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ショートショートその28『ごぼうたろう』/『ごぼうたろう』は単なる童話ではない。音の底に潜む静かな計画がゆっくりと動いていた……

昔々、とても小さな村に、おじいさんとおばあさんが、住んでいました。
おじいさんとおばあさんは、毎日畑仕事をし、静かな日々を 過ごしていました。
ある秋のひ、おじいさんが畑でごぼうを抜いていると、みごとに太ったごぼうの根元から、小さな男の子が生まれました。
おじいさんは驚いて、その子を「ごぼうたろう」と名付けました。
ごぼうたろうは、とても穏やかで物静かな子でした。
話すときの声はささやくようで、動くときも風のようにゆっくりと、そおっと…
(ここで一度深いため息をつく)
おじいさんとおばあさんは、ごぼうたろうの優しい性格に心を癒されました。
彼の瞳は柔らかく、その瞳を見ているだけで、まるで温かな毛布に包まれるような、心地よい眠気に誘われるのでした。
ごぼうたろうは日中、のんびりと畑の端で寝そべり、そよ風に揺られながら、ほんのり甘いごぼうの香りに包まれて…
(またゆっくりと、眠そうな息をつく)
おじいさんは、ごぼうたろうをひざに乗せ、ゆっくりと撫でながら、穏やかな昔話を語り始めました。
その声は、まるで遠くから聞こえる子守唄のよう…
(さらにゆっくりと、眠くなりそうな声で)
そうして、ごぼうたろうは、優しい風景に包まれながら、いつの間にか夢の中へと誘われていくのでした…


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運転席の助手席に置かれたスマートフォン。
童話『ごぼうたろう』が静かに、しかし確実に流れ始める。
午後3時45分。
国道17号線。
トラック運転手の佐々木健一(48)は、最初は純粋に興味を持っていた童話に耳を傾けていた。
ささやくような語り口。
穏やかな言葉たち。
目が重くなり始める。
まばたきが遅くなる。
高速走行中。
瞼が一瞬、完全に閉じる。
たった一瞬。
しかし、その一瞬が全てを変えた。
大型トラックは、ガードレールを突き破り、対向車線に飛び出した。
激しい衝突音。
金属のきしみ。
炎。
『ごぼうたろう』の語り手の穏やかな声は、事故現場に残された惨劇とは裏腹に、なおも静かに流れ続けていた。


交通事故が単なる事故ではない。
最初にそれを察知したのは、刑事・鳥居圭一だった。
死亡した佐々木健一のスマートフォンから回収されたデータ。
どうやらタイマーで童話『ごぼうたろう』が流れるように仕組まれていたようだ。
その『ごぼうたろう』の音声ファイルは、通常の童話とは違う、特殊な音響技術で作られていた。
催眠波形。
神経系に直接作用する周波数。
佐々木健一の過去を遡れば、彼は某大手運送会社の重役が関与していた汚職事件の重要な証人だった。
証言すれば、複数の企業幹部が有罪になる可能性があった。
誰かが、静かに、そして完璧に彼を葬り去ろうとした。
『ごぼうたろう』は、単なる童話ではない。
それは精密に仕組まれた、静かな暗殺兵器だったのだ。
(真相は、まだ闇の中にある)


佐々木健一が証言すれば大ダメージを受けるのは、運送会社重役の田中久雄。
佐々木健一の死の背後にいたのは、田中久雄に間違いないのだ。
そこまでたどり着いた時、課長の森本から捜査終了を告げられた。
「これは単なる事故じゃない。捜査を続けさせてください」
と言っても森本は取り合わない。
ただ「これ以上追及するな」と、その声には鳥居圭一の転勤、左遷の匂いすら感じられた。
「くそっ」
鳥居圭一は、机の引き出しから『ごぼうたろう』の音声データを取り出した。
この音源こそが、全てを暴く鍵になるはずだった。
「そういえば」
この音声データを作ったのは誰なのか?
鳥居圭一はその線から攻めることにした。


その突破口は、偶然にも一枚の古い音響研究論文から始まった。
佐々木健一の遺品を再調査中、鳥居圭一は異様に特殊な音響解析報告書を発見する。
論文の末尾に記された小さな引用。
学会誌の片隅に、篠田理恵の名前。
決定的だったのは、論文の音響波形データ。
『ごぼうたろう』の音声と酷似していた。
鳥居圭一は、篠田理恵について調べた。
篠田理恵は、軍事と福祉の狭間で活動する影の研究者。
(とにかく会ってみるしかない)
彼の執念は、音の痕跡を、静かに、しかし確実に追いめていた。​​​​​​​​​​​​​​​​


鳥居圭一は、篠田理恵の研究所を訪れた。
研究所の喫茶スペース。
篠田理恵がエスプレッソを一口啜る。
鳥居圭一が口を開く。
「篠田さんに聞きたいことがあります」
篠田理恵は微かに笑みを浮かべて、
「『ごぼうたろう』について、ですね」
先を見通された、と鳥居圭一は驚愕の表情を浮かべずにいられない。
「驚くことはありません。あなたが来ることは、とっくに分かっていましたから」
「つまり、全てを承知の上で」
「音は、証拠を消せます。しかし、音は同時に真実も語ります」
「単刀直入に言います。佐々木健一の死は、計画的な他殺です。あなたが関わっている『ごぼうたろう』を使った他殺です」
「『ごぼうたろう』は私の作った子どもです。善悪の判断のつかない子ども」
「それならば、親としての責任は感じませんか?」
「正義と犯罪の境界線は、あなたが思うほど単純ではありません」
「あなたは何のために『ごぼうたろう』を」
「喪失です。失ったものを、音で埋めること。それが私の使命なのです」
二人の視線が、氷のように鋭く交錯した。​​​​​​​​​​​​​​​​
篠田理恵は鳥居圭一の目を見据えたまま、
「あなたが追及すれば、失うものは貴方自身です」
「脅しですか」
「脅しではない。事実の告知です。この事件の真相には、あなたの想像を遥かに超える力が関与しています」
「軍関係者?」
「軍よりもっと深い。国家の闇に関わる人間たちです。貴方一人の正義など、簡単に消し去られます」
「つまり」
「貴方の家族。恋人。同僚。全てが標的になることを理解していますか?『ごぼうたろう』は単なる音響兵器ではありません。情報汚染の最先端兵器、それが、私のぼうや」
鳥居圭一の背筋に、冷たい汗が流れた。
篠田の理恵の瞳には、容赦なき冷徹さが宿っていた。​​​​​​​​​​​​​​​​


鳥居圭一が研究所を出た直後。
駐車場の薄暗がりで、突然後ろから両腕を掴まれた。
「おとなしくしていろ」
低い男の声。
鳥居圭一の耳元にワイヤレスイヤホンが装着される。
音量を調整する指。
そして、あの『ごぼうたろう』の音声が流れ始めた。
最初は抵抗した。
しかし、篠田理恵が開発した音響波は、人間の意志を超越していた。
ゆったりとした語り口。
穏やかな風景描写。
ごぼうの香りがする話。
彼の瞼が、徐々に、確実に重くなっていく。
「聞け」男は冷たく囁いた。
「お前にも『ごぼうたろう』を思い知らせてやる」
鳥居圭一の意識は、静かに、そして容赦なく侵食されていった。
最後に見たのは、高級な革靴。
警察の幹部が履くような一足だった。


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鳥居圭一が襲撃されたところまで語ったところで、おじいさんは気づきました。
「おやおや、寝てしまったか」
ごぼうたろうはいつの間にか、寝息を立てていました。
「正義とは、こんなにも複雑で、こんなにも儚いものなのだよ。いつか、最後まできちんと聞いて欲しいものだ」
おじいさんは、眠るごぼうたろうを見つめて、ほんの少し寂しそうに言いました。
「わしはこうして、いろんな正義について語っていく。そうして、鬼退治に行くかどうかは、自分で判断しなさい」


【糸冬】

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