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不本意な転職をして、一年後の想いと夢

私は障害福祉施設で働いている。

去年の三月に今の職場に入職し
先日、働き出して一年を迎えた。

  
この一年
新しい出会いがあり
初めてだらけの業務で
色々なことを学んだ。

 
私は前の職場で
同じ障害福祉の仕事をしていたし
12年間も関わってきた。
転職先よりも大きな職場だし
二事業の責任者をしていた。

転職した際
もっと仕事はできると思っていたし
もっと周りから認められるかと思っていた。

 
だけど
現実はそう甘くはなかった。

 
 
私は前の職場に骨を埋める覚悟があり
人事異動さえなければ
きっと今もそこで働いていた。

退職はみんなに引き止められたし
悔やまれたし

戻ってきてほしい 

と、何度も色々な人に言われた。

 
そんな状態だったから
私は本腰を入れて転職活動はしていなかったし
転職活動をすれば
100%内定をもらえた為
すぐに働かなかった。
退職金と失業保険、貯金で暮らしていた。
実家暮らしだった為
余裕はあった。

私は新しい職場で働くことよりも
前の職場にいかに戻れるかを考える日々だった。
誰かか時間がどうにかしてくれないかと
願っては途方に暮れた。

 
…転職活動を一年して
退職してから一年という月日が流れ
私はもう二度と戻れないと
静かに悟った。

どこかに転職するしかない…

と、ようやく諦めに似た覚悟を決めた時
私は二箇所の施設が気になり
今の職場で採用された。
どちらかといえば
第二希望だった方の施設だった。

 
私は入職前に情緒不安定で

「合わなかったらすぐに辞めてやる!」
「経験年数と資格があるし、どこでだって内定もらえたんだから!」

と、家族にわきわめいていた。
不本意な転職、といってもいい。

 
周りの友達にも告げない転職だった。

 
三十代になってから
新たな環境に飛び込むというのはなかなかに難しくて
入職三日目ですでに「辞めたいなぁ…。」と思いながら昼食を食べたのを覚えている。

私は独りだと思ったし
寂しかった。

 
前の職場でも
転職活動中も
福祉職10年以上の経験やサビ管・介護福祉士の資格は重宝された。

だが
今の職場は
みんな福祉職10年以上のベテランしかいなかったし
みんな資格も持っていた。

私は何も特別じゃなかった。

同じ障害福祉の分野でも
考え方や価値観は真逆に近く
私はそれになかなか馴染めなかった。

 
施設長とは性格が真逆で
理解してもらえないのも
転職先が魅力的に感じないことの一つだった。

 
前の職場ならば、と何度比べたか分からない。
良くも悪くもだ。 
違いや違和感を何度も感じた。

今の職場の方が条件的によいことは確かだったし
周りからはいい職場だと言われたが
人間関係や業務上で
私は性に合わないことが多々あった。

 
障害福祉の仕事は天職だと思うが
今の職場は向いてない。

それは転職して一年経った今も感じている。

 
私が転職した頃
友達が何人か転職したが
既に退職した人もいるし
苦戦している人もいた。

私はまだマシなのだろうと思っていた。

同僚は文句や陰口を言わないし
人手も十分あって
残業もなく
給料もほどよく
土日が休みなんて恵まれている。

そう言い聞かせていた。

 
 
私の働く意識が変わったのは
入職三ヶ月後だと思う。

三ヶ月が経ち
今まで担当させてもらえなかった業務が増え
やりがいや存在意義を感じだした。

利用者や保護者、同僚とも距離を縮められ
それは安らぎに繋がったし
できることが増え
任されることも増えることは
確かな達成感に変わった。

 
そして退職を機に会えなくなった前職の利用者や保護者、同僚と
私は今の仕事を通じて再会した。
仕事の幅が広がることで
また関われるようになった。
新しい仕事の先に前職が繋がっているなんて
思いもしなかった。

 
私は転職した今も前職のみんなを大切に思っているし
今の仕事は仕事で
やりがいだけでなく、責任感や使命感を感じている。

 
私の前任者やその前の前任者は
半年や三ヶ月で辞めてしまったらしいし
そもそも職員自体が一年くらいで辞めてしまうらしいが
私はなんとか一年働けた。

言葉にすると、まだ一年なのかもしれないし
他人から見たら短い期間かもしれないが
私にとっては
かけがえのない日々だったし
自分で自分を褒めたい。

 
「なんだかもっと前から働いていたようなイメージだけどね。」 

「もうすぐ一年だね。」

「もう一年なんだね。」

 
三月になってから
同僚からそんな言葉をかけてもらうことが増えた。

一年。
感慨深い。

手帳には赤文字で入職日と書いた。
カウントダウンしながら三月を過ごした。

 
私の職場では
定期的に施設長らと面談がある。

入職して三ヶ月後に施設長から
「真咲さんは何ができるか分からない。」と言われ
自分の無力さを痛感した。

 
それから更に時を重ね
年度末の三月になり
再び面談の日がやってきた。

また何か言われるんだろうな…

と、身構えながら、会議室をノックした。

 
 
すると、施設長は私の一年の働きぶりを見て、こう感じたと述べた。
 
「真咲さんは販売が職員で一番上手いわ。これからは販売責任者になってほしい。」

「言葉遣いが丁寧でいいわ。」

「事務仕事ができるし、上手いから助かっているわ。」

「利用者との関わり方がいいわね。ダンスやレクが得意。」

「真咲さんの(職場)SNSは読んでいて楽しい。私も今まで担当していたけど、来年度からは真咲さん中心に更新してほしい。」

 
私はビックリした。
意外な言葉だった。

毎日のように笑顔でこうしろああしろと意見を言われており
私はそれをダメ出しだと感じ
自信が持てなかった。

 
だけど施設長も口にはしないだけで
私の良さを見てくれたんだ。

 
私は面談中、ウルッとした。

二年目にあたり
面談の際、更に新たな仕事を任され
私はその仕事に燃えている。

そして、今に至る。

 
退職した頃
そして転職した頃
こんな世界や景色が広がっているなんて
全く思いもしなかった。

私は二年目もこの職場で精進していきたい。

 
 
そして。

私は転職中に新たな夢を見つけた。
それは

【コロナが落ち着いたら
月一で、前の職場のボランティアをやってみたい。】

というものだ。

 
退職した私は
ずっとずっと
どうしたらまた前の職場のみんなと繫がれるか
会えるかを考えていた。

 
私がいなくなってから
残った職員達が現場を支えているし
今更私は
責任者としても現場職員としても戻れない。
みんなの頑張りや立場を
無碍にはできない。

前の職場は土曜日も営業しているが
今の職場は土曜日は営業していない。
 
だから土曜日なら
私はボランティアに行ける。

今の職場で新たに得たものを
ボランティアにきっと活かせる。

 
「これで終わりだなんて思わないわ。さよならは言わない。こんな人事異動納得しない。」

「ともかさんが戻ってくるまで待ってる。」

「早く戻ってきて。」

「真咲さんはきっとまた戻ってこられるわよ。施設長お気に入りだったじゃない。」

涙ながらに保護者が言った言葉を
私は今でも覚えている。

 
何年後になるか分からないし
いい顔されないかもしれないし
そもそもボランティアさせてもらえないかもしれない。

無謀なことは分かっている。

だけど
今の私が元気に働けるのは
前の職場の大好きな人達が
私を信じて求めてくれたり
仕事ぶりを認めてくれたり
支えてくれたからだ。

退職した今でさえ。
   
 
 
どうか、もう少し
コロナがおさまるまで待ってて。

私は絶対にまた会いに行くから。







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