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祖母との別れから感じる変化

父方の祖母が先日92歳でこの世を去りました。
15年前から施設に入っていて、
春頃から食べ物が食べれなくなって。

今月に入って、水分もとらず自分の力だけで
生きる姿を目の当たりにして、
強い生命力を感じました。

おばあちゃんは、すごく頑固で厳しい人でした。
隣の家に住んでいて、わたしはおばあちゃんのレールの上に敷かれた
人生を学生時代は過ごしました。

物心ついたときから、お父さんは立派な人だから、
同じ学校に通って、
将来は公務員か銀行員になりなさいと言われていました。

そんなの嫌だなぁと思いながら、期待に背くのが怖くて、
出来もしない勉強を一生懸命がんばりました。
銀行に内定が決まったあと、プツッと張り詰めた糸が切れたように、
こころの病気になりました。

ちょうどその頃くらいからおばあちゃんも、
認知症の症状が出始めて。

家族のバランスが崩れて膿が出だしました。

わたしは自分が病気になった原因をどこかで家族のせいだったり、
幼少期の体験のせいにしていたところがありました。

でも、今回おばあちゃんを見送っている時に
すごく感謝の気持ちが湧いてきたり、
おばあちゃんの厳しさの裏側には深い愛情があったことに
気づきました。

そして、わたしの病気は自分の生まれながらに持つ体質のせいで
決して周りのせいばかりではなかったと思いました。

自分の学生時代の体験を「あれは本当の自分ではなかった。望む自分を生きられなかった。嘘っぱちだ」と否定してなかったことにしようとしていました。

それが、おばあちゃんの死をきっかけに学生時代の日々は、自分へ向けられた強い愛情に応えようと頑張ってきた毎日だったとして、自分の懸命さを認められるようになってきました。

過去への解釈が変わってきています。

すごく頑張って愛されてきた自分。

そう思えると、不思議と気持ちが晴れ晴れとしてきました。

親や生まれた環境は選べないけれど、それも含めて自分の個性で。

その中でどうしていくかだったり、過去をどう活かしていくかは自分次第なのだと思います。

面白いなと思ったのが、妹はおばあちゃんのことを怖いと感じていなかったことでした。

左利きを注意されたことがあるくらいで、他は優しかった記憶しかないのだそう。

姉妹で姉のわたしにより厳しかったのもあるかもしれませんが、妹の世界を見る視点にもあると思いました。

おばあちゃんが言っていたことは1つの正義で、大人になってからその真意が分かる場面が多くありました。

いっぽうで、わたしはわたしで自分に合った別の真意を持っていて。

結局おばあちゃんが望むような人生を送れず、そのことで苦労もしているけれど、どこかでわたしはおばあちゃんに似ているなと感じるし、いまはそれが嬉しいです。

よくよく考えてみるとわたしとおばあちゃんは家にいるのが好きで。料理や裁縫やお花が好きで。手に職ををつけて夫婦で家計を支えてきた姿など尊敬するし、その分苦労も多かっただろうなと想像しました。

だからこそ、生活が安定する公務員や銀行員を勧めていたのもあるし、勉強をすることの大事さを感じていたんだろうなと思います。

自分と同じような苦労をさせたくなかったのかもしれません。でも、わたしは今おばあちゃんのように自分の強みを活かして生きたいなと思っています。

おばあちゃんがいなかったら、わたしは生まれていなかったわけだし。尊敬できる人の孫で良かったです。

いろんな思いが溢れてくるけれど、ネガティブな気持ちは一緒に消えていきました。

いまはスッキリして病気も良くなった気でいるけれど、きっとまたしんどい日は来ると思います。

それでも前よりすこし違った気持ちでそんな日を乗り越えられそうな予感がしています。

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