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メジャーじゃなかった心の病パニック障害【10】

4.病気と付き合う【3】

ー 新幹線に挑む ー

この病気を発病し、
病院へ行くきっかけをつくってくれた
x主任は、課長に昇進していた。

そのx課長から、突如
『出張行ってもらいたい。
飛行機はまだ、だめかな?』

ぼくは間髪いれずに
「すいません。それはまだ無理です。」
と答えた。

「それは」の意味は出張に行くこと
を込めていた。

出張と聞いた時点で、

え?突然、なに?まじで… え!ウソでしょ?

心拍数があがっていった。

ボクにとって
来てはいけない
"悪い知らせ"
きてしまった。

x課長は続けて
『新製品の展示会が全国各地であるから、
皆で順番に説明員としてお願いしてるんだ。』
『… 大阪どうだい?』

ボクは頭の中が混乱した。
「それは無理です。」と言ったのに。

x課長
『まあ、考えといてくれる?
まだ2週間くらい先だからさ!』

そう言われ
その場を切り上げた。
課長にしてみれば
「それは」は
"飛行機"だと思われていたのだろうか。

夢であって欲しい。

心からそう思った。

ただ、
睡眠中の夢であっても
病気で発作が起きる前の段階、
つまり"予期不安"の夢を
よく見ていた。

こういうときは、
起きて正気になると

夢で良かった。

と、ホッとしたものだった。

寝ても覚めても
心が休まらない。

今、改めて思う。
病気の素質がなければ
さぞや楽しい人生(前半)だったろうに。
自分の過去を哀れに思う。
これも運命なのでしょう。

『大阪』

不安で悩む。
何が不安?

駅間5分で"じたばた"する
ぼくの心境は、ちっとも穏やかになれず、
新幹線など
夢のまた夢の超特急なのだ。

想像する。

東京ー新横浜 何分?
新横浜駅ー名古屋 何時間?
うわ〰️どうしよう。
この先考えられない。

頑張っても新横浜まで。
もし新横浜で降りないで
ドアがしまったらどうなっちゃう?

考えたら気持ち悪くなってきた。
(当時品川はない。
"のぞみ"が"ひかり"より割高で、全車指定のころ)

このシリーズで書いていませんが、
発病してから初診に至るまでの間、
新幹線でつらい経験をしていました。
もちろんクスリなどないころです。

山形での仕事の帰り
東京へ戻るため山形駅のホーム。
新幹線を待つ。
列に並び、開いたドアに吸い込まれるよう
流れにそって車内へ。
発車までの間に、息苦しくなり、
動悸がはげしくなった。

逃げたい。

網棚の荷物をおろし
山形駅のホームへ戻る。
ホームは閑散としている。

あたりまえ。

その電車は東京へむけ出発した。
指定席がパーに。

次の東京行き。

また同じ。


ホームで2時間たたかう。
"まもなく~"
入線のアナウンス
聞くとドキドキ不安になる。

そのつぎの東京行き。
停車駅が多い。
意を決して乗車。
何とかして、耐え凌いだ。

乗車中の不安症状は、
心拍数の増加で動悸が激しくなり、
呼吸が乱れていた。

ただ、この症状は、
起こるタイミングがあった。

ドアが閉まり、
次の駅に向かう瞬間から、
症状がはげしくなる。
電車の加速に比例する。

次の駅到着まで、
時間的に、のこり半分すぎた頃
症状は、緩和傾向になる。
そして駅に到着すると、
何事もなかったかのように。

そしてまた、
次の駅に向かい始める瞬間から
また症状があらわれる

これの繰り返しであった。

共通するのはやはり、
逃げられるか否か
シチュエーションによるものなのだ。

ただ、今はクスリがある。
そう思い聞かせ、
診察で先生に相談してみた。

ぼくは、ことの経緯を打ち明け、
新幹線がこわい。発作が起きたら
逃げられない。と話す。

女医はこう言った。
『クスリを乗車前に飲めば大丈夫よ。
安心していいんですよ。
心配なら強めのクスリ出しましょうか。』

強めのクスリ?
そんなのあるのかと
ボクのなかのデパス最強説を
こえるなにかが。

その薬の名前は覚えていない。
でも、ほんの3錠処方してもらい、
大阪に行く決心をした。

『お守りとして持っていきなさい。』

女医がこう言ったのをおぼえている。

ボクはx課長に
出張に行く旨報告した。

つづく。

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