week21:マーベルの話かと思いきや最終的に松岡茉優とダイアンの話になる話
ブラックウィドウを見てきました。
最近の私はと言うと、起きている時間は、ご飯を食べているか、仕事をしているか、マーベルのことを考えているかの3択である。
そんな私にマーベルの新作映画なんてぶつけようもんなら、もうマーベルの事を考えている時間が普段の8倍になってしまう。誰か私にご飯を食べる時間を与えて欲しい。しかしこの映画をまだ観てない人がこの記事を見る可能性も考慮し、内容には一切触れないでおくとして、そしたらもう何も書くことがないので困っているのである。
そこでiPhoneのメモ帳に書き溜めて置いた下記の話のどれかを抜粋して何とか今週を乗り切ろうと思う次第だ。
①夢で米津玄師の前髪をパッツンにした話
②終電で帰ろうとする女に相撲を挑んだ話
③家の近くのファミマ行きすぎて店員さんがスナックのままみたいになってきた話
④好きと呼べる数少ないものの話
⑤隣に座ったおじいさんのイヤホンから漏れてくる音楽が絶対に幽遊白書の歌な話
公正な投票の結果、④をお願いしますという声が圧倒的多数だったので、そうすることにする。
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冒頭、というかこれまでにも何回か述べてきたが、私はマーベル・シネマティック・ユニバース(通称MCU)が狂気的に好きだ。オタクと呼んでいただいて差し支えない。もうそれがためにカリフォルニアディズニーに行く計画まで綿密に立てている男であり、吉岡里帆と宅飲みするか、クリス・エバンスとジョギングするかの二択を突きつけられたら、もう二つ返事でクリスエバンスと宅飲みをする男だ。MCUの前では、私の3大欲求は意味をなさない。知らない人も多いだろうからあえて説明すると、MCUシリーズは2008のアイアンマンを皮切りにシリーズをスタートさせ、個別のヒーローが映画をクロスオーバーし合い、その世界でストーリーが複雑に絡み合って、あれやこれやする、現在も進行形で世界を拡大しているシリーズなのである。今は、Disney+という媒体で連続ドラマを配信している。ありがたいことに、1月くらいからほぼ毎週のペースで新たなエピソードが更新されており、これが非常に日常の喜びというか生きる意味みたいなものを支えてくれている。ありがとうケヴィン・ファイギ(監督)である。
ここで強調したいのは、それがために明日を頑張れるように、「好き」は生きるモチベーションになることだ。というか、人生であらゆる行動を起こす唯一のモチベーションが「好き」なのではないだろうか。と、私は思っていたのだが、先日こんな話を友人にしていると
友人:
「いや、そうではない。世の中の多くの人は「"嫌い"を避ける」をモチベーションとして生きている」
と言うのだ。何だその喋り方は、えらく鼻につくな。と思ったがそう言ってやりたい気持ちはグッと抑え、拳を握りしめて、自らの胸をグーでドンッ!とやったら、彼はちょっと引いてた。
たしかにそう言われて考えてみると、思い当たる節がないではない。ポジティブな動機で動くと言うよりは、ネガティブなことが起こるのを避けるために行動を起こしていると受け取れるような人は意外に沢山いる。怒られたくないからこうする。死にたくないからこうする。貧乏だと思われたくないからこうする。モテないと思われたくないからこうする。そんなのばかりである。しかし、これではいただけない。他人の視線に右往左往させられ、振り回される人生ではないか。それを上回る狂信的な好きをエネルギーに生きる人が一人でも増えればいいのに、何がそんなに難しいのか、考えてみた。
友人:
「①食わず嫌いせずにいろんな物事に触れること②純粋な関心を寄せること③興味のないことに興味が無いときちんと自分の中でラベル分けをすること。じゃないかなぁ」
と彼は言った。お前はすぐ答えを出すな。つまらん奴め。と言いながら私はそのしなやかな指で器用に作り出したピースを使って彼の鼻の穴を突いた。
なるほど、たしかに言う通りだ。子供の頃、周りの大人が先回りして物事の良し悪しを代わりに判断すしてやる、着手することを制限する、ということは往々にしてある。しかし、放任主義というか、ある程度自由のきく子供時代を過ごしていると、身の回りで興味のあることにとりあえず首を突っ込んでみるということが可能だ。それが蓄積すると、未経験なことに踏み出す筋肉がつくというか、あまり恐れを知らずに大人になれる。まず、多様な物事に触れるというのは第一歩だ。次に、その中で「何か気になる」と思ったものに純粋な関心を寄せること。「純粋な」というのがポイントで、たとえば「ギターができるようになったらモテるかなぁ」「ワインに詳しかったらモテるかなぁ」「野球部よりサッカー部の方がモテるかなぁ」という下心に立脚した同期ではなくて、アホみたいに「うおおお、おもれぇぇぇ」という感覚のみに立脚する動機が非常に大事だ。この「純粋な関心」に気づく感覚も大人になると鈍ってくるので、これは自らで水をチビチビやりながら意図的に好奇心の芽を育てるしか無いと思う。③が結構深いとおもったのだが、「あれもこれも好き」という広く浅く好奇心を広げる人も少なく無い。ここで意識すべきなのが、時間とお金は有限であることだ。簡単な話で、一つの物事を深めようと思えば、そこに割く時間と資金を増やさねばならない。となると、対象は分散させずに可能な限り絞る必要がある。これができていないと、あれもやりたいこれもやりたいで、中途半端な入れ込み具合の物事がパラパラとできるだけで、それぞれについて中途半端な知識量で終始してしまって、「いやいや、あえて人様に好きだとアピールするほどでは...」となってしまう。
「好き」は好奇心を加速させる。好きレベル1の人が好きレベル2に上がるのにかかる時間よりも、好きレベル90の人が91に上がる時間の方が圧倒的に短い。ちょっとわかりにくいので、もう少し身近な例を出すならば、売上高1億円の会社が2億を達成するよりも、売上高1000億の会社が売上高1001億を達成する方がうんと早くて簡単である、といえばイメージしやすいだろうか。なので、好きレベル3くらいの物事をパラパラと同時並行で進めていくよりも、局所的に好きな物を絞ってそれを好きレベル50とか100とかまで押し上げて、一通りのところまで行ったら次の対象に移る、ということをしていった方が実は知識の蓄積が早かったりする。
同じくらいの年齢で、同じだけの時間と経済力なのに、自分よりやたらいろんなものに詳しかったり、いろんな経験をしてたりする人がたまにいるのはそういう資源の配分のうまさにミソがある。そしてそれゆえに人生を謳歌できていたりするのだ。畜生め。
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これが好き、あれが好きという明確な対象が無いと、人生が緩慢になる。特に何という粒だった楽しみがなければ、結局アルコールか異性かSNSで暇を潰すことに終始してしまう。だからお金を稼ぐモチベーションも高まらず、死なない程度に働く、怒られないように働く、というアンチ-ネガティブモチベーションで仕事をすることになる。そんな人生で死ぬ時に何か残せるのだろうかと思うと私は不安になる。
だから私は声を大にしてMCUが好きなことをしつこいくらい表明し続けるし、だからブラックウィドウを映画館で1900円払って見たその日の夜にDisney+で3300円課金して家でもっかい見るみたいな、アホなお金の使い方をしていたとしても許して欲しい。映画一本に5000円以上の支出はけっこうアホなことだと思うが、いいのだ、それで、いいのだ。
ちなみに、26年の人生でMCU以外に私を熱狂させたものには以下のものがある。
・ONE OK ROCK
・UVERworld
・FALL OUT BOY
・NARUTO
・BLEACH
・ハリーポッター
・バスケットボール
・松岡茉優
・M-1グランプリ
・ダイアン
この並びでダイアンと松岡茉優が明らかに異彩を放っているがまたいつか、お時間が許せばこの話も聞いてもらいたいものである。