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昭和は遠くなりにけり

北海道の滝川という街で生まれた私は

足元が見えない位に暗くなるまで

外で遊ぶのが大好きな

男の子みたいな子供でした

60年以上も前ですから

近所に子供はうじゃうじゃ居て

遊び相手に困ることはありません

男の子達は青っぱなを垂らし

それを拭いた袖はテカテカに光ってました

女の子はお母さんが編んだ機械編みのセーターを

着ていました。編み機が流行っていたみたいです

男子はよく野球をやっていました

私達はゴム跳び、馬乗り、石蹴り、ままごと

自転車、鉄棒、鬼ごっこetc

お母さんがご飯の為に呼びに来るまで

外で遊んで居ました

安上がりな遊びばかりです

皆んな貧しかったけれど

誰も不幸とは感じていない様でした

『3丁目の夕陽』そのまんまです

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10円を握りしめてミニドーナツ🍩を買いに行きました

甘いお菓子は限られていたので贅沢なおやつです

大体は5円か10円で買えたと思います


自転車の練習は大人用の大きな自転車を横乗りして

何回も倒れて膝をすりむいても乗りこなせる迄

諦めません

いつも何処かしらに傷を作っていました

親は余り干渉しませんでした


滝川は平野で、山は遠くに小さく見えました

家の前も田んぼが何処までも広がっていました

我が家は2軒が繋がった教員住宅で

玄関の横に石炭小屋があり土間になっていました

そこに手回し式の脱水がついた洗濯機も置いてあり

絞るのをよく手伝わされました

お煎餅の様にペラペラになって出てくる洗濯物を

全力で押し出すのが好きでした

茶の間のど真ん中に石炭ストーブがあるので

春か秋には家族中で分解して煙突掃除です

鍋の大きさに合わせて煮炊きが出来

湯沸しタンクにも煙突が通っていて

洗顔から湯たんぽまで使えて

とても便利なストーブでした

温水器なんて未だ有りませんでしたから…

一年の半分以上はお世話になった優れものです

今よりも不便で雪も多く暖房設備も充分ではない時代でしたが

足りない物は何も無かった気がします


便利を知ってしまった今からは

もうこの時代に戻る事は出来ませんが

戦後の昭和を肌で体感できた事は

幸せな事だなぁと思います

賢明に働けば何とかなると思えた時代だから

明確な目標と希望があったし

時間がゆったり流れていた気がするからです


令和をこれから作っていく人達は

多分、私達とは違った価値観で生きていくのでしょう

日本はどんどん衰退していて、

無くなってしまうかも知れなません

でもどんな困難にぶち当たっても

必ず立ち上がれる素晴らしい民族だと思っています

国の為に命を掛ける若者はもう居ないかも知れないし

若者にそれを望んでは居ません

でも日本人としての誇りは絶対に無くさないで

持ち続けて欲しいと思っています

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