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そのかわりと神は言った。「おまえたちに空っぽをあげよう」

今日はこれでもう 3つ目の投稿。夕方か夜くらいまでには、更にあと 2つ投稿すると思う。一つは「自殺を図った日本人の少女を日本語を話せない滞日中の外国人研究者が救った」ことについて。もう一つは、おそらく、「人間の体温が感じられない日本 ー 日本の船の座礁によるモーリシャス環境破壊とレバノン爆発にみる、日本の国と社会の凄まじいまでの冷たさと他者への無関心」というようなタイトルで、しかしたぶん(筆者にしては、かな)そう長くない投稿をすると思う。

この今日 3つ目の投稿で取り上げる詩(厳密に言うと漫画の物語の中で使われる詩)は、人間が自殺するという行為に関わるものだけれど、おそらくあの詩そのものは、あの詩だけでこれから自殺しようとする人のその行為を止めさせるような、その種の力は持っていないと思う。それと、筆者自身は過去に、人が自殺という行為で「解決」させようとする類の「人生のポケット」に何年間にもわたって嵌まり込んだことがあるが、しかしそれでも、幸い(幸いというべきだろう)自殺しようと考えたことは一度もない。

ただ、厳密に言うと、自分の家の台所に行って、包丁で自分の首を掻くことを想像したことは一度ならずある。しようとしたのでなく、想像した。平たく言えば、そういう「気分」に陥った。もう一つついでに言うと、自殺しようと思ったことはなくとも、上に書いたような気分とある程度以上に関連することではあるが、いわゆる「過労死」というものによって死に瀕したことならある。これは文字通り、些か「ついで」の話。

先に書いたように、下に掲載する詩は、自殺しようとする人のその行為を止めさせるような、そんな類の力はないものと思うが、しかし一方で、上に書いたような「人生のポケット」に嵌まり込んでいた長い間、筆者をより「生きる」気分にさせていた幾つかのものの一つではあった。

マイページのプロフ欄にも書いているが、筆者は無神論者。「神」なるものを信じていない。ただまぁ実際のところ、訊かれれば「無神論者」だと答える自分だけれど、それも Facebook を英語でやってる自分が何か経緯があって英語で訊かれたら(あるいは言う必要があった場合に) "Atheist" と自称している程度で、日本ではそもそもアブラハムの宗教の信者のように硬くあるいは頑なに神なるものを信じている人は実は(比率的に)少ないから、日本人が相手の場合は、そんな肩肘張った言い方をせずとも、単に「無宗教」だと応じる程度で済ませる場合も多いと思う

とはいえ、生物学者リチャード・ドーキンス Richard Dawkins が言うような意味合いでの「(大義のために)闘志あふれる、積極的かつ果敢な」無神論者 Militant Athiest, 筆者はそういう文字通り思想的な無神論者ではある。Facebook には拙い英語で何度も書いていることだけれども、いずれ機会があったら、note 上にも具体的に投稿しようと思っている。 

やや脱線した 2段落だったが、そんな無神論者である自分ではあるけれど、これは好きな詩だ。

筆者は、18年ほど前に、自前のホームページ上の日記コーナーに掲載したとある日の日記の冒頭で、こんなことを書いていた。

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4年前 (つまり 1998年) に小林よしのりの「戦争論」がベストセラーになった時(私も買って、完読直後から書棚に逆さまにして置いてある)、多くの言論人がアレの批判をやった。その中で、宮崎哲弥というオバサン顔(?)の評論家が、対抗軸に位置する漫画を紹介していて、その論調に妙な説得力を感じた。一つは、水木しげるの「総員玉砕せよ!」。もう一つが、業田良家の「詩人ケン」。

ピストル自殺する老人が、引き金を引く直前に、詩人ケンにこう問いかける。

「ケンさん、あんたに宿題・・・  あーたの命より大切なものはなんですか」

その後に、詩人ケンは、こんな詩を書いた。

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生命 (いのち) より大切なものはない
生命 (いのち) より大切なものは何もないのだ
生命 (いのち) が生きてゆくために生きている

理想や目標は
地面に手を付き命乞いをしなさい
生命 (いのち) は本当にかけがえのないものだから
ずっと生きてゆくことです

そのかわりと神は言った
おまえたちに空っぽをあげよう

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(詩人ケンの詩はここまで)

さて、人間は空っぽだ。しかし、人間は空っぽではない。

生きていることは空っぽだ。しかし、生きていることは空っぽではない。
人は時に、死ぬことに理由をつけたがる。
人は時に、生きることの理由を欲しがる。

生きることに理由はあるのか。

生命 (いのち) が生きてゆくために生きていこう。空っぽに水を注いでいこう。幸にして、自分には生きていく理由「すら」あるように思える。生きていくことは簡単なことではないが、しかし、生きていくことは簡単なことだ。仏教徒ではないけれども、これじゃ禅問答かよ。

最後は唐突にこの曲で終わり。Stevie Wonder が 1976年にリリースしたアルバム "Songs in the Key of Life", あのアルバムの中で一番好きな曲は、自分の結婚披露宴(1988年, もう32年も前だけれど、神前も仏前もキリスト教会も当然のように全部嫌で、式はいわゆる披露宴の直前に同じ会場で人前式でやった)の時にも会場で流した、アルバムの一曲目 "Love's in Need of Love Today" なんだけれども、今日の投稿の最後は、アルバムのタイトルの "Songs in the Key of Life" にこだわった上で、"Sir Duke" ♫



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