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【小説】ケルヌンノスの尻尾 最終話

 本物の朝を、ベッドにうつ伏せになったまま迎えた。どうやら朝日を看取ってすぐ、力尽きて眠ってしまったらしい。
 体の関節を順番に動かす。肩、肘、腰。起き上がる際、腰に詰まり切った空気の凹凸を感じて大きく身体を捻らせた。太い骨の中で小さい骨が砕け散っているんじゃないかと思う音が小気味よく部屋に響いた。代償に鈍痛が残り、腰をさする。ぽこ、と緩やかに出っ張った尾てい骨に手を止めて、生えるかもしれなかった尻尾の大きさを確認してみた。およそ握りこぶし大の太さをした3本目の足。と、ない体の部位を想像している間にTシャツに染み込んだ汗のにおいがもわんと鼻を突く。同時に腹が鳴り、くしゃみも出た。体の生命活動が今日も始まっている。諦めたように笑って、給湯器の電源を付けた。ぴろりろりん、とご機嫌な電子音が人差し指の裏で踊る。そしてその音の中、もう朝日より大きく在る必要もないな、と思った。

 「2年間の迷走期って言われますね」
 不必要なことは言わないはずのマネージャーが珍しく、俺から受け取った書類を見て何か言っている。
「うるさいな。もう変えないよ」
 事務所の白い箱で、いつぞやぶりにソファに座る。体のどこかを動かすたびにギュウ、と唸るソファだ。どの家具よりも多くを申し立てている。マネージャーは二重ながらも重たい瞼の下で書類を左から右に読んで「っす」と茶封筒にしまった。
「あ」
 お道化た様子で口を「あ」の形に保ったまま、マネージャーは俺に主張した。いつもとは違う様子に嫌悪感を見せると、洋画のワンシーンのように口をひん曲げてデスクを指さす。俳優を指で扱うとは大きくなったもんだ。立ち上がると待ち構えていたソファがまたギュウ、と歌う。横長のデスクには郵便物がよく置かれる。時には保管する事務所の領収書からファンレターまで。
「これは?」
 淡い紫の小さな花束が無造作に置かれている。小さく添えられた手紙を取り出し、折り目を開いた。
「たまにはお花を買うのっていいね。このお花持って、一緒に朝ちゃんのお墓参りに行こう。見たら連絡して 碧海」
 P.S.紫苑の花です。はるちゃんは知らないかー。とより小さくした文字も添えられていて、不意に口元が緩む。エナメル性の踵をつかつかと鳴らしてマネージャーがこちらへ来て、顔を覗いてきた。
「俺、遥陽って名前すげー好きです。だから、正直嬉しいっす」
 普段はウルフカットに隠していた口角をあげて、マネージャーは笑った。不必要なことを言わないにしては珍しかったのか、これらはすべて必要ではにかんでしまうのがいいのか。どちらにせよ、名前と鼓膜に残った熱はそのまま俺の体の一部となって、発熱し続ける。いたずらっぽく笑いながら、返事がいらないほどに傍にいる相棒に花束を捧ぐ。


#創作大賞2024#ファンタジー小説部門

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