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屋根まで飛んでいく

「お洒落は足元から。靴にも気を配れるかどうかでコーディネートの質はグッと変わる。」

大学時代、友人から私はそう言われた。
確かにお洒落な友人はいつも靴がポイントになっていた。
靴に気を抜かないというか
無難な物を履かないような印象を受けた。

 
 
それまでの私は上下の服の色合いのバランスを見て
それに合う靴を履いていた。

私服はスカートやワンピース率が高い私は

春はパンプス
夏はサンダルやミュール
秋はパンプスやブーツ
冬はブーツ

 
と、その季節に合わせて靴を履いた。
今でこそスニーカー文化だが
当時はガーリーな服にスニーカーを合わせる発想はなく
私はスニーカーを履くことはほとんどなかった。
もちろん、スニーカーも何足かは持っていた。

 
 
季節で靴を履き替える私は
靴をやたらと持っていた。
20足以上は持っていただろう。

 
合わせやすい黒や茶の靴を買いつつ
バイト代が入った私は、コーディネートにおいてポイントになるような、個性的な靴も買うようになっていった。

私は友人の影響を受けやすい。
友人曰く、「ともかちゃんは素直だよね。」とのことだ。
 
 
確かにシンプルなコーデでも、靴が個性的であったりすると
全体のバランスがビシッと決まった。
なるほど、面白い。

 
 
小さい頃はかわいらしい靴は小さいサイズしかなく
足が大きいせいで寂しく思ったこともあったが
大人になってからは自分の意思で様々な靴屋に行き
試着し
自分の足に合った靴を思う存分探し、履けるという
自由や楽しさが広がった。

大人になるというのは楽しいことだ。

 
 
就活用ハイヒールを購入し、結婚式お呼ばれ用のキラキラハイヒールも購入した。
花火大会用浴衣には下駄、プールや海用にはビーチサンダルと
靴置き場にどんどん靴が増えていったところで
私は社会人になった。

 
私の職場は通勤靴がスニーカーである。 
原点に戻った気がした。

 
思えば
小学校~中学校はスニーカーを毎日履いて
高校はローファーを毎日履いていた。

大学時代は季節に合わせた靴を履いていたが
私は社会人になり
また元の毎日スニーカーを履く時代に突入した。

 
 
私は24.5cmと女性の割に足が大きく
慣れない靴を履くと足を痛めやすかった。

スニーカー生活はなんといっても快適だった。

動きやすく、走りやすく
そして足を痛めない。
かわいらしい靴は長時間履くと足を痛めやすく
私はよく踵や指にカットバンを貼って予防していた。
お洒落は我慢なのだ。

  
だが、社会人になりスニーカーに味をしめた私に朗報のごとく
世の中はスニーカー文化になった。

  
今まではスポーティーな格好にしか合わせなかったスニーカーが
ワンピースやスカートに合わせるのがお洒落という流れに変わった。 

 
スニーカーもかわいらしい花柄の物等も増え
スカートにも合わせやすいデザインが増えた。

 
数年前、引っ越しを機に私は大幅に靴を処分した。
お洒落のために、足を多少傷めても無理をして履いていた靴があったが
それらにはさよならした。
引っ越し先は以前よりスペースが狭いし
社会人になってからは、スニーカー以外を履く日が
そもそも激減していた。

 
かつて季節に合わせて靴を履いていた私だが
そもそもは季節に合わせていたというより
季節のスカートに合わせたコーデをしていたに過ぎない。

スカートにスニーカーを合わせるスタイルが流行ったことは非常にありがたく
「足が楽でいいよね。」と友達と言い合った。

 
今でもサンダルやブーツを履くが
今ではスニーカーの数が断トツで多いし
スニーカーを履くことが多い。

 
人生、何が起きるか分からない。

  
 
 

 
 
コロナによる外出自粛期間中、私は近隣を散歩したり、なわとびをすることが増えた。
ふと足元のスニーカーを見ると、私は小学校時代を思い出し
思わず笑ってしまう。

 
 
 
あれは私が小学校二年生の頃だ。

 
私は友達と遊びながら帰っていた。
私の通学路は自然が豊かで、シロツメクサで花の冠を作ったり、ドングリを拾ったりしていた。
道の真ん中でグリコをしたり、しりとりをしたりもしていた。
車は基本的に走らない道だったので、思い切り道の真ん中で遊べたのだ。

 
その日は靴飛ばしをやりながら帰ろうということになった。
靴を蹴り上げるように飛ばし、そこまでケンケンをしながら進み
お互いに順番順番に行うルールだ。
 
 
「いくよ!それっ!!」

 
私の何度目かの番になり、私は思い切り右足に力を込めた。
靴は高く高く高く飛んでいき

 
近隣の人の家の屋根の上に乗った。

 
 
「えぇー!?」

 
 
蹴り上げた私が一番の想定外であった。
あくまで私や友達は道の真ん中で靴飛ばしをしていたのである。
まさか道沿いにある家の屋根の上に乗るとは思いもしなかった。

 
見知らぬ人の家だったので緊張したが、言わないわけにもいかない………と
私は友達と共にチャイムを鳴らして、事情を説明した。
その家の人は梯子を使ったり、窓からそろりそろりと歩いたりして
頑張って私の靴を救出してくれた。
ありがたかった。

 
「もう靴飛ばしは通学路でやっちゃいけないよ。靴を屋根に乗せちゃいけないよ。」

 
帰宅後、事情を話した私に父親はやんわり言った。

 
 
 
その後、通っていたそろばん塾の夏祭りに参加した。
通っていたそろばん塾では毎年、夏祭りを企画していた。
そこでは靴飛ばし大会が毎年行われていた。
会場は広いグラウンドだ。
ここなら屋根に乗る心配はあるまい。

 
私はそこで小学校二年生の時は2位、小学校三年生の時は1位という輝かしい成績を残し
大きなおもちゃを商品にもらった。
 
 
それ以降は夏祭りで靴飛ばし大会がなくなったから記録はそこで途絶えたが
私は靴飛ばしが得意だということを自覚していく。
どんなことにしろ、上位入賞は嬉しい。

だからあの日、屋根まで飛んじゃったんだ

 
と、変な納得さえしていた。

 
 
だが、数少ない私の長所を活かす場所はなかった。
友達との靴飛ばしは大抵、ブランコに乗りながら行われた。
確かに公園なら広々としていて屋根はないが
私はブランコに乗りながらの靴飛ばしは凡人だった。
ブランコを使わず、その場で蹴り上げるように靴を飛ばすことが得意だったのだ。

 
そろばん塾の夏祭りは年に一回だし
せっかくの特技を自慢する場所がない。
それは幼心にウズウズした。
父親との約束もあるし、通学路でやるわけにはいかない。
かといってグラウンドでやると、みんなブランコに乗って飛ばしたがり
私からは言い出せなかった。
靴飛ばしチャンピオンが自分から勝負をしかけるのはいやらしいと思ったのだ。

さり気なく、アピールしたい。

  
小学校時代、地味な立ち位置だった私は
何かしらで自分の価値を見せつけたかったのだ。

 
  
 
そんなモヤモヤを抱えたまま、私は小学校四年生になった。

友達の家の近くでバドミントンをして遊んでいた時に、「ともかちゃんって靴飛ばし得意だよね。」とひょんなことからそう話を振られた。
その友達も、同じそろばん塾に通っていた。

 
「えー!見たい見たい!!」

 
食いついたのは、そろばん塾に通っていない人達だ。
私はおだてに弱い。非常に弱い。
みんなから見たい見たいとせがまれ
また普段から靴飛ばしをやりたい欲を押さえつけていたこともあり
私は「じゃあ、一回だけだよ。」と調子に乗った。
ここなら通学路じゃないから、まぁいいだろう。

私が蹴り上げて飛ばした靴は
高く高く高く飛び

 
木に引っ掛かった。

 
 
しまった( ̄□ ̄;)!! 

 
 
屋根の次に今度は木に乗せてしまった。
高い高い木の為、手を伸ばしても届かない。
私と友達は仕方なく、友達のお母さんに知らせ、友達のお母さんから、木の持ち主の方に事情を話し
またも梯子の出番となってしまった。

 
 
「お前、アホだなー。ちゃんと周り見てから遊べよ。」

姉にそう言われた時、もっとも過ぎて返す言葉がなく、ションボリしてしまった。
私の数少ない特技のはずが、みんなに迷惑をかけて申し訳ない。
今度こそ封印しよう。
グラウンドや公園以外で私は靴飛ばしを決してやってはいけない。

そう心に誓ったのだ。

 
 
 
それから数ヶ月後のことだ。

「……あ!?」

 
「あ!?!?」

 
敷地内で家族や親戚とボール遊びをしていた時、私の右足から勢い余ってスニーカーが軽やかに飛んだ。
靴は弧を描くように高く高く飛び、納屋の屋根へと飛んでいった。

 
ち、違うんだ。わざとじゃない。今回は不可抗力だ。あの、その…

 
ごめんなさい。

 
 
父が苦労をしながら靴救出をしようと頑張っていた時、私は心底申し訳なくなった。
それが最後の、私の靴飛ばしの失敗である。

 
 
 
 
  
自分の足元を見ながら当時を思い出しては笑ってしまう。

友達や家族と外で遊ぶことがいちいち楽しくて、はしゃぎ回っていたあの頃から
だいぶ時が流れた。
 
 
長かった梅雨が明けて、太陽が眩しいほどに輝いている。
靴紐をギュッと結んで、今日も一歩踏み出そうか。


 

 

 

 

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