ケーキの切れない非行少年たち/宮口幸治
非行少年に○の絵を見せて、「1ホールケーキを同じ大きさに三等分してください。」と伝えたら
三等分できない、隠れ知的障がい者やボーダーが思いのほかいた…
という、筆者の体験談から話は始まる。
クラスの下から5番目くらいの成績の方は要注意、と述べる。
重度知的障がい者ならば支援学校に
発達障がい者なら問題行動が悪目立ちするから薬物療法が早期に始まる傾向にある。
ただ
隠れ知的障がい者(軽度もしくは、ボーダー。知能指数はテストにより変わり、今の日本は一つのテストのみで知能を測りがちである)は
勉強ができない
やる気がない
と、家庭や学校から決めつけられ、思われがちで
勉強が難しくなる小学校高学年や中学校で
「できない」が連発し
やる気をなくし
自信をなくし
自己評価の低さから犯罪に手を染めてしまう場合もある。
また、知的障がい者故の認知の歪みにも気づいてもらえず(所謂、○○したら××になる、という一般常識…想像力に欠ける。)
短絡的な発想で悪気なく犯罪を犯してしまう場合がある。
今の学校教育は学歴偏重主義であり、勉強についていけない子は問題児扱いとなってしまう。
知的障がいがある方で漢字が書けない理由として
線の集合体を形として認識する能力が低く
やる気がないわけではないのだが
学校では「漢字が書けないならひたすらに練習しなさい。」と言われがちで
やってもやってもできない
やってもやっても叱られる
といったように成功体験が低いと、学校そのものに嫌悪感を抱きやすい。
また、今の風潮として「褒める」教育がある。
○○ができてすごいわね
やればできる
と褒めることは大切だが
勉強ができない故に自信をなくしているのに、勉強の解決をせずに
別場所で褒める教育が横行している。
そのため、隠れ知的障がいの非行少年は「自分はいい子です。やればできるって言われています。」と本気で言う人も少なくない、という。
「できる」を増やすということは絶対的な自信につながる。
その「できる」は社会性だったり、生活にまつわる能力だったり、仕事や勉強につながるものが望ましい。
それが非行や再犯防止なのだ。
悪いことをして「他の人にはできない、こんなことも俺にはできる」という方向にならないよう(※他の人は悪いことをしたリスクを想像できるからやらないだけだが、それに彼らは気づくのが苦手だ)
周りは早期に気づき、支援をする必要がある。
私は福祉にまつわる仕事をしていて痛感するが
障がいがあろうと
「働きたい」「認められたい」欲求は普通にあるし
「(健常者がしていることを)私もやりたい」欲求も普通にある。
ただし、現実として
働くことが難しかったり、あまり稼げなかったり
周りから褒められたり、認められるくらいできることが少なかったりする。
誰だって、できることを増えたり、褒められたら嬉しい。
だから私は仕事をしながら利用者の人と接する時はそれを心がけている。
「どうしたら仕事ができるか」「そのためには何をしなければいけないか、してはいけないか」
それを厳しく伝えつつ
「○○ができて、すごいね」
と伝える。
【三つ叱って五つ褒め七つ教えて子は育つ】
という言葉があるが
それは大人だってそうだよ。
この、3:5:7のバランスは大切。
読み応えのある一冊だった。
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