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友達の友達は知人

小学校時代は一学年一クラスしかなかった為、転校や転入以外でメンバーが変わることはなかったが
高学年になると、女子特有の文化が濃く強く表れだした。

グループ化である。

それまでも仲良しグループ制度はあった。
群れて行動することは幼稚園からあったことだ。
あるにはあったが、家族には話せないことも親友には話せてしまう、親友と一番心分かち合えると断言できるような思春期に突入する。
グループの結束はより強くなっていく。 

 
小学校6年生の頃、私には特に仲が良い子がいた。
AちゃんとBちゃんだ。
Aちゃんは他の子と仲が良かった。
Bちゃんも他の子と仲が良かった。

そしてAちゃんとBちゃんは仲が悪かった。

私はAちゃんとBちゃんが好きだったが、三人で行動することは叶わなかった。
そして、AちゃんのグループにもBちゃんのグループにも入れなかった。

Aちゃんが仲の良い子とは私は気が合わず
Bちゃんが仲の良い子は私が近づくと敵意むき出しにしていたからだ。

私はそれが分かっていたから、6年生の頃は無所属だった。
A(B)ちゃんと二人で遊んだり、みんなで遊ぶことはあったが、三人では遊ばない。
なんせ6年間同じクラスだ。みんなが顔見知りでみんなとほどよくは仲が良い。
行事等で自由にグループを作る時、先生が指定した人数に合わせて私は臨機応変に動いた。

AちゃんかBちゃんと一緒にはなりたいが、AちゃんもしくはBちゃんと誰かで三人になるのは面倒くさい。

グループ決めの時はかえってAちゃんやBちゃんを含めないくじ引き制度の方が無難であったことも何回もあった。

 
 
中学1年生の時、私はAちゃんと同じクラスになり、一緒に行動した。一緒に帰ったりもした。
新しく友達ができても、他に仲良い子ができても、私はAちゃんが特別だった。
Aちゃんもそうだと思っていた。
だからある日、私は帰り道で

「私達、親友だよね。」

と言った。私が思春期に突入して初めて使った“親友”という言葉だった。
幼稚園時代や小学校低学年時代の“親友”と今の“親友”はまた異なるものだと、私は思っていた。
私の中では昔の“親友”は一番好きな友達で、今の“親友”は親に言えないことを一番話すことができる、信頼できる友達に変わっていた。

「え、親友じゃないよ。何言ってるの。私の親友は○○ちゃんだよ。」

それを言われた時の絶望感を私は忘れない。
Aちゃん曰く、Aちゃんの親友は小学校時代に仲の良かったあの子だけだと言うのだ。
彼女の価値観では、親友は一人しかいちゃいけないルールだった。
あくまで私は仲良しなだけで、親友ではない。

「そうだよね…○○ちゃん、かわいいし、昔から仲良いもんね。私は親友じゃないよね。」

 
私は平静を装っていたけど、分かれ道で分かれてから涙が止まらなかった。
一緒のグループであっても、一緒に帰っていても、長電話したり、休日に遊んだとしても、私達は親友じゃない。
中学校で○○ちゃんはクラスが変わって、一緒に帰らなくなったから、私はどこかであの子と対等か上だと驕りがあった。

私はそばにいても、○○ちゃんには勝てない。

私はこの日を境に、自分から誰かを親友と呼ぶのはやめようと思った。
私が勝手に思っているだけで、相手が私をどう思うかはまた別だ。
女子はみんな親友がいるように見えた。
あの子も、この子も、その子も、どの子も、だって誰もが誰かとグループになっている。

私だけだ。
私だけ、一人ぼっちだ。
友達はいても、親友がいない。


親友…いいなぁ。私も親友が欲しい。
私が一番好きで私を一番好きだと言ってくれる親友が私は欲しい。

そう、夜寝る前に何度も願っていた。

 
 
その願いを神様は聞いてくれたのだろう。

中学校二年生になり、クラス替えになった。
私はAちゃんともBちゃんとも離れ、新しい集団の中で上手くやろうと気持ちを新たに生活をしていた。
最初は座席が近かった女子四人で行動していた。
みんな優しかったし、仲は良かったが、私はどこかでしっくり来なかった。親友ではない。
ただの行動グループだった。
そのグループに属している時にCちゃんと仲良くなった。
CちゃんはBちゃんと一年生の時の行動グループが一緒の子で、Bちゃん繋がりで私は顔見知りだった。

私「Bちゃんの友達だよね?」

C「そうそう!教科書借りに行ったりしたよね。」

多分話し始めはそんなところだったと思う。
Cちゃんをきっかけに、私はCちゃんのグループの人とも会話するようになった。
そこに、彼女はいた。

Cちゃんは三人グループで、その中にDちゃんはいた。
私はたまたま美術の授業でDちゃんと席が前後だった。

Dちゃんは、学年1位の才女だった。しかも容姿端麗である。
私は一年生の時に学年1位の噂を聞きつけ、隣のクラスのDちゃんに話しかけたことがあった。

「もう中学3年生の勉強もできるって聞いたんだけど本当ですか!?キレイで頭もいいってすごいですね!」

確かそんな風に私は声をかけた。
私はDちゃんを知っていたが、Dちゃんは私を知らない。
いきなり話しかけられて変な人と思った、というのが後日談だ。
今思うと、セーラームーンのうさぎちゃんと亜美ちゃんが友達になる日のエピソードを彷彿する。

 
Dちゃんは美術が得意ではなかった。
私は逆に美術が得意だった。
作品作りに難航していたDちゃんに私はアドバイスをしたりしたのが、初めてじっくり話したきっかけだったと思う。

「ともかちゃん、すごいね!センスあるよ!」

そうDちゃんは何度も褒めてくれた。

「いやいや、Dちゃんは美人でスタイルいいし、頭もいいじゃない。すごいよ。」

私はそう返した。

「私はテストの点はとれても、国語はともかちゃんの方がすごいじゃん。私、あんな風に作文書けないよ。美術も得意でいいなぁ…私、こういうの、何作ったらいいか全然浮かばない。
ともかちゃんは明るくて優しくて人の中心にいるじゃない。私はそういうことできないから羨ましいよ。」

 
私は思わず泣きそうになった。
Dちゃんが私を褒めてくれた。私から見たら魅力的な彼女が、私が褒めるとその倍は私を褒めてくれた。
私の良さに気づいて、私を褒めてくれた。
なんていい子なんだろう。

 
私は美術の時間をきっかけに、Dちゃんとどんどん仲良くなった。休み時間や休日にCちゃんらと過ごすことが増えた。
Cちゃんのグループは実に居心地良かった。
CちゃんもDちゃんもEちゃんもみんな優しくてユーモラスがあり、ありのままの私でいられた。
笑って楽しく過ごせた。

だから私はある日を境に、グループを移籍した。

最初は元のグループの人から陰口を言われたりもした。かといって仲違いしたわけではない。
むしろ私を元のグループに戻そうとされたり、その後も仲の良い関係は続いた。
実際私は彼女らが嫌いでグループ移籍するわけではない。

ただ、しっくりこなかった。それだけだった。

私は三人の反応を見て心底驚いた。
グループ移籍後にあったあれこれから察するに、私は想像以上に前のグループの人から好かれて必要とされていたことが分かった。

 
二年生になってから三ヶ月経たない内に女子のグループは変化を見せた。
私だけが移籍した訳ではない。
思春期時代はこうして女子はグループを離れたり、仲違いしたり、グループには所属しているが不満があったりで、実にグチャグチャしていた。

クラス内にはいくつかのグループがあり、ただし場合に応じてメンバーは変わる。

これは小学校時代からその先もずっと続く、女子として生まれた宿命なのだ。
自分がどこに属し、周りとどう上手く付き合うかはクラス替え、卒業まで続く生活であり、戦いでもある。

 
グループを移籍してから私は幸せでしかなかった。
今まで味わえなかった全員が大好きというグループに属せたのだ。
四人でいても楽しいし、誰かがいない時にグループ内で悪口合戦になることは全くなかった。
四人はそれぞれ個性が異なり、それが実に絶妙なバランスだった。
そしてその中でも私は着実にDちゃんを好きになっていった。

親友…だと思っていた。
グループみんな大切だけど、Dちゃんは私の中で特別な友達になっていた。

だけど、私は一年前のトラウマがあった。
私が勘違いしているだけかもしれない。
「親友だよ。」なんて私が口にするのはおこがましいかもしれない。
あえて口にしなくてもいいじゃない。
このままグループで仲良く、Dちゃんとも仲良くできたらそれでいいじゃない。
二、三年生はクラス持ち上がりだし、この四人で仲良くやっていければそれでいい。
親友がほしい、なんて、これ以上は贅沢だ。
私は自分の親友が欲しくてたまらない願望を口にはしなかった。

 
ある日、Dちゃんと長電話をしていた時に、ふとAちゃんの話になった。
AちゃんはDちゃんが嫌いで敵意むき出しにしていた。DちゃんはDちゃんでAちゃんと気が合わなかった。

「ともかちゃんがAちゃんの友達なのは分かっているけど、ごめん、言わせて。
なんでいつもともかちゃんを見下すの?なんでいつもともかちゃんにそういうこと言うの?私はそれが嫌なの。私のことを集団で悪口言っていることより、それが嫌なの。
私の大事な親友を傷つけることが許せないの。」
 

親友…………

 
Dちゃんが、私を親友って言った。
半泣きになりながら、でも確かに私を、親友って言った。
私が傷つけられることを許せないと、泣きながら怒っている。

 
私「……私、Dちゃんの親友なの?」 

D「ともかちゃんは私が親友じゃないの?私達、親友でしょ?当たり前じゃない。大好きな一番の友達だよ。ともかちゃんは私が好きじゃないの?」

私「私はDちゃん大好きだよ。こんなに私を思ってくれる人はいないよ。だけど、私、Aちゃんに言われてから、親友って自分から言っちゃいけないと思ってた。」

D「Aちゃんなんて関係ない。私はともかちゃんが親友。私が親友って言うんだから、私達は親友なの!だから私を親友って言っていいんだよ。もう親友って言葉に怯えなくていいんだよ。」

 
私は大泣きした。
これほどまでに嬉しいことはあるだろうか。
私が大好きな人が私を大好きだと、親友だと断言してくれた。

親友なんだ。
唯一無二の親友。
私にもできたんだ。親友ができたんだ。

優しいだけじゃなくて、キチンと伝えることは伝えてくれる、なんて頼もしい親友なのだろう。

 
 
私はDちゃんと正式に親友になってから更に急速に仲を深め、それと同時にAちゃんに対してモヤモヤが深まっていった。

私は小学校時代、内向的だった。
だからAちゃんのそばにいたら安心だった。Aちゃんは自分を持っていた人だから、Aちゃんの意見は正しいように思えた。
だからAちゃんが私に厳しく指摘するあれこれは私が悪いのだから仕方ないと思っていた。
悲しいけど、事実だから仕方ないと。

 

だけど、私を親友ではないと言い放った彼女が
なんで私の仲が良い人の悪口を言うのだろう。 
私はまだ仕方ないかもしれない。欠点だらけだから仕方ない。
ただ、CちゃんもDちゃんもEちゃんもこんなにも素敵で素晴らしい人なのに
どうして彼女らを悪く言うのだろう?

「ともかちゃんが好きだから言うけどさ」と前置きしてから
私を悪く言うのはどうして?
Dちゃんと仲良くすることを悪く言うのはどうして?
そして何より、私の大切なDちゃんを攻撃対象にするのはどうして?
Dちゃんはいい子だよ。本当に私には勿体ないくらい、いい子なんだよ。

 
 
私の心はどんどん冷めていった。
あんなにAちゃんに執着していた自分が嘘みたいに感じた。

成長と共にAちゃんの自己顕示欲の高さや人を見下して自分を一番にするやり方や言動にうんざりしてきた。
分かっている。
Dちゃん含め仲良しグループを悪く言っているのは私を失いたくないからだ。私を奪われたくない束縛心だ。
私は親友ではないが、所有物ではあったのだろう。
あまり価値はなかったから雑に扱ったが、人にとられたから惜しくなったのかもしれない。
分かっていても、だからといって受け入れられるわけではなかった。
何か意見を言えば、「ともかちゃんが好きだから言ったのに。」と、ケンカになるたびに「好き」というフレーズを使われて私の心を惑わした。

私だってAちゃんとは付き合いが長いし、情はあった。
だけど、Dちゃんという存在ができてから、私は変わった。言い返すことが増えた。
Dちゃんを傷つけることだけは私は絶対に許さない。

私に初めてできた親友だから。

 
 
 
 
大人なってからも、人間関係でこじれるたびに思う。

友達の友達は友達ではない。あくまで知人なのである。

表面的に上手くやろうとしても、結局何らかのきっかけで崩れてしまう。
そして友達の友達…知人への立ち居振る舞いによっては、友達を失うリスクさえ含まれる。
人が人を平等に愛し、接することは実に難しい。
みんなと仲良く過ごせたらそれが一番だが、友達の友達だからこそ関わりが難しい場合もある。
むしろ個人的には難しい場合の方が多い印象だ。

嫉妬や独占欲やなんやかんやで
一対一では上手くできても、他の人が絡むとどんどんこじれてしまう。
一対一でさえ人間関係を築くことは非常に難しいのに、複数人の関係性は実に複雑でアンバランスなものだ。
人間関係に関わるポイントとして上げられる、感情も相性も性格や価値観の違いも
思いやりがあってもどうにもならない時もある。

人間関係は実に複雑で、分かりやすく目の前で不満を言動にあらわすタイプばかりではない。
大抵は上手く本音を隠したり、遠回しな表現で本音が見え隠れしている。

ましてもう私は中学生ではない。
私も周りも大人になった。
苦手な人や知人との関わり方も昔よりも成長し、無難にやり過ごそうとしている。

笑顔で、何食わぬ顔で、だ。

こんな複雑な社会の中で、たくさんの出会いと別れを繰り返してきた。
今、私を受け入れてくれて、私と仲良くしてくれる友達には感謝しかないし、大切にしていきたい。

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