見出し画像

いま改めて注目されるイスラエルの歴史家・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏、彼の「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論は本当に称賛され、歓迎されて然るべきものなのか。

これまでの著作の累計が2,000万部を超え、近年になって多くのメディアから世界的な歴史学者・哲学者と見做され、「知の巨人」とまで呼ぶ向きがあるユヴァル・ノア・ハラリ氏、彼がアメリカ合州国の TIME, イギリスの FINANCIAL TIMES (当然ながら同じテキストが掲載されたわけではありません) など複数のメディアに発表した「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論が、国際的な注目を集めています。ウイルスが日本でも猛威を振るう只中、諸外国だけでなく、これまでも時折り日本のメディアに登場していた彼の今般の「グローバル化がパンデミックをもたらすというが、実は今こそグローバルな協力が有効だ」と訴える主張は、近頃、日本国内においても、様々なメディアにおいて度々取り上げられるようになっています。

メディアでの彼のその論考の紹介のされ方を見ると、基本的に、例外なく肯定的であるように思われます。日本国内の相当数のメディアが既に彼の論を取り上げているのではと想像していますが、ほぼ間違いなく、全て、もしくはほぼ全てが全肯定・称賛・歓迎一色なのではないかと考えています。

私が自身でたまたま目にしたのは、テレビ番組では TBS の「サンデーモーニング」、「ひるおび!」、新聞では朝日新聞。前二者については、番組で取り上げた際の文脈からして、彼の「コロナ」論考が肯定的に紹介されたのは自然な流れではあると感じました。

しかし、後者、朝日新聞については、ユヴァル・ノア・ハラリ氏への電話インタビュー。インタビューである以上は、私が前々回の note 投稿(後段でリンクを置きました)で氏の「コロナ」論考を取り上げた際に指摘したような、彼が最近発表したテキストから仮にも日本の一応はクオリティ・ペーパーの類に分類されることもある同紙ならば(私自身はそう思っていませんが推察するに世間の一部の評はいまだそんな感じ)容易に感じ取ってもいいと思われる疑問点について、それを全く質していない、その姿勢はジャーナリズムのあるべき姿とは思えないという点で「いただけない」ものだと思っています。

前段で触れたように、前々回の note 投稿では、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論に関し、TIME に寄稿されたテキストをもとに、同意できる部分(の一部、テキスト全体のトーンには基本的に同意しており一部を引用しただけです)と、大いに疑問を感じる箇所のそれぞれを紹介し、私自身の考えを合せて書きました。

私自身は、彼の「コロナ」論考が多くのメディアで全体として肯定され、あるいは称賛される一方で、おそらくは全てのメディアもしくはほぼ全てのメディアでの彼の「コロナ」論紹介の中で、いわゆる「パレスチナ問題」に関する多少なりともの知識がある人間ならば、あるいは少なくともジャーナリズムを標榜していると思われるメディアならば、本来は気づいて然るべき彼の論の文脈から透けて見える彼の姿勢、アティテュードに関する疑問点が抜け落ちてしまっているのではないかと思っています。その意味で、前々回の私の note 投稿は、率直に言って、もっと多くの人に注目してもらいたいと考えるものです。

件の投稿テキストは、投稿してから既に 3週間以上経過しました。note 利用を昨年 9月11日に始めて以降、いまだ自分が投稿したテキストの PR をどうしたらいいのか、いいアイディアを持ち合わせていませんが、私のように全く「有名」でなく、且つネット上に人脈のようなものを持っていない人間の投稿は、日々多くのテキストが投稿される中でどうしても埋もれていきがちです。前々回の投稿については現時点で 3人の方から反応をいただいているに過ぎないのですが、読んでいただければ、訴える部分が十分にあるものだと理解していただけるような内容になっていると、自身では文字通り「自負」しています。今後、より多くの方の目に留まることを期待しています。

要点は上にリンクを貼った前々回の note 投稿テキストに書いた通りで、読んでいただければと思っているので重ねては書きませんが、テキストの中で指摘したユヴァル・ノア・ハラリ氏の「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論の中にある大いなる疑問点に関連する記事へのリンクを、以下に残しておきたいと思います。

ヘッド(タイトル)は "Israel Shuts Palestinian Coronavirus Testing Clinic in East Jerusalem", そしてリードに "Clinic in Silwan raided, activists arrested because kits were provided by the Palestinian Authority" と記載されている、今から 1週間前、4月15日付のイスラエルのメディア Haaretz による記事です。

そもそも東エルサレムは、1967年6月のいわゆる「第三次中東戦争」(イスラエルや欧米諸国のメディアにおいては一般的に「六日戦争」と呼ばれています)によってイスラエルがパレスチナ 人から奪った土地(東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区全体とガザ地区)の一部であって、イスラエルが同年11月22日に採択された国連安保理決議第242号に違反しながら半世紀以上にわたって違法占領し続けている場所です。

そして、Palestinian Authority とは日本語でいうところの「パレスチナ自治政府」。残念ながら、イスラエルの軍事占領は今も続いており、更にイスラエルは占領地内にユダヤ人(イスラエル人)入植地を建設し続けるという、これまた国際法違反の愚行をし続けており、パレスチナ人による「自治」は殆ど名ばかりのものになっています。おまけにイスラエルは東エルサレムを含むエルサレム全土をイスラエルの「首都」だとして一方的に宣言してしまっており、アメリカ合州国がトランプ政権になってから、元はテルアビヴにあった在イスラエル・アメリカ大使館をエルサレムに移転するという暴挙に出てしまっていることも、世界の多くの人に知られている通りです(残念ながらこの事実を知らない、もしくは忘れた、そして「パレスチナ問題」の本質や歴史についてあまりに無知な人が、メディアや自称ジャーナリスト達にすら多いことも憂うべき実態としてありますが)。

要するに、今回の新型コロナウイルスのパンデミック危機下においても、そのウイルスとの闘いに関わることにおいてすら、イスラエルによるパレスチナ人弾圧はとどまることを知りません。記事を一つだけ紹介しましたが、これは珍しいものでは全くなく、同種の様々な、そして多数の記事がこの間、多くの中東関連のメディアに掲載されています(アメリカ合州国のメインストリームのメディアではほぼ常に無視されますが)。

これはやはり 1週間前、4月15日付の朝日新聞に掲載された、ユヴァル・ノア・ハラリ氏への電話インタビュー記事です。有料会員限定記事ですが、現在、同紙は「新型コロナウイルス」に関する記事に関しては無料会員向けにも公開しており、その中の記事なので、無料会員でも記事全文を読むことができます(私自身は無料会員です 注1)。

この記事の中で、彼が、「重要なのは、監視の権限を警察や軍、治安機関に与えないこと。独立した保健機関を設立して監視を担わせ、感染症対策のためだけにデータを保管することが望ましいでしょう。そうすることで、人々からの信頼を得ることができます。たとえばイスラエルでは、警察による監視をすれば、少数派のアラブ人からの信頼を決して得ることができません」と述べるくだりがありますが、この「少数派のアラブ人」とは、「少数派」と形容している以上、イスラエルの 1967年以前の領土内に住むアラブ人(イスラエル国内のアラブ系イスラエル人、パレスチナ人でイスラエル国籍を持つ人たち)を指しているものと思われます。

イスラエルは、1967年以降のイスラエルによる違法占領地に住むパレスチナ人に対して、軍や警察による監視を徹底的に行なっているわけですが、彼らの医療環境はイスラエル人と比較して明らかに劣悪であり、且つ彼らの「新型コロナウイルスとの闘い」は、当然ながら彼らの隣人であるイスラエル人のその「感染症との闘い」に対しても大きな影響を与え得るものです。ユヴァル・ノア・ハラリ氏はその点について他の「コロナ」論考のテキストにおいても全く語っていない、もしくは語ろうとしないので、彼の考えは定かではありません。彼の語り方、語り口次第で、「パレスチナ問題」、パレスチナ人の基本的人権に対する彼の姿勢が根本的に問われる可能性もあるわけですが、このインタビュー記事でもそこは抜け落ちています。もちろん、このインタビューの大テーマのもとでは核となる議題でないことを理解していますが、彼の論における主張、文脈からすれば、全く触れないのはいかにも不自然だとは思います(その理由は下にも書いていますが、もっと具体的には前々回の note 投稿テキストの中で詳述しました)。

一方で、「グローバルなセーフティーネットが必要です。一つの国が崩壊すれば、誰もが苦境に陥る。混乱が生まれ、暴力や移民の波が起き、世界中が不安定になる」と語る部分がありますが、この時、彼の頭にはイスラエルが違法占領し続けている東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、そこに住むパレスチナ人のことが微かにでも浮かんでいるのかどうか。あるいはイスラエルがやはり違法に封鎖政策をとり続けているガザ地区、そしてそこに住むパレスチナ人についてはどうなのか。

彼はフランスの歴史学者・哲学者でもなければ、日本の歴史学者・哲学者でもありません。イスラエル人の学者なのです。彼の「新型コロナウイルスと人類との闘い」論において、そこで彼が主張する文脈において、彼の母国イスラエルが不法に占領し、あるいは封鎖し続けている土地に住む、イスラエルが数十年にわたってその人権を弾圧・抑圧し続けている一方でイスラエル人の「隣人」とも言えるパレスチナ人のことが念頭にないのであれば、少なくとも彼の学者としての良心と、その論理展開における知識人としての誠実さに関しては、厳しく問い質されなければなりません。

また、「感染は中国から始まり、東アジア、欧州、そして北米へと広まった。最悪の事態は感染が南米、そしてアフリカや南アジアに到達した時に起きるかもしれません。イタリアやスペインが医療体制の問題で流行に対処できていないとすれば、エジプトの体制はスペインよりもはるかに悪い。経済についても同じです」と語る部分。

イスラエルによる14年間にわたる違法な封鎖政策によって「世界最大の強制収容所」などと形容されるガザ 地区、そのガザ地区に住むパレスチ人たちは、ユヴァル・ノア・ハラリ氏がここで例として挙げているエジプトよりも更に、そしてはるかに悪い医療体制、医療環境のもとでの「新型コロナウイルスとの闘い」を強いられています。

長年のイスラエルによる完全封鎖政策によって、ガザ地区への医薬品を含む様々な物資の搬入が妨げられているため、同地区では、不足というより枯渇という表現が妥当であるほどに医薬品が足りなくなっているのです。前々回の note 投稿テキストにも書いた通り、それだけでなく、今世紀に入ってからの度重なるイスラエルによる爆撃によって、同地区の病院の設備は機能不全に近い状態に追い込まれています。

さて、このインタビュー記事は、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の以下の言葉で締め括られます。

「悪い変化も起きます。我々にとって最大の敵はウイルスではない。敵は心の中にある悪魔です。憎しみ、強欲さ、無知。この悪魔に心を乗っ取られると、人々は互いを憎み合い、感染をめぐって外国人や少数者を非難し始める。これを機に金もうけを狙うビジネスがはびこり、無知によってばかげた陰謀論を信じるようになる。これらが最大の危険です」

「我々はそれを防ぐことができます。この危機のさなか、憎しみより連帯を示すのです。強欲に金もうけをするのではなく、寛大に人を助ける。陰謀論を信じ込むのではなく、科学や責任あるメディアへの信頼を高める。それが実現できれば、危機を乗り越えられるだけでなく、その後の世界をよりよいものにすることができるでしょう。我々はいま、その分岐点の手前に立っているのです」

ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、イスラエル国内(1948年の同国「建国」と直後の戦争以降、1967年以前の同国の領土内)に住むアラブ系イスラエル人(パレスチナ人)だけでなく、イスラエルが 1967年以降違法に占領もしくは封鎖し続けている東エルサレムおよびヨルダン川西岸地区、ガザ地区に住むパレスチナ人たちの人権や民族自決権などについて、そしてイスラエルの違法占領地における違法入植地建設という、二重に違法とも言えるような国際的に非難され続けている入植政策について、またイスラエルによるパレスチナ人家屋の破壊について、それらについて何を考えているのか、何を語るのか、イスラエルとパレスチナの関係はどうあるべきと思っているのか、彼の「立派な」言説については、今後ともそうした視点に関わる部分を決して忘れることなく、注視していきたいと思っています。

最後にあらためて。

今日の note 投稿のタイトルは ー いま改めて注目されるイスラエルの歴史家・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏、彼の「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論は本当に称賛される、歓迎されて然るべきものなのか ー としました。

前々回の note 投稿テキストに書いたことですが、一言で言えば、全体として、彼の主張、論考は傾聴に値し、世界の多くの国の責任ある政治指導者たちが文字通り耳を傾けるべき有意義な内容を持ったものだと思っていますが、例をあげれば、(イスラエル政府の外交政策上の敵対国である)イランの人々に「より良い医療」を提供することは、「イスラエル人やアメリカ人を感染症から守る役にも立つ」と主張する彼が、イスラエルによって数十年来その人権を弾圧し続けられ、民族まるごと抑圧され、結果として劣悪な医療環境、生活環境に置かれているパレスチナ人について、イスラエル人の隣人である彼らの「より良い医療」環境を保障することが「イスラエル人を感染症から守る役にも立つ」、そういった文脈上におけるレベルですら、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が彼ら「パレスチナ人」への言及をしないことについては、大いなる疑問を感じざるを得ません。

注1: 今日の投稿はこれで終えますが、上の段で、朝日新聞のネット上の記事について、「私自身は無料会員です」と書きました。私は 1979年4月の大学入学以来、37年余にわたり購読した「朝日新聞」の購読を、2016年末をもって止めています。その理由について言及している note 投稿がありますので、以下にリンクを付しておきたいと思います。ただし、やや長い投稿文です。

最後の最後です(笑)。ボブ・ディランの不都合な真実(2)へのリンクを付けた以上、(1)に当たる note 投稿へのリンクも残して、今日の投稿を終えることにします。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?