黒帯にむけて

元々体を動かすことは好きだ。
叔父がプロ野球選手だったことから、父親に小学校上がる前から”強制的”に野球をやらされて、すごく嫌だった。
センスが無い事は自分が一番分かっていたので、小学校3年で野球を辞めたいと言った。
父は残念がった。
今思えば子供というのは親に褒められたいと思うものなのであろう。
父は元拓殖大学空手部。
小学校4年生からは空手を始めた。
空手の修行は楽しかった。強くなっていくことを実感するし、当時は悪ガキの喧嘩小僧だったので実用的でもあったw
ただ日本に帰国するまでに昇級のチャンスはなく日本では近所に道場もなくまた少年野球をすることになった。
相変わらずセンスが無くレギュラーには入れない。

中学からは柔道部に入った。
これも父親の影響であろう、格闘技をやる次男を誇らしく思ってくれた。

背が小さかった自分にとって柔道は、大きな相手を倒すという喜びがあり、
人一倍早く動かなければならないけど一生懸命稽古に励んだ。
4級、3級、2級と順調に昇級し、中3の春に1級の試験に臨んだ。
3勝しなければならい組み手で1勝もできなかった。
それで嫌になっちゃったんだ。確か。

高校から柔道を始めるといきなり初段審査を受けれる。中学生は1級を取らないと初段を受けれない。なんか不公平だよなぁ。
高校に上がった時も身長は150cmちょいしかなかった自分は、また一層大きい相手と戦うのが面倒だなと思い柔道部には入らなかった。

お小遣いとかなかったのでバイトに励むことにした。
伊勢崎町モールの不二家レストラン喫茶、「ぺこちゃん」である。
将来料理人になるのはここでの経験が大きいだろう。

高校出て板前の修行を始めると、習い事など行く時間などある訳もなく、ひたすら料理の修行をするしかなかった。

料理長になり、少し時間が出来てきたとはいえ、道場などに通う時間は勿論無い。時間作れるのは午前中、昼過ぎまで。そんな時間にやっている道場などない。

ジャカルタに来て芦原会館の指導をされている小林先生と出会った。
毎週土曜日インドネシア人の生徒に無償で空手を教えていた。
開始時間は夕方6時、ここでも飲食店で働いている人間には中々難しい時間だ。ギリギリ7時頃まで練習し、店に戻る。
最後まで稽古に参加できる事はほとんどなかった。
それを感じた小林先生が特別に4時半からの稽古時間も作ってくれた。
それでも完全参加していない自分は昇級の資格はないと思っていた。5〜6年教わっただろうか。小林先生が香港に移転となった。
そして初めて香港に出向き昇級審査に臨んだ。
特別にいきなり黄帯を取得できた。
芦原会館ではその後も数回審査を受け2級(茶帯)まで昇級した。
ジャカルタで個人練習をしたり、フルコン経験者を募り同好会で稽古を続けて、しかし先生不在ではどこに向かっていくのか。同好会の仲間数人が新極真会だったこともあり、再び白帯から新極真に入門させてもらった。

新極真でも少しずつ昇級していき、昨年やっと2級を取得した。
講道館柔道2級、芦原会館2級、新極真会2級。
全部2級w 2級の男である。

先月新極真の合宿が行われた。
日本から見える師範とは数度稽古をいただいている。
「竹谷さんまだ2級なの?? だめだよそれは。」
ということで「1級」の審査を受けることになった。

黒帯が次の段階になるというのは自分の中では大きな階段である。
半端な感じでは黒帯は資格はないと思う。(海外では軽い感じの黒帯多いけど)新極真に入門してから10数年。空手歴は20年以上になる2級が漸く1級となりました。

黒帯に向けて修行を続けよう。
いや、今までより真剣にやらないとだめだと本気で感じた。
肉体改造します!押忍!!!

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