初めましてALGSyear4から実況に加わりました? 原口大輝と申します。 こいつ何もんや?って人も多いと思いますので少しだけ自己紹介させてください。 現在はRadiotalkという音声配信の会社で働く一般会社員です。 週5で働いている普通のサラリーマンです。 元々は静岡放送というTBS系の放送局でアナウンサーをしており、昨年の3月で辞めて転職し東京にやってきました。 そこから本業はIT会社の平社員、副業はアナウンサーとしての毎日が始まります。 その中でもALGSと
お久しぶりです。 バースデーボーイこと原口大輝です。 1993年11月13日さそり座 本日で30歳となりました。 30歳… 30…さい?? ズシっときますよね… 20代に終焉を迎え、 アラサーらならぬジャスサーになり なにかカチッと切り替わったタイミングな気がします。 高校卒業して、甲子園に出場して、干支が一周回りました。 中学3年生の時に生まれた「いとこ」が中学3年生になりました。 時の流れとはそれほどまでに残酷です。 12年で何をやっていたか全く分かりません
2023年3月31日 SBS静岡放送を退社しました。 大好きなラジオで、大好きな「IPPO」で アナウンサーとしての終止符を打たせてくれたこと、感謝しかありません。 やり残したことなんて一つもありません。 そりゃクオリティに満足したかと言えばそうではなく もっと面白い放送 もっとうまい実況 もっとゲストを引き出す話術 数えればキリがないほどに実力はありません。 ただ色んな方に支えられて いい仕事を頂くことができました。 これは紛れもなく自分の実力ではなく ・いい
本日3月1日 そうです 「就 活 解 禁」 この言葉好きな言葉ですか嫌いな言葉ですか? 私は圧倒的に嫌いです。 なぜかというと ・来て欲しくない日が来てしまったという気持ち ・横一線でふるいにかけられている様な圧迫感 ・陰で同学年でやってきた努力を知る劣等感 様々な「自分で大丈夫だろうか」 というマイナスな気持ちが渦巻く日だからです。 私はアナウンサー職で内定を貰いました。 だけども就活がどうだったかと比べると 圧倒的に苦しかったです 就活の際は色々ありました。
本日2月17日のSBSラジオ「IPPO」内で 静岡放送を辞めるお話をさせていただきました。 突然の発表になり、大変申し訳ありませんが、 自らで下した決断なので後悔はありません。 会社を辞めアナウンサーを辞めます。 アナウンサーも5年目を迎えた中で 様々な経験をさせていただきました。 1年目はニュース以外ほとんどテレビに出られませんでした。 2年目になると「チョコナナ」が始まりました。 2年目の秋には「Soleいいね!」を担当するようになりました。 3年目は「IPPO」
昨年は格別 の御厚情を賜り、厚く御礼を申し上げます。 本年も何とぞ昨年同様のご愛顧を賜わりますよう、お願い申し、、、 あけおめです。 みなさんいかがお過ごしですか。 僕は元日恒例の親族の集まりに働いて初めて参加し、 「昼から酒飲むのきちー」って思って抜け出してきた所です。 ちなみに遺伝なのか父は僕よりもっと先にいなくなっていました。 2022年も終わり2023年になりました。 今年こそはと思う方も多いでしょう。 そういう僕も「今年こそは」と思っています。 けど
12月1日季節外れの陽気だった。 水分を含まない乾燥した空気と 暖かみのある日差しが印象的だった。 駿府城公園の中心で 彼女と横並びでベンチに座る。 周りには保育園に通っているであろう子どもが、 長袖一枚で鬼ごっこをしていた。 木々も枯れすっかり冬の景色だが、 日曜の昼下がりという 長閑で幸せな空間が広がっていた。 僕が座るベンチを除いて。 もう知っていた。 理解はしていた。 その言葉が紡がれることに。 冷徹で残酷な言葉だけど それを受け取るには要素が十分すぎた。
私は高校時代に宮崎の日南学園で野球をしていました。 高校は野球に没頭しました。 没頭しすぎました。 そこで何が起きたかというと 野球部を引退したときに 「次の進路どうしよう…」と悩みました。 当然です。 勉強していない人間が、勉強で進学できるわけありません。 野球しかしていない人間は野球で進学しないといけません。 しかし私はセンスがありません。 大学まで野球をやる気力もありません。 だから進学するには勉強を頑張るしかなかったのです。 そこで選んだのは専門学校でした。
はじめにこの小説はSBSラジオ「チョコレートナナナイト」の企画において私が2週間に一度のペースで書き続けた小説です。 8万字越えの大作ですが目を通していただけると幸いです。 なお、小説にしたときには縦書きだったのでそのまま漢数字を用いています。見にくいかもしれませんがよろしくお願いします。 1話 決して心地良い音ではなかった。がたんごとんと今にも壊れそうな音を発しているその物体は、不信感とは相反して安全に目的地へ送り届けてくれる。一両編成にも関わらず、両隣に誰もいない日常に
私の地元は宮崎県のえびの市という田舎町だ。 場所は鹿児島と熊本の県境にある。 宮崎県というお世辞にも都会とは言えない土地で、えびの市と口に出すと「ああ田舎じゃん」と言われる人口1万5千人ほどの所である。 そんなところで私は育った。 宮崎なのに薩摩弁を使い(旧薩摩藩のため) 宮崎県にいながら宮崎空港より鹿児島空港の方が近いという宮崎のアイデンティティを使えない土地で育った。 小学生のころは友達の家で遊ぶか公園で遊ぶ それくらいしか遊ぶ選択肢はなかった。 だから隣町の小
この前会社の会議に呼び出された。 理由としては 「原口くんゲーム実況しているらしいね?」 とのことだった(理由になってない笑)。 そんな理由で呼び出されていった会議 (ゲーム実況やってることバレた…か?) (なんだ台パンを配信中でしてたの怒られるのか?) などなど頭の中にはネガティブワードが飛び交う中、渋々会議に向かった。 呼び出された本当の理由は 「子どもたちに話を聞くと殆どの子どもが ゲーム実況をスマホで見ている」 「だから面白さを教えてほしい」 という
お盆の最中に失礼します。 みなさん中二病(厨二病)はご存知でしょうか? ネット上にはこのように書かれています。 つまりは、「俺ってば漫画の主人公みたい!」 「ワイが物語の中心や!」って状態のことを指します。 私には…その状態が… めちゃくちゃありました なんなら誰よりもありました。 他を寄せ付けないほどの中二病でした。 藍染の名言をいつでもストックしていたり ツイストサーブ打つために昼休み練習したり ワンピースの25巻のベラミー倒すところは カッコ良すぎて何回も
今日初めてTBSの番組「THE TIME,」 その中の中継を担当しました。 静岡最強のバッティングセンター そこで200km/hを打つ中継 私は高校時代を日南学園で過ごし 2011年に甲子園に出場しました。 その時にずっと練習に付き合ってくれた 「1人の後輩」がいたのでご紹介させてください。 名前は村尾 現在は日南学園の野球部部長です。 彼は高校時代ずっと自主練習に付き合ってくれました。 毎日1000球以上ボールを投げてくれました。 「原口さん野球をやらないことに
先日、初めて質問箱を設置しました。 匿名でメッセージを送ることができるヤツです。 その中でこんな質問ありました。 始めた理由 ①2年目に入るタイミングだったこと ②テレビに殆ど出ていなかったので、 知名度を上げるためにやりたかった ③リスナーの皆さんと繋がりたかった ということが挙げられます。 最初のツイートはこちら 最初は「1000人位いったら嬉しいなぁ」と思っていましたが、今では4000人もの方がフォローして下さって嬉しい限りです。少ないなって思われる方もい
風邪を引きました。 風邪です。 コロナではないです。 金曜日の夜中に目が覚めました。 時刻は丑三つ 違和感を感じました。 「何か肌ざみぃでございやさぁねえ」 頭の中のザコシ先輩が呟いていました。 朝起きると悪化していました。 熱を測ると「38.4度」 ビビりました。 そして気がつけば頭痛と倦怠感が凄い。 (もしかしてコロナじゃ…) 脳裏をよぎりました。 もしコロナだった時どうなるか考えました。 昨日会社で誰と話したか 何とかしていく方法はないか ただどれだ
アニメ歴も10年を数えました。 本腰入れたのが10年なだけでもっと前からですが、今回は2014年(大学生)から2016年(大学院生)までのアニソンを振り返ります。 ①2014年編 2014年は専門学校から大学に編入する頃でした。 少しだけ忙しくなりアニメの見る量が減った時期でもありました。 その中でもやっぱり筆頭のアニソンは 「ノーゲーム・ノーライフ」OP 鈴木このみ「This game」 イントロ最強 歌詞最高 そしてサビの迫力と全てが大好きなアニソン 2期を期待