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成人式の赤い晴れ着

高校を卒業し、大学生になった私の元に
成人式の着物の案内はよく届いた。

 
様々な着物が載ったチラシやカタログ、ハガキを見ては
「ともかちゃんももうすぐ成人式だね。」と母が言った。

 
二十歳になったら、大人の仲間入りとなる。

 
私にとっては堂々とお酒を飲めることよりも
成人式が楽しみだった。
かわいい着物を着て、中学校や高校の皆と再会し、タイムカプセルを開けることが楽しみだった。

 
私の七五三はピンクの着物だったが
成人式は赤の着物がいいとずっと決めていた。
そして白いモコモコファーをつけると
ずっと決めていた。
 
成人式は冬だが
前撮りは夏休み中にすると親が決めていた。
だから私は大学一年生の頃か二年生春頃には動き出していたと思う。

 
 
最初は成人式の着物はレンタルの予定で
私は親と共にレンタル着物を見ていた。
老舗のお店で、地元では有名なお店だった。

親はお店の人と何やら話し
私は真剣に片っ端から着物を見ていた。

 
そんな時に私は出会ってしまった。
レンタルコーナーではないところに置かれた赤い着物のそれは
まるで私を待っていたかのようにそこにいた。

 
見つけた…!

 
一目惚れだった。
私は数ある中でもそれしかないと思った。
柄や赤の色合いも素敵だった。
私は身長が高いので、私にはやや小さかったが
それでもどうしても私はそれが欲しかった。

 
私は親に頼み込んだ。

レンタルではなかったからだ。
親は多少何か言ったと思うが
「ともかが気に入ったのなら。」と買ってくれた。
買うからには成人式だけでなく、誰かの結婚式にも着るように言われた。
元を取ろうと私も思った。
(後に姉や親戚の結婚式の時に着ました。)

 
 
着物が決まるまではよかった。

大変なのは、前撮りの日だった。

 
 
大学二年生の夏休み中、私は何故か毎日具合が悪かった。
めまいや吐き気や頭痛が止まらなかった。 
今にして思えば、夏バテというより、脱水症状だったのかもしれない。

前撮りは予約していたし
両親の都合もあるしで
具合が悪い中、前撮り会場に着いたが
車での移動が堪え
私は着いた時には真っ青になって倒れ込んだ。
過呼吸みたいにもなった。

撮影どころではない。

  
確か30分だか1時間だか待ってもらい
その後慌ててメイクをして、写真撮影をしてもらった。
アイメイクは軽めでいいとお願いした。
私はガッツリとしたアイメイクが苦手だった。

 
 
夢の前撮りは、あくまで夢でしかなかった。
思い描いていたものと違う。

着付けやメイクや写真撮影ができるほどに回復したとはいえ
私はフラフラで真っ青だった。
とにかく今日なんとしても撮影をしなければ!と
使命感と義務感が強かった。
みんなを待たせてしまい、迷惑をかけて、申し訳なくて仕方なかった。

 
フラフラな中、メイクをされ、無理矢理微笑む私は人形のようだった。
プロにメイクをしてもらっても、周りの女の子みたいにちっともかわいくない。
真っ青な顔に化粧をただ塗りたくられた女が鏡には写っていた。

 
本来は大学二年生の夏休み中に
両親と海外旅行に行く予定だった。
初海外旅行の予定で、台湾に行こうと
私はパスポートを申請していた。

 
だが、私はキャンセル料が高くなる前に早めにキャンセルした。
バイトに行くのに精一杯で
大学二年生の夏休み中はほとんどゆっくり過ごして終わった。
私は割と夏に弱く、体調を崩しやすいのだが
さすがにここまで体調を崩した夏は初めてであった。

 
体調は徐々に回復し、秋を迎え、冬になり
1月になった。

私は1月生まれなので、19歳で成人式に出席となった。
20歳で成人式を迎えたかった私は
誕生日がもっと早ければなぁと感じずにはいられなかった。
後に、年を重ねる日が遅くなるから1月生まれでよかったと思うのだが
この時の私はまだ、若かったのだ。

 
 
成人式当日はよく晴れていた。

体調も良かった。
前撮りの時は散々だったが、今日こそ本番だと張り切った。

  
確か着付けのため、朝5時起きとかだった気がする。

 
着付け予約した場所は混んでいて
朝からバタバタとした。
たくさんの女性がテキパキと着付けられ、メイクをされていく。

友達「あ!ともかちゃん!」

 
私「おはよう!久しぶり~!また会場で会おうね!」

 
たくさんの女性の中に、中学校の同級生がいた。
私より先に着付け完了していたので私より早起きだったのだろう。

着付け会場は戦場だ。
なかなか予約は取れないから、早めに動かなければいけないし、成人式当日は早起き必須だ。

 
メイクや髪型に詳しくない私は「お任せします。」とプロに丸投げして、仕上がりを楽しみにした。
「ポイントに小さい三つ編み作りますね。」と言われ
確か左右に作っていただいたが
他の誰もそんなのをやっているのを見なかった。
それがレアに感じて
さり気ない個性で嬉しかった。

 
着付け完了した私を見た両親は感動し
また私も前撮りの時より髪型やメイクが気に入っていたし
体調も万全だった為
庭先や野外で
とにかく何枚も何枚も写真撮影をした。

 
私は顔はいまいちだが
なで肩で首は長く
また下半身太りしているが
着物で体型を上手く隠せた。

 
やはり気になるのは、着物が少し小さいところだが
一目惚れしてしまったのだから仕方ない。

私のスタイルは着物向きだった。
ドレスより着物の方が似合うと我ながら思ったし
周りにも褒められた。

 
 
着付け完了後、成人式会場に向かった。

親が車で送ってくれた。
私は中学時代仲が良かった子と四人で待ち合わせをしていた。

 
親友「ともか~!」

 
私「うわぁ、キレイー!」

 
中学卒業後も会っていたが、みんなでキレイに着飾り、待ち合わせして会うのは非日常感だった。
四人でキャッキャしている時に
同じ中学の子達が次々に会場入りした。

パッと見分からない人もいたし
成人式だからとヤンチャに張り切った人もいたし
変わらない人もいたし
よりキレイに、よりかっこよくなった人もいた。

 
一人として同じ着物やメイクや髪型の人はいない。
みんなが自分なりにこだわって今日の為に着飾った。

そんなみんなの姿を見ているだけで、私は全く飽きず、ウキウキした。

 
姉の成人式は雪だった。
ついでに言えば、姉の卒業式は雨だった。
私は県立高校入試は雨だったが
成人式も卒業式も快晴で、恵まれていた。

なかなかに歩きにくかった。
姉はさぞ成人式当日は大変だっただろう。

 
 
式典ではお偉い方の話があり、成人代表で他の人が挨拶をし
私はそれを親友の隣で聞いていた。
最後に、各中学ごとに記念撮影をし、後日写真をいただけた。
当日、会場はゴチャゴチャしていて分からなったが
誰が参列していないかがその写真で分かった。

 
私は当時
成人式はみんな出席するものだと思っていたが
そんなことはないとその日に思い知った。
女性でもスーツで参列した人もいたし
女性がみんな晴れ着じゃないということも
その日に知った。

私の当たり前や夢は
必ずしもみんなに当てはまるものではなく
私は恵まれていると思った。

 
成人式後、皆でひたすらに写真撮影をした。
私は学生時代で中学時代が一番男女仲が良かった為
女子とも撮ったが
男女混合でも写真を撮った。

式典には、当時の担任が駆けつけてくれて
担任の先生と再会をした。

 
私の中学校三年間担任だった方で
先生は国語の先生であり、私の遠い親戚でもあった。

私は非常にラッキーだった。
担任の先生と馬が合ったし
私は国語や作文が得意だったからかわいがられた。
性格だけでなく、文章もよく褒められていたので幸いだった。
他クラスの担任の科目は、私は大得意まではいかなかったし、馬は合わなかったから
担任が異なったら、私の人生は違っただろう。

 
私の中学時代のクラスは仲が良く、担任と生徒も仲が良い方だった。
先生をみんなで囲み、ワイワイ話した。

「みんな立派になったわね。おめでとう。」

と言われ
感極まってしまった。
担任の先生との再会は久しぶりだった。

 
 
成人式の後は各自帰宅し
私含め何人かは親戚回りをした。

親戚と写真を撮り、親戚に祝ってもらえ、幸せだった。

着替えた後は軽く仮眠をし、夜の部に備えた。
私の中学校同窓会で、ある居酒屋を貸しきっていた。
成人式では話せなかった人とも
みんなで話すことができる。

 
 
中学時代の仲良しグループの子の一人は、成人式後に体調を崩し、念の為集まりをキャンセルした。
だから私は仲良しグループ三人で待ち合わせをし、居酒屋に行った。

その居酒屋に行くのは初めてだった。

言われるがままに、適当に座った。
確か最初はとりあえずクラス単位で座ったのだと思う。

 
同じ小学校の人がタイムカプセルの中身を日中取りに行き、渡され
懐かしくなったところで開始時間になり
乾杯の音頭となった。

 
成人式と同じように、来ない人は来なかった。

  
成人式と飲み会同窓会で皆と再会できると思っていたが
みんながみんな、同じ気持ちや環境ではないのだと
私はまたしても思い知った。

 
 
先ほどは晴れ着で別人に見えたが、私服は私服でみんな別人に見えた。

結婚した子…どころか、すでに離婚した子もいたし
子連れ参加の人もいたし
彼氏や彼女がいる人もたくさんいた。
年齢=彼氏なしの私は
彼女らの指に光る指輪が羨ましかった。

  
中学時間は恋愛に興味がなかったみんなが
大人の女性になっていた。
みんなキレイになっていた。

 
男子は三パターンに分かれた。
変わらない人、かっこよくなった人、変な方向にいった人、だ。
変な方向とは、かっぺまる出しヤンチャ系や、サブカル系だ。

 
「ともかちゃん、キレイになったね。」

 
私は久々に再会する人に言われた。
確かに中学時代はニキビが酷かったが治ったし、薄いメイクをして、コンタクトをつけていた。
体重は二十歳ぐらいが一番痩せていて
中学時代より6kg痩せていたと思う。

女子だけでなく、男子にまで言われて、恥ずかしかったが、嬉しかった。

 
最初は固定席の皆で話し、途中から適当に座席移動をして話し
色々な人が、中学卒業後にどんな人生を歩んでいるかを聞いた。
興味深く、話は尽きない。
飲み食いしながら盛り上がった。

そんな中、ジョッキを片手に男友達は私の横に座った。
私は当時、その一番仲良かった男友達と、気づいたら二人で盛り上がって話していた。
完全に二人の世界だった。

周り「お前ら二人で話しすぎだよ。イチャイチャすんな。」

 
男友達「バーカ。そんなんじゃねぇよ。」

   
そう、そんなんじゃないのである。

確かに男友達はかっこよくなり、お洒落になった。
中学卒業後も会ったり、メールや電話もよくしていた。
私は家まで遊びに行ったことさえある。二人っきりだ。
高校卒業後、浪人した彼は、予備校とうちの大学が近い関係で会ったりもしていたが
やがて遠方の大学に進学し、再会は約一年ぶりだった。

だが、なんといっても奴は面食いだった。
私達はめちゃくちゃ仲が良かったし、私がかわいかったらまた話は違ったのだろうが
手さえ繋がない、ボディタッチもない清い関係だった。

いつだって友達には美人な彼女がいた。
私達は恋愛相談をする仲だった。

 
 
やがて居酒屋同窓会が終了した。
その場で帰る人もいれば、二次会に行く人もいた。

 
二次会グループはいくつかあり
私は仲が良い男女10名くらいでカラオケ二次会に行った。
ほとんどの人の歌を初めて聞いた。
このメンバーでカラオケはレアだった。

最後にお店の人に、二次会メンバーで写真を撮ってもらった。
男女10名くらいでカラオケに行く私は
我ながらリア充だなぁと感じた。

 

二次会後、例の一番仲の良い男友達が私を家まで送ってくれた。
駅から二人きりだ。
さり気なくエスコートしてくれる彼に私は少しときめいたが
ここまでのシチュエーションになっても

 
恋は全く始まらなかった。

 
男女が二人の時間を過ごし、お互いに好きで尊敬しても
恋にはならないケースもあると私は思い知らされた。

そんな成人式の夜だった。

 
 
 
成人式の次の日は祝日で、私は再びメイクをしてお洒落をして、電車に乗った。

成人式の次の日は、高校時代の仲間内同窓会だった。
男女8名くらいだったかな。
いつもはクラス単位で集まるので
この8名で会うのは初めてだ。

 
昨日成人式で聞いた話だと、何人かが今日高校の同窓会だった。
だから昨日会った中学時代の仲間は、今日は今日で高校の仲間と楽しく過ごしているのだろう。

私みたいに。

 
高校三年生の時に他県に引っ越した子も集まりに参加してくれて、より嬉しかった。
高校卒業ぶりの子もいたし、定期的に会ってる子もいた。
そんな同窓会だった。

 
まずはみんなでボーリングに行き、2ゲームした。
男女グループでボーリングに行ったのは、私はこの時が初めてだった。

遅れてやってきた青春や!

私は同窓会に誘ってくれた友達に感謝した。

 
 
ボーリングの後はカラオケにも行った。
二日連続カラオケだし
やはりこのメンバーでカラオケは初で
みんなの歌は新鮮だった。

高校卒業後にみんながどんな道を歩いているかを知ることができて嬉しかった。
ボーリングもカラオケも話も盛り上がったが
恋には誰とも発展することはなく
その日は終わった。

 
 
そして次の日からは再び大学に通い、大学の仲間と成人式の思い出話に盛り上がった。

 
過去と今が繋がり、また未来に向かって歩いていく。
新たなスタートを切った気分だった。

 
成人式では各地で様々な催しがあり
その様子や新成人としての抱負を述べる人や
成人式でヤンチャをした人が
ニュースになった。

 
私はテレビに出るほど立派だったり、特別ではない新成人だ。
前撮りでは色々あったが
でも
成人式当日と次の日はとても充実で幸せだった。

 
 
成人式後に誕生日を迎え、無事二十歳になり
私は一歩大人に近づいた。

 
 
 
 
 
大人になった私は、障害者福祉施設で働いた。
その施設には難病の利用者の方もいて

「二十歳まで生きられないでしょう。」

と、生後間もなく医師に告げられた親が何人かいた。

 
利用者自身が短命だと知っているケースと知らないケースがあった。

短命だと知っている利用者は新年の目標を「今年も頑張って生きる」と掲げていたり
自分の運命と向き合ったり
薬の副作用や動かなくなる体と必死に戦っていた。

 
二十歳まで生きられた人もいるし
生きられなかった人もいた。

  
短命だと知らない利用者は、親はずっと覚悟して生きていて
10歳の時にハーフ成人式を済ませたと言っていた。
だから、万が一の時は、受け入れる覚悟だ、と。

普段明るい親子だっただけに
その裏話を聞いた時は涙が止まらなかったし
無事二十歳を迎え
成人式の写真を見せてもらえた時
私はまた、泣いた。

 
施設では利用者が成人式の時にお祝いをした。

記念品と花束を渡し、新成人の抱負を言ってもらった。
記念撮影もした。

 
利用者によっては晴れ着姿を施設に見せに来てくれたり
成人式写真を見せてくれたり、いただけた。

 
私の施設は18歳から利用開始だが
利用に伴い
15~18歳の期間に実習生として頑張る彼等を、私は見守ってきた立場だった。

だから、みんなが成長し、成人を迎えた姿は嬉しかった。

 
短命宣告をされてはいなかったが
19歳で急死してしまった利用者もいた。

泣いて泣いて泣きまくった。
私は深く関わりがあった利用者で、かわいらしい子だった。

 
人が今日生きていることは決して当たり前ではない。
二十年生き抜き、生かされるのは
とてもすごいことだと
大人になるにつれて知った。

 
 
 
そんな中、2018年を迎えた。

「はれのひ」という成人式晴れ着に関わる会社が
成人式当日に連絡がつかなくなり
多くの新成人が晴れ着を着られなくなるという事件が起きた。

 
ニュースを見て私はビックリした。
赤の他人の私がビックリしたのだから
当事者はパニックになり、泣いたり怒ったり悲しんだりと 
私の想像以上の大変さだったろう。

 
親切な方が自宅にある着物を提供したり
はれのひの社員がただ働きをしてできる範囲でなんとかしようと奔走したりと
無責任な大人と親切な大人がいることを
新成人やニュースを見た私達は知った。

 
成人式は一生で一度しかない。
何年も前から楽しみに楽しみにしている日だ。

 
2018年、はれのひのニュースは大々的に何日も報道された。

はれのひに携わり、晴れ着を着られなかった新成人が不憫で仕方なかった。

 
 
はれのひのような悲惨な成人式は、2018年だけだろうし
私達大人はあれで終わりにしなければいけない。

 
そう当時は思っていたのに
2021年の成人式はコロナウィルスの影響で、各地で延期が相次いだ。

開催した場所もあったが、時短だったり、マスク着用が義務化された。

 
2021年1月は、今までで一番日本でコロナウィルス感染者が多く
二回目の緊急事態宣言が出された。

外出や食事は制限がかかり、自粛するように言われた。

 
私が二十歳の時のように
みんなで同じ会場に集まり、ダラダラと写真撮影をしたり
みんなで飲み会やカラオケやボーリングに行くなんて
今は許されない時代だ。

 
なんという時代だろうか。

まさかはれのひ騒動以上に悲惨な成人式があるなんて思わなかった。
成人式が延期になった新成人の落胆は凄まじい。

…私はかける言葉が見つからなかった。

 
 
 
私の親戚は来年成人式である。

来年の成人式の頃、日本や世界はどうなっているのだろうか。


 

 

 







 








 



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