Daisei group Indonesia

ジャカルタで飲食業を中心に事業を行なっております。インドネシア国籍取得済み。ジャカルタ…

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ジャカルタで飲食業を中心に事業を行なっております。インドネシア国籍取得済み。ジャカルタ生まれインドネシア在住トータル32年目!骨になるまでインドネシアに居ります。

最近の記事

リゾート

先日ビンタン島に招待された。 シンガポールからフェリーで40分の島で、隣のバタム島と並びシンガポール在住者の癒しのリゾートでゴルフ、釣り、マリンスポーツ、食事などを楽しみ日帰り、1泊で帰って行く。 賃金はジャカルタより少し低く、食事の水準もジャカルタと同等レベル、シンガポール在住者にとっては”格安”の遊び場である。 隣のバタム島は行った事があった、昔のシンガポールを思い出せる小汚い中華街、日本の工業団地が盛んだった頃の繁華街「NOGOYA」はかなり廃れていた。魅力のある島

    • 黒帯にむけて

      元々体を動かすことは好きだ。 叔父がプロ野球選手だったことから、父親に小学校上がる前から”強制的”に野球をやらされて、すごく嫌だった。 センスが無い事は自分が一番分かっていたので、小学校3年で野球を辞めたいと言った。 父は残念がった。 今思えば子供というのは親に褒められたいと思うものなのであろう。 父は元拓殖大学空手部。 小学校4年生からは空手を始めた。 空手の修行は楽しかった。強くなっていくことを実感するし、当時は悪ガキの喧嘩小僧だったので実用的でもあったw ただ日本に帰国

      • ふぐ免許

        21歳からふぐ屋にいた。 18で板前修業を始め、横浜の大衆割烹店で風呂なし住み込み生活、初任給は8万円だった。 横浜で2年勤めたがどうしても1流の店で働きたいという欲求に勝てず、地元を離れて東京に出た。 最初は三田のオフィスビルの地下に出来る大型店舗の募集に引っかかった。 調理場12人の大型店舗だった。 歳は一番下。持ち場は焼き場脇。 新規店の為、花板である板長は会議が多く魚が届いてもおろす時間がない。 元来図々しい自分は勝手に魚をおろしてしまう。失敗などへっちゃらである

        • 日本ブランド

          最近日本のニュースにうんざりする。 まあ、元々テレビを観ないので、常にテレビをつけて、だらだらとニュースを流している家庭よりは、自分の欲しい情報だけを見るようにしている分まだマシか。 コロナ禍の日本のテレビは辟易した。 深刻な顔で「本日の感染者数」がどうのこうのと毎日毎日流す。あほか。 日本に一時帰国中は育ての親である伯母の所に泊まるのでなんとなく点けているであろうTVは終始そんな感じ。 気持ちを暗くさせたいのか? 鬱を産んでいるのはTVなんじゃね? とすら思ってしまう。

          人生5周目

          人間の年齢は12年を1周期とし、5周が終了すると”還暦” つまり暦が戻るとされている。 先日48歳のの誕生日を迎えた。 5周目の12年がスタートする。アラフィフである。 思えば、子供の頃は50歳っておじいちゃんだと思っていたぐらいだ。 今、一緒にゴルフをしてくれている仲間(先輩)方は60upの方が多い。 平日の安くて空いている時間にしかゴルフしないから、自然と自由時間の多い年代、仕事に追われていない人、金銭的にも余裕のある方とのお付き合いになる。皆さん若いし元気である。今だ

          ”知る”と得?

          現代は情報が蔓延している。 個人でもSNS、Youtubeなどを使い情報の拡散ができる。 その昔は、芸能人、有名人って一部の特権階級的な存在でありテレビや雑誌で見たことのある人に実際会えると”知ってる”から、わ〜!っとなった。 麻布十番に住んでいた頃、道端でも芸能人に会うことが多かった。 勿論お店にも芸能人のお客さんは多く来て頂いていた。 しかし、学生時代からあまり家におらず、仕事を始めてからは毎晩夜中に帰るので全くと言っていいほどテレビを観ない自分はめちゃめちゃ疎い。 カ

          ”知る”と得?

          コロナ終了2

          2020年2月半ばに100席以上の『大型』店舗を開店した。 大きめの店舗は得意では無い、これが3度目の挑戦となる。 『EDOX』という店で4台のコンテナを改装し、屋根を付けた。下が地下街となっている為、柱は建てれない。建築許可が取れない。 コンテナならば撤去も楽であろうという構想からのスタート。 コンテナリース会社と組み、”毎日がお祭り”というコンセプトでスタート。 カウンター周りは炉端焼き風にし、お客様が選んだ食材を炭火で焼く。 櫓を中央に建て、和太鼓で来客を迎える。スタッ

          コロナ終了。

          こんにちは、私はインドネシアジャカルタで飲食業を営んでおります。長く苦しめられたコロナ規制が昨年末12月30日をもって全面撤廃されました。 思えば2020年3月から始まった未曾有のコロナ規制。 店内飲食禁止、公共交通機関停止、出社禁止、、、なんだこれ?? 死ぬかもしんない。。 経済的な死。 300人の従業員をどう生かすか、自分を含め、家族の生活費は捻出できるのか。 NETFLIX、Youtube、小説など暇を持て余して手を出すものの全く集中できない、映画の主人公が生きるか死ぬ

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          大臣宅でラーメン

          大臣宅でラーメン

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          Noteとの出会い

          本日初めてNoteというのを知った。  キッカケはオイシックス創業者の吉田さん インドネシア(アジア)で初の大相撲巡業をした人 月1〜2新しいレストランを見つけちゃ一緒に飲みに行く仲から、釣りに行き釣果を料理して食べる仲に、そして割烹店の復活で共同経営者になり、長い付き合いとなる。数少ない親友の一人となった。 現在新規に飲食店の立ち上げに奔走中の彼はあの「和牛マフィア」の株主でもある。そんな中、和牛マフィア浜田氏のNoteでの記事を是非読んで欲しいとリンクが送られてきた。

          Noteとの出会い