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京都の夜行バスと、はもお姉様(京都府京都市ほか)

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京都へはその時の状況に応じて #飛行機 と #夜行バス を使い分けていた。
夜行バスは、 #宮崎 からの直行便もあったが、もっぱら #福岡 で京都行きの便に乗り換えることが多かった。
今の運行スケジュールはどうかわからないが、当時は、#北九州市 は #和布刈パーキングエリア で消灯、そのまま #関門海峡を渡り、 #山陽 を東上、#兵庫県 は #三木サービスエリア で起床時間、というスケジュールだったように覚えている。
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そろそろ三木というところで、バスのフロントガラスから朝日が大胆に入って来る様は、これから京都を中心とした関西エリアで、どんな楽しいことが待ち受けているか、ワクワクさせるに十分な光だった。
三木を過ぎると、バスは #神戸 #大阪 と止まり、終点京都に着くのは朝8時くらいだっただろうか。
神戸では少年と父親が下車したのを覚えている。
#高校野球  を観戦するためだそうだ。
その少年は今頃、立派な #高校球児 になっているだろうか。
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朝の京都に着き、余裕があれは #京都タワー 地下の #銭湯 でさっぱりし、京都市中に繰り出す。
その銭湯も閉店らしい。
#京都駅  前で場所もよく、スーツケースが入るロッカーもあり、旅人が使いやすい銭湯だった。
寂しい限りだ。

さて、帰りの便だ。
これまでA社の夜行バスを使っていたのだが、その時はたまたまB社の夜行バスを使うことになった。
いつも乗り降りする京都駅八条口近くの乗り場で待っていたが、時間が近づいていても他の乗車客の姿が見当たらない。
時刻表を見ても自分が乗る予定の便の記載がない。
そこで切符売り場のお姉さんに聞いてみると、
「これはB社ですから、向こうですね」
そう、今考えると当たり前だが、運行会社が違えば乗り場も違うわけで、B社の乗り場はそこから肉眼で目視出来るものの、数百メートル離れた場所にあったのだ。
あの時は走った走った。
すんでのところで京都に残るところだった。
B社のバスを利用したのはその1回きりだが、その乗り場のエピソードと、乗車1時間経たないうちに腰が痛くなった、その乗り心地の悪さとで、鮮明に覚えている。
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帰りの夜行バスを待つ間、京都駅でお土産を買ったり腹ごしらえをしたりする。
忘れられないのが、#はも 。
京都の郷土料理を食べたいと思っていたのだが、そもそも京都ならではの料理は、例えば #鴨川 沿いのお座敷で優雅に食べるような高級料理がほとんどで(いや、ちゃんと調べればまだ庶民的な料理もあるのかもしれませんよ)、滞在中に食べたのが、牛丼やお好み焼き」ラーメンといったようなもの。
「せめて一度は京都の食べ物を」
と決意して、京都駅をうろついたらあった。
はものお寿司が。
値段に驚いた。
隣の #鰻 のお寿司よりもお高くなっている。
世の中に鰻よりも高い食べ物があると思い知った初めての経験で、普段、
「あたしと付き合いたい? いい根性してるわね」
とわがままでお高く止まっている鰻お姉さんが、とても良心的な人物に見えたのだが、一度京都らしい食べ物に挑戦すると誓った身、
「うふふふふ、はもですが、何か?」
と、あの鰻お姉さんが引け目を感じるような天然令嬢の佇まいを見せるはもお姉様を購入した。
味は、よう覚えてない。
人間の舌は、あまりに高級な料理だと味覚の機能が壊れてしまうのかもしれない。
そんなはもお姉様との思い出を残すつもりではないが、そのはも寿司の厚紙製の包装ケース(寿司自体はビニールで包まれていたので汚れていない)は、その丈夫さからしばらく小物入れとして使っていた。
あぁ、みみっちい男だと言えばいいさ。

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