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文藝春秋とPENTHOUSE

(体験談は前半。本論は中段太字以降です)
(書評や倫理観に関する記事ではありません)

幼少の頃から書店が大好きでした。書店主も寛大で仲良し。毎日長い時間入り浸ってました。

田舎の書店はスペースに限りがあるので、雑誌や書籍は限られた数しか置けません。確実に欲しい定期刊行物がある場合には、書店に定期購入の予約を入れておいて、奥の棚に取っておいてもらうのです。
(購入や定期購読が全てウェブで完結できる現在でも、まだこの仕組みは残っています)

書店滞在時間が長いので、そこには当然知っている顔ぶれが書籍の購入に訪れます。その中には仲の良い友人の父親もいました。

いつも書店主と会話をしているために、レジで購入する際の書籍がいやでも目に入ってしまいます。友人の父は店主に「いつものやつ」と告げて月刊文藝春秋とPENTHOUSE日本版を定期予約で購入していました。

PENTHOUSE日本版は、今は刊行されていませんが、当時は講談社が発行していた外国人モデルを中心とした露出度の高い雑誌です。

当時小学生であった友人が一度だけ、PENTHOUSEについて父親に購入の動機を聞いたことがあるのですが、「子供が大人のことに口出しをするな!」と烈火のごとく怒られたのを聞いた記憶があります。

文藝春秋は来客を通す居間の本棚に毎号綺麗に並べられて鎮座していました。子供心にも当然、PENTHOUSEの置き場所が気になっていたのですが見かけませんでした。

ある時に友人宅で家族が誰もいない時を見計らって「かくれんぼ」をしました。様々な場所に逃げ込むのですが、その時に偶然にも友人宅に大量に重ねられたPENTHOUSEを発見してしまったのです。

その場所は、友人の母親の部屋でした。

母親が取り上げたのか、それとも家の中で誰も勝手に入らない部屋と想定した父親が懇願して置き場所にさせてもらったのかは不明です。

もちろん、この事は友人との関係もありましたので、誰にも話すことはありません。万が一友人が再度怒られる境遇になってしまうのも嫌でした。

身近な友人宅でも様々な人間模様があるのだと当時は感じていました。

(母親の心情や子供に対する態度の善悪はこの記事では取り上げません)

好きなコンテンツを自分で選択することは大切です

この2つの雑誌は相容れないコンテンツですが、大切なのは 友人の父親が自分の好きなコンテンツをきちんと選択していたこと、それに対して対価を払っていたことです。つまり、自分の嗜好を価値あるものとして大切にしていたのです。

その組み合わせは、個々人で異なります。家庭画報とラジコンマガジンでも良いのです。

コンテンツは、自分の人生に大きく反映されるものです。幼少時には教育方針や指定図書、キッズ向け制限などにより、ある程度の規制をかけることが可能ですが成人してからは自分で責任を持ってコンテンツを選択する必要があります。

さらに本気で自分の嗜好を高めたいのであれば対価を払って手に入れることをお勧めします。

対価を払うことで、自分自身でコンテンツの取捨選択を行い、さらに良質なコンテンツに出会う確率が高まるので嗜好が研ぎ澄まされていくからです。

情報の海に溺れすぎていると感じている方は、少し参考にしてみてください。自分の人生を彩るコンテンツを自分自身で決めることは本当に大切です。それは、苦労や対価を払ってでも手に入れたいと思う価値あるものなのです。

頑なに二誌の予約購読をやめなかった友人の父親は、自分のアイデンティティの研鑽をこの二誌に託したのです。




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