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手編みのマフラーとやら

私は首が弱い。
どうにもこうにも、首が弱い。  

 
 
幼稚園の頃はマフラーをつけることができたが
小学生になると、激しい嫌悪感を覚えた。 
肌がチクチクする。

大学生まではタートルネックが大好きで
タートルネックの服ばかり好んだが
こちらも20代後半には着られなくなった。

ネックレスが好きだったが
アラサーになってから、金属や種類によっては
つけた途端に嫌な感じがして
ネックレスを外すようになった。
チョーカーは論外だ。
かわいいデザインだろうと、私はつけることができない。
 
 
私の数少ない容姿の武器が
白くて長い首だった。
それなのに、首の長さを際立たせるお洒落のあれこれが
年々できなくなっていくとは、なんたるこっちゃ。

 
特にマフラーだ。
冬のマフラーはお洒落の定番だろう。

制服にマフラー
コートにマフラー

かわいらしいファッションなのに
男性をキュンとさせられるかもしれないのに
冬のアイテムが禁じられてしまうとは。

 
ちなみに私はネックウォーマーもできない。
首に何かが触れることに非常に弱いらしい。

 
 
 
そんな、マフラーに憧れるけど、マフラーをつけることは出来ない私が
23歳の頃だった。

「クリスマスプレゼント、手編みのマフラーほしいなぁ♪」

当時付き合っていた彼が、私にそう言ってきた。

 
「手編みのマフラーって………重くない?怨念こもってそうじゃん。一編み一編み、なんかこもってそうで怖くない?」

私は本心そのままに伝えた。
自身がマフラーをつけられないひがみでは決してない。
手作りクッキーはまだかわいらしいが、手編みのマフラーなんてドラマや少女漫画の世界だと思っていた。
誰かに編みたいと思ったことは全くなかった。
誰かから手編みの何かをもらったこともなかったし
家族が編み物をしたりもしなかった。
手編みの物への憧れも特になかった。

彼「怖くないよ~。一編み一編み、愛情がこもっていていいじゃん。もしもらったらずーっとつけるんだ♪ほしいなぁ。ほしい。」

 
私「うーん……じゃあ編んでみるけど、私は不器用だし、編み物やったことないし、失敗したらごめんね。」

  
彼「ともかのマフラーなら、なんだって嬉しいよ。楽しみにしてる!」

 
気が乗らない私に反して、彼は有頂天だった。
今更引くに引けない。
私は私で、指輪をおねだりしていた。
彼氏から指輪をもらうことが夢だったのだ。

付き合ってまだ三ヶ月も経っていない中
指輪をねだる私は私だし
手編みのマフラーをねだる彼も彼だ。

お互い様だし、同レベルだ。
今年のクリスマスはベタなことをやろうではないか。
なんせ恋人と過ごす、人生初めてのクリスマスだ。

 
そうは思いつつも 
手編みのマフラーの話が出た時、クリスマスまで二ヶ月を切っていた。
まして私は編み物未経験。

うーん…間に合うだろうか。

クリスマスへの楽しみよりも不安が勝っていた。

 
 
私「お母さんさ…マフラー編める?」

 
母「編めるわよ~♪お母さん、そういうの得意だもの♪」

 
私「じゃあさ、編み物教えてほしいんだけど………今からで、マフラー間に合うかな?」

 
母「間に合う。間に合う♪お母さんに任せなさーい♪」

 
よしっ母を味方につけた。
編み物先生を確保したら、早急に準備だ。

 
 
私は彼からリクエストのあった次の日、学校帰りに早速毛糸と編み棒を買いに行った。
街は早くもクリスマスで、編み物関係のものは至るところに売っていた。
彼の私服をイメージして、好きな色で、かつコーデに合いそうな毛糸を見つけた、
一目惚れだった。

この色、絶対似合う!

私はその毛糸を母に指定された分量を買い、自宅に帰った。
母曰く、マフラーの両サイドに当たる最初と最後はちょっとコツがいるが
あとはひたすら繰り返しだと言われた。

 
確かに、難しくなかった。
ミサンガより簡単かもしれない。
編み目を飛ばすことさえ注意すれば
後は根気作業だ。

 
編み物というと、暖炉の前にロッキングチェアに座りながら編み編みして
膝掛けをして
足元にはゴールデンレトリバーだかなんだか、毛が長く大きくて穏やかな室内犬がいる……
というイメージがある。

 
現実の私は
ちゃんちゃんこを着ながらコタツに入り
髪は大雑把にまとめ
部屋には西洋人形が飾ってある。

そんな中で編み編みをしていた。

 
週5日が授業で、週1ボランティア、土日はフルでバイト。
遠恋だった為、夜は一日二時間くらい毎日電話をしていた。

そんな中で編み物の時間確保はなかなかに難しい。通話中、イヤホンをつけて電話をするという発想がなかった。

 
 

 
なんとかクリスマスまでに間に合った。

私は手編みのマフラーと市販の手袋と手作りお菓子を持ち
旅行の準備をして
電車に飛び乗った。

 
ちょうどその年は連休で
3泊4日で23日から彼が住む関西を旅行する予定になっていた。

 
24日は異人館に行った後、夜景を見て、フレンチのディナーを食べるという
リア充そのもののTHE 王道のクリスマスを過ごした。
 
23日は大阪、24日は兵庫、25、26日は京都と
夢のような3泊4日だった。

 
彼は手編みのマフラーを大いに喜び
旅行中に嬉しそうにつけた。
私は私でプレゼントされた指輪を早速つけ
二人でたくさん写真を撮った。

 
 
私はこの旅行に合わせてデジカメを買った。

今のようにスマホがない時代だ。
カメラ付き携帯とは言っても
画質はデジカメには敵わなかった。

他のカップルがするように
私はデジカメでたくさん、本当にたくさん
様々なものを撮った。
そしてアルバムにその写真をおさめた。

 
いつも二人とも嬉しそうに笑っていた。
その笑顔に幸せ全てが詰め込まれていると
信じていた。

 
 
あんなに豪華でベタなクリスマスは、もう二度とないと思った。
ただ、一緒に過ごせればそれでよかった。

 
実際、あんなにスペシャルなクリスマスは二度となかったし
ただ、一緒に過ごせればいいという願いは
やがて儚くも散っていった。


 
 
 

 
 
 

 
 

 
※申し訳ありません。
今日はメンタル荒れています。 

ここから先はただの、愚痴です。

 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
……………………………………………………………………………… 
 

最近、親友が苛々していて、私はたびたび八つ当たりされた。
まぁ色々あるのだろう、とあえてそれは指摘しなかったが
不安定なLINEを長々と送られ
私は困惑した。

 
不安定になった理由は、私が羨ましかったから、らしい。
趣味でいつも楽しそうだし、友達がたくさんいるし、仕事だってただ今休んでいるだけで、今後、きっといい仕事が見つかるだろう、と。

 
 
あぁなるほど、と思った。
そういえば前もあったな、と思った。

なんかやけに機嫌悪くて、色々つっけんどんに言われて
私がそれを指摘したら
単に八つ当たりで
やっぱり同じような嫉妬からだった。

 
そうだった。
彼女は焼きもち焼きだった。
普段はそれをおさえこんでいるが、不安定になったり、ストレスがたまると
私の何もかもが羨ましく見えてしまうという傾向があるんだった。


  
「私より○○ちゃんといる方が楽しそうに見えた。」 

そう言われた時、私は「うーん…」と唸るしかない。
私にとって友達は、絶対的な信頼感や好意がある存在で
学校というしがらみがなくなった今、まだ繋がりがある友達は
一緒にいて楽しさしかない人ばかりなのだ。
 
 
第三者に愚痴るぐらいの仲なら、友達じゃない。

そう思えるほど 
私は基本的に親友に、別の友達の愚痴は言わない。というより、愚痴ることはない。
私にはもったいないくらい、みんな素晴らしい友達なのだ。

 
それが逆に、嫉妬の対象になったらしい。

 
 
 
母「昨日は何をあんなに長々と電話していたの。」

私は一部始終話した。
親友は八つ当たりや嫉妬を詫び、ひたすらに謝っていた。
  
 
私「私の一体何が羨ましいんだろうね。30代で独身で無職で転職の当ても、結婚の予定もないのに。」

 
母「そうよ。彼女は結婚しているのに、独身の何が羨ましいんだか。お母さんはさっさと結婚してほしいだけなのよ。」

 
私「結婚できなくてごめん。仕事も………。」

 
 
私は返す言葉がなかった。

本家の娘として生まれた以上、結婚できない私は相応しくないのだ。

人生に悔いがなかろうと、趣味が楽しかろうと
友達がいようと
毎日それなりに楽しく過ごせていようと
30代で無職で独身という娘が
親にとって、いい娘なわけがない。

 
姉が早々に結婚し
元気な子どもを二人産み
転職せずに、同じところでずっと働けているのに
なんで私はそれができないのだろう。

本家として生まれたのに
なんで私はいまだに、親が望む子になれないのだろう。

 
ダメなんだ。
どうしてもダメなんだ。

跡を継ぐ為だけに、好きじゃない人との結婚に前向きになれない。
好きな気持ちだけで、跡を継げなさそうな人と付き合いを続けることもできない。

 
婚活も疲れた。
嫌だ。もうやりたくない。

結婚が幸せの全てとは思えない。
私は今の人生が楽しい。
趣味に燃えたり、友達と過ごす今が楽しい。
私に結婚なんて無理だ。
未婚率だって高いし
他のみんなができないことが
私より素晴らしいみんなができないことが
どうしたら私にできるというのだろう。 

 
分かっている。
親が望むのは、仕事を10年以上続けることじゃない。
転職じゃない。
私が人生楽しく過ごすことでもない。

私が結婚して、出産する。

 
それができない限り、私は認められない。
私は、出来損ない。
分かってる。
親だっていつまでも元気なわけじゃない。
私もいつまでも一人で大丈夫なわけじゃない。
親の心配はもっともだし
だからこそ返す言葉がないのだ。

親の望むような子になれなくてごめんなさい。

そんな思いはいつも心にある。
 
 
  
毎日、言われる訳ではない。
強く、言われた訳ではない。

でも分かるんだ。
結婚してない私は失敗作なんだ。
 
 
なんであの時、なんであの時…結婚できなかったのか。
なんであの別れの先に、他の人との幸せや結婚がないのか。
前向きに頑張ろうとしても
どうしても上手くいかない。
私は恋愛に向いてない。人に向いてない。上手く生きられない。

なんで今、仕事さえ失ってしまったのか。
せめて仕事していればまた違かったのに
私は何も返すことができない。

 
本当に、私は
みんなと同じようにできない。

 
あぁいっそ、離婚覚悟で申し込まれたままに結婚すべきなのか。
離婚でもしない限り、親は諦めがつかないのか。

それでまた姉と比較されるのか。
いや、私が勝手に劣等感から比較して
落ち込むだけか。


   
朝からひどく感情的になってしまった。
涙が止まらない。

恋愛や結婚に前向きになれて、上手くいって、家庭を築けている人が私は羨ましいよ。
私だって思い描いていた未来がほしかった。
 
  
 
  
手編みのマフラーを編んだ相手が昔私にはいた。
だけど、その人は別の女性を選んだ。
ただ、それまでだ。

恨まないように、恨まないようにと思っていても
時々どうしようもなく憎くなる。

 
私から彼を奪った上で、SNSで私を悪く言ったことが未だに忘れられない。
なんでそんな根性悪い子を、私を捨てて選んだのかと思うと
そんな子が彼の家族に認められたのかと思うと
憎くて悔しくて惨めで
本当に苦しくて苦しくてたまらない。


 
結婚して早々に彼を捨てるくらいなら 
あの時、婚約していた私から、彼を奪わないでほしかった。
 
私から幸せや未来を、奪わないでほしかった。
 


 

 



 









 


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