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私と骨折⑤【母と寝た日】

父親が数日前から風邪気味のようだった。

 
私と母が止めるのも聞かず
その状態でお酒を飲んだり、出掛け
仕事にも行き
症状は一進一退だった。

自宅で咳き込んでもマスクをつけず
母や私はマスクをつける。

 
父は体が強くはない。
割と咳が出やすい。

いつものことと言えばいつものことだが
私や母はいつもより語気強めに色々言った。

 
なんせ私がまだ骨折中で役立たずだ。
父がやられたら母に負担は行くし
寝室が同じ母は咳をうつされたからだ。

心なしか私まで喉が少し痛く、咳が出る。

 
私は毎週本屋に平均1~5回行くのだが
骨折して二週間、本屋に行けていなかった。

日曜日は本屋に行こうと母に言ってもらえていたが
土曜日夕飯時
父親が38度越えだと自己申告し、私や母は心配というより怒ってしまった。
本屋どころではない。

 
具合が悪いことでバツが悪く
肝心なことは黙りがちな父だ。

相当調子が悪かったのだろう。
母は出掛けていて、私は一室で自宅静養をしていて気づかなかった。

 
調子を崩して一週間後
ついに発熱したのだ。
それにしても、38度越えは珍しい。

 
私と母は青ざめた。

色々言ってもブチ切れる父親に私は心底ウンザリした。

 
だからお酒を飲むなと、出掛けるなと言ったのに。
家ではマスクをつけろと言ったのに。
土曜日調子が悪かったなら夕方病院に行けばよかったのに(午後に仕事終わりだった)。

もしもコロナならどうしよう。

夕飯どころではなかった。

 
私は検査するようにと抗原検査キットを渡し
お風呂に入らず、早く寝るようにと言い
寝ている時以外はマスクをつけるように言い
ご飯を無理矢理食べるより水分を十分にとるように言った。

逆切れしていた父がようやく言うことを聞く。

抗原検査は陰性でとりあえずはホッとする。

 
ご飯は食べる気が起きず
重苦しい雰囲気が食卓にあった。

だが、それこそ食べなければやられる。

母と二人でもりもり食べる。

 
父親は隔離して
急遽母と寝ることになった。

予備の布団を用意している暇はない。

 
久しぶりに母と寝た。

母は疲れているのだろう。
あっという間に寝息が聞こえる。

 
一方私は今年一眠れなかった。
寒いんだか暑いんだか微妙で布団をかけたり、パジャマの調整を小まめにし
狭いエリアで寝やすい姿勢を模索した。

誰かと寝る時
私は割と眠れなくなりやすい。

母に気を遣い、すみっこで寝ざるを得なかった。
一時間くらい寝つけなかったし、何度も夜中に目を覚ました。

 
ようやく寝つけた私は夢を見た。

前の職場と今の職場で働く夢だった。

足は治っていて、仕事をすることができた。
そんな夢だった。

 
新施設長から遠回しに仕事に出てきてほしいようなことを言われたのは金曜日のこと。
 
正夢だったらいいな。

骨折になんかなりたくなかった。

 
 
日曜日には、父の熱が下がり、母の咳は悪化していた。

「いやぁ大変だった(笑)」

と、呑気に言う父に私はまたブチ切れた。

母親がダウンしたらどうするつもりだ。

 
なんとか日曜日は本屋に行けて、散歩にも行けた。よかった。

 
なお、今は父が元気になりつつあり、私と母の咳がひどい。

骨折して二週間が経ち、レントゲンを撮ると5割治ったとのこと。
いい方向にいっているらしい。

 
バセドウ病で骨折で風邪気味。
自宅では24時間体制でマスクをつけている、そんな日々だ。

今年のGWは自宅静養で終わるのだろうか。

ため息をついてしまう。



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