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居場所とは何か

私は昔からきちんと部活に所属したことがなく、帰宅部専門の人間だ。

新卒で入った会社でも、女子の集団にはうまく入れなくて、本当ダメな奴だな思っていた。

それもあって、自分はすごく集団行動が苦手だという意識がある。
集団コンプレックスがハンパないのだ。

ひとりひとりの人と話すのは好きなんだけど、それが集団となると
「きっと自分は集団ではうまく馴染めないだろう」と思ってしまう。

だから今の働き方(パートタイムで小さなスタートアップのCEO専属秘書とフリーのライター)はすごく自分に合っている。基本的にはひとりひとりと向き合えばいいからだ。

仕事に関しては、この働き方ができることにすごく満足していて、最高だなと感じている。

人間関係を『居場所』という言葉で表した時に、その言葉から私は集団を想像する。『場所』という単語はなんだか私に複数を連想させるのだ。

するといくら私が今入っているオンラインコミュニティが好きだと感じていても、それは『居場所』とまでは言えなくて、私にはやはり家庭以外では『居場所』が無いんじゃないかと思っていた。なにせ集団への苦手意識がすごく高いから…。

定例会やトークイベントの2、3時間は行けても、子供達の関係上、その後の2次会には参加出来ないことがほとんどなことや、合宿や文化祭にはコミット参加をしたことが無いからかもしれない。これからも時間的制約状況はしばらくの間は変えられないと思う。

けどそれよりもなんとなく恐いのだ。せっかくこの人たちのことを好きなのに、もし自分がうまく集団の中に馴染めなかったら、疲れてしまったら、疲れさせてしまったら…と思うとなんだか恐い。

チームになるとうまく動けないであろう自分が社会不適合者である認識もあるし、巻き込み力は皆無だし、それでも日々を楽しく過ごせていることにありがたいな、こんな私でも楽しく過ごせていて、と思うんだけれども、やっぱりどこかで常にそのコンプレックスが頭の片隅にある。

そんな思いでずっといたんだけれど、今日とっちー(コルクラボの女神で私の敬愛)と話していたら、

「居場所って対象が集団・チームじゃなくて、ひとりひとりだとしても居場所なんじゃない?」

と言われてなるほど!と唸る思いと同時に、すごく心が軽くなった。

相変わらずなんていいことを言ってくれるんだとっちーは。

私は集団になるとうまくいかないかもしれないとのコンプレックスでいっぱいだったけど、ひとりひとりとは話していて楽しいし大好きなのだ。

この人好きだなぁと思う人が何人もいる。
チームで上手に動けるかはわからないけど、ひとりひとりそれぞれに好きな人がいる集まりを「居場所」と呼んでもいいんだなと気づけて、私はすごく嬉しくなった。

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書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)