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映画「セメントの記憶」 〜 建設・創造・再生を 破壊 とシンクロさせ、レバノンからシリアを描く物語

物語と書いたが、文字通り現実を描いたドキュメンタリー。シリア人が監督し、レバノン人が撮影監督を務めたという、レバノン・ベイルートの建設現場で働くシリア人(難民もしくは移民)労働者たちを通して長期化した内戦に翻弄されるシリアとシリアの人々を描いたその映画、「セメントの記憶」を観た。

かつて長らく(1975年 - 1990年)内戦があったレバノンで制作された、レバノンと、今も(2011年~ )内戦が続くシリアと、そして内戦や紛争に翻弄される人間の姿を伝える映画である。


セメントの記憶 〜 原題は Taste of Cement か

映画は 2018年5月にドイツで最初に公開されたようだが、日本でも昨年、全国の少なくない都市で劇場公開されている。筆者は、昨日、同映画のオンラインの「ベイルート・ファンド・レイジング上映会」を利用して観た。詳しくは後段の章でリンクを貼るのでそのリンク先を参照してもらいたいが、視聴料 1,000円は全てこの映画の撮影監督の今後の活動資金として使われるべく寄付されるという。

30日間のレンタルなので繰り返し視聴可能。1時間30分弱。筆者としては、映画の内容も実に素晴らしく、1,000円は決して高くない(つまり「払う価値は十二分にある」)と思ったことを、最初に記しておきたい。

監督はジアード・クルスーム、1981年シリア・ホムスの生まれ、映画制作を志す一方で内戦下のシリア政府軍に徴兵されていた2013年、レバノン・ベイルートに亡命、現在はドイツ・ベルリンに住んでいる。上で触れた撮影監督はタラール・クーリ、ベイルート在住のレバノン人で、撮影監督として欧米の多くの映画祭に出品、受賞経験があるという(次の章で若干触れるが、この映画を観る人は、重々しいテーマのこの映画の中で、夕日を背景にしたベイルートの街並みと地中海、ベイルートの夜景などに触れ、その眼を見張るような映像美を堪能することになる)。

淡々と、静かに展開していく映画である。言えばドキュメンタリーということになるのだろうが、よくあるドキュメンタリーの制作手法とはだいぶ違う。ここであまり詳しくは書かないが、ノンフィクションでありながら、(フェイクという意味とは全く異なる意味合いで)フィクションの物語であるかのような、そんな感覚を観るものに与える、ちょっと不思議な味わいのある映画だった。この映画を観た他の人たちはどう感じただろうか。少なくとも筆者はそんな感覚を覚えた。

リアルなのだが、(フェイクという意味とは全く異なる意味合いで)リアルではない。上手く言えないが、そういう奇妙な感覚を覚えるのは、一つには、観ている側が日本という、とりあえず内戦や戦争・紛争などとほど遠いところに存在していることになっている国で日々を過ごしているからかもしれないが、おそらくはそれは確実にあるのだろうが、他方で、その印象はこの映画の作り方自体、あるいはこの「物語」の語り口自体から来ているのではないかとも感じている。

淡々と展開し、作りものの物語のような起承転結なりドラマチックな「展開」を挟んでのハッピーエンドなり、要するにそういった動きのある「物語」では全く無いのだが、それでいて、壮大な物語を観ているような気分にさせられる映画。そんな映画でありながら、作りものの物語でなく、冷厳な現実を描いた物語としてきちんと観る側の胸に届いてくる映画。

解説らしい解説を目にせず、原題が何であるのかすら知らないままに観たのだが、観始めて早々に、原題は "Taste of Cement" であることを知った(厳密には原題はアラビア語のはずだが、おそらくこの英語のタイトルはアラビア語タイトルの直訳なのではと判断している)。見出しに書いておきながら、ではあるが、具体的には次の章で触れることにしたい。

セメントの記憶 〜 建設と破壊、創造と破壊の対比、破壊と再生を繰り返す人間の切なさ

先に書いておくと、この章の見出しに「対比」と記したが、そもそもが、1975年から足掛け16年もにわたって内戦が(断続的に)続いたレバノンの、映画が撮影された時点の「現在」(2017年頃ではないかと推測する)の建設ラッシュに湧くベイルートの街の高層ビル建設現場で働くシリア人の難民・移民労働者の姿を描きつつ、2011年に始まった内戦が今も終わっていないシリアという国と、シリアに生まれて現代を生きる人々の現実を伝えるという、この映画の作り方、舞台設定自体が、巨大な時間軸と空間軸を伴った「対比」になっているように思う。

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ところで、前の章の最後に書いたように、この映画の原題は "Taste of Cement", つまり、「セメントの味」である(先にも書いたように厳密には原題はアラビア語のはずだが、おそらくこの英語のタイトルはアラビア語タイトルの直訳なのではと判断し、その前提で書いている)。

Taste は味、味覚、好みや嗜好といった意味の他に、(最初の、もしくは僅かな)経験、体験、そして(経験がもたらす)後味などの意味で使われることもある言葉だと思うが、ここは素直に「セメントの味」という意味でよいのだろうと思う。以下に書く、瓦礫に埋もれていた時の「セメントの味」には後味といった意味合いも込められるのかもしれないが(ただしそれは死の味でもある)。

この映画が語る「セメントの味」とは、内戦中のシリアにおいて爆撃で破壊された建物の瓦礫に埋もれていたシリア人(今はレバノン・ベイルートの建設現場で働いている労働者)がその時に味わった「セメントの味」、それは要するに死の味、死の匂いがする「セメントの味」、そしてもう一つ、時代は遡り、現在はレバノン・ベイルートの建設現場で働くシリア人労働者がシリアの内戦が始まる前の(もちろんシリアの)故郷の街にいて、出稼ぎに行っていた外国の建設現場(それはレバノン・ベイルートだったりする)から帰って来た父親を家で迎えた時に感じた、父親の身体に染みついていた「セメントの味」、セメントの匂い。後者はある意味、前者とは対照的に「生」を象徴するものだったかもしれない。

映画では、こうした対比が非常に効果的に使われている。テーマは重く、そして映画の作りに不自然さが全く無いので、観ている最中に「効果的」とか「手法」といったことはさして想起されないのではあるが(括弧内で脱線するが、手法ということで言えば、映画の終盤で見ることになる、道路を走るミキサー車のミキサー部分が回転するのに合わせ街の風景を回転させて見せていくような、細かい演出もあった。ただし、制作上の「手法」、撮影・編集上の「演出」と言っても、嫌らしさのようなものは全く無い)。

以下に書く対比は、しかもそれぞれをシンクロさせながら、つまりそれぞれを殆ど同期させるようなかたちで描かれていくので、尚のこと強烈に印象に残ることになる。

・レバノンのベイルートの建設現場における「建設」と、おそらくはシリアのアレッポ(または監督の故郷であるホムスかもしれない)の街における内戦による「破壊」。

・前者の建設現場のビルの高層階でのクレーンの動きと、後者の廃墟の街を疾走する戦車に搭載された戦車砲の動き。

・前者の建設現場の工事の音と、後者の内戦の街で轟く攻撃と破壊の音。

こうした対比、あるいは対照的なものの同期、シンクロニシティのようなものを通して、つまり建設や復興・再生と、一方での破壊が対比されていく中で、場所は違えど創造と破壊を繰り返している人間という存在の切なさが、重たく、しかし静かに伝わってくる。

対比と言えば、それは上に挙げたような事柄だけではない。この映画ではベイルートの夜景や、あるいは夕日を背景にしたベイルートの街の地中海沿岸部などの美しい光景が映し出され、それは眼を見張るほどの美しさなのだが、一方で「シリア人労働者は夜7時以降 外出禁止」とする横断幕が映され、彼らが外国人労働者として差別的な環境に置かれていることが伝わってくるシーンがあったり、そもそも全編を通して、朝から夕刻まで建設現場のビルの高層階で厳しい労働を続けながら仕事が終われば水溜りが目立つ地下での生活現場に戻っていく労働者の様子が繰り返し描かれ、映画を観終わると、美しい地中海やベイルートの街と彼らシリア人労働者の過酷な労働環境・生活環境が強烈な対比で描かれていたことを、改めて感じることになるのだった。

途中、我々は昼間はベイルートの街を見下ろして過ごし(高層ビルの高層階の建設現場)、仕事が終わればベイルートの街の下(文字通り地下)で暮らしていると思っていたが、実は昼も夜も、ベイルートは(「レバノンは」だったかもしれない)我々の上にあるのだと気づいた、といった趣旨の言葉が語られるシーンがある。今の彼らの存在、母国シリアと異国・隣国レバノンの狭間で、破壊や戦争と再生や建設の狭間で生きる彼らの「生」の位置が、象徴的に語られていると感じた。

ベイルートの建設現場で使われる FIAT-HITACHI, DAEWOO といった日本(日系)や韓国のメーカーの建機、そのロゴも大写しにされ、人間の顔は見えなくとも少なくとも企業や機械、製品などではプレゼンスを感じさせる日本という国の在り方を「垣間見る」ことにもなるこの映画、ともあれ、映画が終わる時にそのエンドロールが流れる中で見る "Dedicated to All Workers in Exile" という言葉は、実に重たいものだった。

なお、最後に一点、そのエンドロールの中に Special thanks to White Helmets という表記があるのに気付いたのだが(1時間5分過ぎ辺りからのシリア、おそらくはアレッポかホムスの街の爆撃現場での瓦礫からの救助シーン、その実写部分などは彼らからの映像提供かもしれない)、ほんの少し、文字通り少しだけ触れておくと、White Helmets については世界に様々な評価があって、ノーベル平和賞に推す人々がいる一方で、ネガティヴな評価を下す人すらいる。この問題はかなりデリケートな問題で、これに深入りすると、今日のこの投稿で紹介したこの映画の素晴らしさやその本質から離れてしまって、ややこしい議論の迷宮のようなものに入り込む恐れがある。いずれにしても、この映画が訴えるものはシリア政府側、反政府側といった二項対立のレベルを遥かに超えたところにあるので、その意味でもここでこの議論にこれ以上触れる必要はないと思う。

繰り返しになるが、シリアの政治情勢は、2011年から続く内戦にロシア、イラン、トルコ、アメリカ合州国、イスラエル、IS(「イスラム国」)といった諸外国・外部勢力が介入することで非常に複雑なものになっており、その評価は一筋縄ではいかない。

はっきりと書いておきたいのは、映画「セメントの記憶」は、そうしたシリア情勢を見る時の「政治的な」難しさを超えたところで、見る側に強く訴えかけるものがあるということである。

セメントの記憶 〜 ベイルート・ファンド・レイジング上映会

この映画は、今現在、以下のリンク先でレンタル購入することで観られる。本投稿の冒頭でも書いたが、30日間のレンタル期間中繰り返し視聴可能。支払った料金 1,000円は全て、この映画の撮影監督の今後の活動資金として使われるべく寄付される。

なお、筆者の場合がそうだったが、クレジットカードが JCB の人は要注意。そこは言わせてもらうと Vimeo の案内が不親切で、筆者の場合、繰り返しクレジットカード情報を入力してもはじかれるのでググって調べたところ、Vimeo は JCB による支払いを受け付けないことがわかり、もう一方の支払い方法である PayPal を利用して支払いを済ませ、映画を観た(筆者は 4年ほど前、切っ掛けがあって PayPal のアカウントを作っていたが、クレジットカードが JCB だけの人で PayPal アカウントがない人は、PayPal に登録する必要がある)。 

なお、現在ここでこの映画のレンタル視聴のために上記の支払いを済ませると、ボーナス・フィルムとして、同映画のシリア人監督と日本人俳優・映画監督のヴォイス・メッセージ往復書簡を紹介するショート・フィルムも別途、観ることができる。これもなかなか良かった。

余談 1 〜 「日本では報道されないレバノンの真実」

先月下旬に 4夜連続で行なわれていた、「日本では報道されないレバノンの真実」と題するオンライン・イヴェントについて紹介したもの。

余談 2 〜 レバノン内戦、シリア内戦、2016年12月の東京、1983年のシリア・アレッポ、ダマスカス、パルミラ 

本投稿で取り上げた映画「セメントの記憶」の中では直接的には語られないし描かれないのだが、この映画の中でシリア人の難民・移民労働者が働いているレバノンという国では、1975年から 1990年にかけての長期にわたって内戦があった。

一方、レバノンの隣国シリアでは、2011年に始まった内戦が、今も続いている。2016年12月の当時の反政府側の砦としてのアレッポ(首都ダマスカスと並ぶシリアの大きな都市)の陥落により政府側はほぼ全土を掌握したが、トルコとの国境に近いイドリブ県の県都イドリブは今も反政府側の諸派が入り乱れて存在、おそらくは諸派による混沌とした支配が続いており、そこに政府軍の制圧から逃れたシリア人難民が住んでいる(筆者の想像を混えて言えば、彼らの多くはおそらく、上に述べた反政府の諸派のいずれかを支持しているというわけでもないと思う)。シリア国内の文字通りの内戦そのものも終わっていないが、反政府側についたシリア人や、あるいはどちらにつくということでもなかったが戦禍を逃れ国を脱出する他なかったシリア人が難民となってレバノン、トルコ、あるいはドイツなどの欧州諸国等、諸外国で暮らしており、シリアの政治情勢を巡る対立・紛争は根本的な解決には程遠いのが現状である。

以下の写真は、2016年12月18日、シリアではアレッポが陥落しようとしている時期だったが、妻と一緒に六本木や渋谷での "Save Syria", "Save Aleppo" を呼びかける集まりに参加した時に撮ったもの(以下は共に渋谷)。

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筆者は 1983年4月から 1984年2月にかけて当時の言葉で言う海外「貧乏旅行」(近頃もこの言葉があるのか知らない)をしたのだが、1983年の 9月5日から 19日にかけての 2週間はシリアにいた。当時のソ連と欧州諸国を旅し、ギリシャからトルコに移り、トルコ国内を旅した後、陸路でシリアに入った。シリアの後はヨルダン、パレスチナとイスラエル、エジプト、再びトルコ、続いてイラン、パキスタン、インド、タイ、韓国を旅して日本に戻ったのだが、シリアでは、アレッポ、パルミラ、ダマスカスの 3箇所に滞在した。

以下はその時の写真の一部。

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(アレッポのシタデル (城塞) 跡)

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(アレッポのスーク (市場) )

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(アレッポのスーク (市場), この女性たちや少年が 37年後の今もアレッポかあるいはその他のシリアの街か、あるいは外国でもいいから、元気に暮らしていることを願わずにはいられない。)

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(ダマスカスのスーク, 彼らが今も元気で暮らしていますように)

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(ダマスカスのスーク, 彼らが今も元気で暮らしていますように)

みんな元気でいてほしい。既に10年近く続いている内戦の実態を報道やネット上の様々なチャンネルで知る者として、「みんな元気で」という願いと現実との間には深い暗闇があることを認識してはいるのだが。

以下は、ダマスカスのモスクで撮った 2枚と、市街で撮った 1枚。

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以下は、アレッポからダマスカスに行く途中で寄って滞在したパルミラの、遺跡で撮った写真の一部(遺跡は残念ながら 2015年と2016年から2017年にかけてパルミラを制圧したイスラム過激派組織 IS(「イスラム国」)により相当数が破壊されたと伝えられている)。

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パルミラで撮った写真は、この他の 10枚余と合わせ、本年 9月11日付の「シリア、パルミラの古代都市の遺跡で 23歳の誕生日を迎えた、37年前の 911 ... (後略)」というタイトルの投稿の中で掲載した。

その投稿では現在のシリアの政治情勢について触れたり、本章の冒頭部分で触れた2016年12月18日の六本木や渋谷での "Save Syria", "Save Aleppo" を呼びかけた集まりの時の写真なども掲載しているが、タイトルにある通りで、自身の還暦に因んで投稿テキストの前半はシリアとは全く関係ないことばかり。というわけで、今日のこの投稿の中でリンクを貼るのは何やら相応しくないものを感じるので、リンクは残さない。関心がある方がもしおられれば、私の note の「ホーム」を表示して、そこから探してください。

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