーフなど)である以上、元に戻すには着直さないと着崩れたままになってしまう。

 つまり、小の用足しならば、さしたる問題はないが、大の用足しであると、大問題となる。いちいち着直さなければならないような着物は普段着として向いていない。

 この理由は、上でも述べたが、着物の腰とウエストは位置が大きく違うからだ。男性の場合、腰紐を結ぶ腰は腰骨の中ほどで、ウエストは腰骨の上になる。

 結果、トランクスやブリーフ、ステテコなどのゴムで留めるものはウエストで穿くため、ゴムの部分が腰紐よりも上に行ってしまい、一度下ろすと戻すことが困難になる。

 越中褌が優れているのはこの点で、脱ぐ必要がない。腰で穿いても、中布を緩めるだけで用が足せるのだ。

 有り体にいえば長着だけなら越中褌のみでもなんとかなる。しかし、袴では裾除けがほしいところだし、長着でも裾捌きを良くする物はほしい。そこで、両方の合理を兼ね備えたものとして開襠袴のようなものがあれば、着物男子のトイレ事情は大きく改善することになる。

 これを「猿股衫」と命名した。

和装用開襠袴「猿股衫」


 こちらはチャイナの人がアップしていた画像を拝借。大人用の開襠袴と思われる。これをイメージしながら、ステテコを切り刻んだ物がこちら。

実験用猿股衫零号機(前)
実験用猿股衫零号機(後)

 お見苦しく申し訳ないm(_ _)m

 後ろはもう少し広く開いた方が良さそうなので、後ほど修正。

 試着してみた感じだと、悪くなさそうだ。

 商品化するとしたら、もっと簡易であることが望ましく、ミシン縫いで出来るように考えなければならない。

 あとは縫製ができる人を探してこないと(笑)

 ということで、先ずはこの段階で自分なりの設計図を書いてみる。

試作用猿股衫初号機図案〈壱〉

 ステテコの寸法を元に仕上がり寸法で記入してみる。この段階では、投げを想定。紐は腰紐を通すイメージ(洗うときに外して洗濯機へ入れられるように)。

着物男子のトイレ事情改善委員会発足

 数日後、Twitterで、スペースをしていたら、リスナーに「仕立師」とある人が! これは是非参加してほしい!とオファーしたところ、大乗り気!

 袴姿のモデルさんも参加してくださり、プロジェクトは一気に加速した。

 あとは、販路である。

 ここは、試作品がいくつか出来て、使用してみて、取り回しや洗濯なども含めた使い勝手を検討しなければならないので、あくまで想定をするに留める。

 勿論第一には呉服店だ。

 次に話に上ったのは「弓道などの馬乗袴をつける武道・武術」だった。これは盲点だった。ここを含めれば、着物男子の数よりもパイは大きくなる。スポーツ用品店も視野に入れても良いかもしれない。

 次に話に挙がったのは「役者」である。これは役者そのものに売るのではなく、時代劇を担当するスタイリストや衣装屋がターゲットになるだろう。

 その他には、着付をする美容院や結婚式場、貸衣装屋、撮影スタジオなど、数は莫大ではなくとも、それなりに需要はありそうだ。

 バリエーションとしては、越中褌とセットになっているバージョンというのもありだ。

 高級志向の人には、生地を変えて作るという方法もある。

 しかも、これは一人が複数枚買うことが前提であるし、消耗品でもある。

 赤字にならないラインで低価格の普及品と、オリジナリティを大切にする高級志向と、一点物のラインナップを考えていくことが良さそうだ。

 そして早速商品ロゴを作ってみた。

Salmataçanロゴ図案(1)

 猿股衫からSalmataçanにしたのは、スポーツ用品店などで若者に売るのなら、和っぽいテイストではない方がよいのではないか?という考えだ。

 ゼティーユという記号のついた「ç」を使ったのは、軽衫の語源であるカルサオが「calças」であるからで、英語ではない字面は、フランス語的な雰囲気があり、ファッショナブルに受け止められやすかろうという意図もある。

 さらに、セディーユをかわいい猿にすることで、アクセントがつく。

 ロゴタイプの基礎となった書体はGill sans。これはエリック・ギルかデザインしたヒューマニストサンセリフの欧文書体。

 Gill sansはローマンフェイスをベースとしたサンセリフ体であり、FuturaやDINなどのような機械的なモダンさのないノスタルジックな雰囲気を持つのを特徴とする。

 これは私の考えている「温故知新」スタイルにピッタリと考えた。

Salmataçanロゴ図案(2)

 猿股なので、猿のオシリを見せたくなり、尻尾の向きを変えてみたら、案外収まりがいい。調子に乗って、漢字バージョンのロゴタイプも作ってみた。

 ただ、なんとなく字面が気に入らなかったのですが、Salmathaçanにしたら、しっくり来た。これは不思議なことである。

エンブレム+ロゴタイプ
ロゴタイプ(エンブレムロゴ)

漢字バージョンにも欧文ロゴを添え、カラーバージョンでサルのオシリを赤くし、顔にも色を付けると、よりサルがサルらしくなる。

 型紙の素案は直して既に仕立師さんにお渡しした。

 あとは試作を待つのみである。その間に、私は越中褌を増やしておこうと思う。色々な越中褌を探しておこう!

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