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【小説】ケルヌンノスの尻尾 第1話

≪あらすじ≫
 この世の主役だった朝日が死んだ。
 かつての相棒の死を境に、顔が水槽である異形頭な男が主人公・銀河の目の前に現れる。同じ事務所の俳優として肩を並べていたが、世間が興味を示したのは朝日だった。変わらず俳優業をこなす銀河の元にたびたび現れる水槽男。どうやら水槽の水が減るたび、世界に何かが起きているようだが――。強引な運命に引き寄せられた朝日と銀河。銀河は何を「否定」することができるのか。水槽男の目的とは。



 春夏秋冬の中で唯一、夏だけが終わる。

 陽の光に潤うグリーン、果実に溢るる赤、迫っては引く浜辺のブルー。

 朝日は夏のような奴だった。


 この世の主役だった朝日が死んだ。

 太く小さく、太陽のような存在感を持つ円を描き、その筆をへし折った。

 夏が、来る。



「よう、相棒」

 葬式の空気を破ったその声に、はっと我に返った。左右を見回すも状況は変わっていないことを理解し、口を真一文に結びなおす。空気は綿毛で頬が切れるほど渇いていた。

 朝日の遺影が白い蛍光灯を受けて、光っている。雪像のように、白く冷たい色をした肌、同等に白い揃った歯。黒曜石に見える大きな黒目は笑って細くなった瞼に隠されている。見覚えのない笑顔が太い黒縁に囲われていた。不自然なほどに画質が良く、ライトによるわざとらしい陰影には嫌気が差す。遺影に使われている写真は数多く撮った宣材写真のボツだろう。銀河は沈黙し、遺影から目を逸らした。死んだからこそ隣にいる、奴は決して自分を「銀河」と呼ばない。

 人気俳優、朝日の突然死。
 どのトップページにもおよそ一週間は載り続けるであろう大きい話題の中、当人との別れの儀式は数え切れるほどの人数で行った。
「はるくんはいつも朝日の傍にいてくれたから」
 朝日の母親は他を語らず、浅い呼吸をしてそう言った。

 朝日とも数年まともに顔を合わせていなかったが、母親と会うのは大げさに言って幼少期以来だ。こんなに小さな背中だったかとか、心労で白髪が増えただろうとか、そんな考えを抱かないほど朝日の母親を遠い存在と置いていたことに気づく。そして、そんな自分に朝日の母親が深々と頭を下げているのがむず痒い。葬式にはそうした人たちばかり参列していた。皆黒く四角く、似たような恰好をして等間隔で椅子に座っている。天井から見ればすべて黒にひっくり返ったオセロのように見えるのだろうか。黒く四角い彼らが機械的な動きで焼香をあげて再度定位置に戻る様を、横目で見つめていた。

「やあ、やあ」
「あぁ、どうも」
 葬式のサビを終えたタイミングで、ネクタイを緩めたその中年は唸りながら両手を差し出してきた。圧倒的に体温を感じさせるであろうふかふかとした手の膨らみに身を強張らせながらも、握手に応える。あぁ、手のひらから体温がグラデーションに染められていく、対極的にこめかみに流れる血が冷える。
 どうやら中年は同じことを言い換えて長々と喋っていた。朝日の身内であることを鉄板上で転がして心地良くなっているようだ。忙しい中朝日のためにわざわざありがとう。ヤンチャな奴だけど憎めない奴でね。私と飯に行った後に出た作品で大きな賞を取りおった、日本なんとか賞っていったかな。そんな風に。
 そして。
「はるひくんはどうだね最近。ご活躍はちょこちょこと耳に挟んでいるが」
「僕はそうですね、芸名の方を変えてまして」
「あ、そうなの。え、今はなんての?」
「銀河です。そのまま、銀色の銀に、河」
「ギンガ! 宇宙の。それはまたいいね、大きくて」
 鼻筋に皺を寄せて笑うと中年は喉の裏で低く笑って立ち去った。口の中が苦い。芸名を変えてから、もう2年の月日が経とうとしている。

 かつて朝日と銀河は一つのドラマでW主演としてタッグを組み、事務所から力強く売り出されていた。17歳同時俳優デビュー、初主演、タイトルは『肯定否定メランコリー』。朝日と銀河の世間一般的な知名度こそ低かったが、俳優界での期待の新人が肩を並べて飛び立つことは公表前から秘密裏に噂されていた。秘密ということはつまり、全員が知っているということだ。そしてその大波に乗ったまま『肯定否定メランコリー』は平成の若者を代表する大ヒットドラマへと大きく数字を叩きつけた。見る者を照らす光のような朝日と、伏し目に宿る闇がミステリアスな銀河。ストーリー内で次第に仲を深めていく両極端な2人が主題歌も歌えば、ありとあらゆるファンがつく。毎週ドラマ放送の次の日の女子生徒の話題は『肯定否定メランコリー』で持ち切りだった。――ただしそれはすべて、銀河がまだ、本名の「遥陽(はるひ)」と名乗っていた時代のことだ。

 湿度を孕んだ6月の陽射しが銀河の喪服に染み渡る。葬式はそれこそ滞りなく終わった。何も問題はない。焼香をあげる順序も住職が読み上げるお経も、決して否定されることなくプログラムされた通りに進んだ。等間隔に歩む焼香の列に嫌気がさして、革靴の踵を鳴らすタイミングを遅らせてやった。

 当然のように、ワイドショーでは連日「人気俳優 朝日の突然死」について高々と語られている。人は突然死ぬものじゃない。日々少しずつ死んでいる。身体、心含め、気づいた時にその取引は完了している時だってある。

 「明日、いけるっすか」
 想定よりも10分ほど前に最寄り駅に着いた。マンションのエントランスに入る直前、送迎の車からマネージャーが顔を出していた。
「あぁ、いけるよ」
「っす」
 たったそれだけを聞いて、首を車内に戻す。同じく喪服を着ていたし日も沈んでいるせいか、そいつの顔だけが浮き彫りになって見えた。体は闇に溶けている、でも、顔があるだけで知っている人間であると分かる。4つほど下であるはずの横顔は必要以上の動きをせず、不必要なことも聞いてこなかった。ぐぅん、とエンジン音を鳴らして去っていった送迎車が小さくなっていくのを眺める。ドラマの台本を読み込んでいなかったが、そういえば明日からだった。常に持ち運んでいる台本は、舞台台本。どこかに置いたドラマ台本を探すところからだ。


#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門


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