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入院11日目:私の使命

母親が入院して二週目の金曜日を迎えた。
明日はライブの予定だが、まだいまいち実感はわかない。

日々家事に追われ、自分のことは後回しにしているし、時間があるなら眠りたい。
父は父で毎日ウォーキングが日課だったが、今はできていない。母と一緒に見ていた連ドラも見なくなっていた。

それでも先週よりはまだ余裕を感じる。
母はリハビリがスタートしたし、本来の明るさを取り戻してきたし、時間の使い方を学んできたのもある。

毎週金曜日、私は仕事後に本屋に行くのが楽しみだったが
先週は金曜日に行けなかったし、しんどかった。
だけど今週は時間を作って行くことができた。献立もそれ用に考え、時短に成功した。

 
反面、父も私も先週より今週、今週より来週が仕事はハードなので、そちらの疲れはたまっている。

 
 
今日は朝からどしゃ降りで全身濡れる。
水筒の蓋の閉め方が甘かったらしく、バッグも中身も濡れた。
朝からテンションが下がる。

食後、激しい雨はようやく止み、暑いくらいに晴れ渡る。

 
 
今日、同僚が最終勤務日だった。
明日の送別会を不参加にした私は、今日が会うのが最後になる。

穏やかな優しい方で、いつも私の胃が弱いことや食欲不振を気にかけてくれた。
最後に軽く二人で話した際、ウルッと泣けてきた。

多分もう会うことはないだろう。

 
 
「今日で二人職員減っちゃうんですね。でもまた新しい人入りますしね。」

利用者が言う。

 
「職員さんも新しい人が入るまではバタバタですね。人事異動もありますし。」

保護者が言う。

 
 
新しい人が入る保障はないのに。
新しい人がいい人な保障もないのに。

何を期待しているのだろう。

リーダーが抜けた穴や人事異動は悪手なのに。

私が辞めるかもしれないのに。

 
 
送別会に行くかしばらく迷っていたが、今は一片の悔いもない。
おいしいものを食べたい欲求も、去りゆく人と過ごしたい気持ちももうない。

今は自分と家族のことでいっぱいだ。

 
今日最終勤務日の同僚は調理師さんで
最後に得意料理の餃子を作ってくれた。
美味しかった。誰かの手作り料理はなんとありがたいことか。

辞める同僚は母と年がそう変わらない。
退職は家の都合だ。 
かつては他人事のように感じた家の都合での退職だが
今となっては私は私でいつ家の都合で辞めるか分からない。

 
最終勤務日を迎えても仕事がまだ終わらなかったリーダーは
有給休暇中ちょこちょこ来るかもしれないと話していたし
座布団や上履きは置いたままだが
結局は姿を見せなかった。

もしかしたら誰もいない休日に来て
残りの仕事をおわしたり、荷物を取りに来るのかもしれない。

もしくは座布団や上履きはもういらないのだろう。

 
 
今夜は目玉焼きハンバーグにした。
レンチンだけの手抜きハンバーグだけど、目玉焼きや付け合わせを用意したら「豪華だ。」とお父さんが喜んでいた。よかった。

料理で手を抜く私に「料理は一手間が大切だ。」とかつて元彼が言っていたが
確かに一手間が大切だよなぁと今更ながら思う。

 
野菜料理は多めに作るのが我が家流。

 
 
夕飯を作り終えた辺りで母親からLINEが来た。

車椅子でトイレに行ったこと、今日は失敗しなかったこと(しばらくは管をつけていたから、尿意があっても上手くいかない時もあったらしい。詳しくは聞いていない)
唾液検査をしたこと、リハビリで車椅子に乗ったこと。

できることが増えているようで嬉しい。

特にトイレは嬉しそうだ。
トイレで排泄ができるのは喜ばしいと思う。
 
 
音楽番組を見ていたら、お母さんも同じものを見ていたようだ。
昨日、毎週親子で見ていた「大奥」のドラマが最終回だったので、その感想を言い合う。  

 
 
流れで、真咲家の話になった。
もう私は結婚はできないだろう。婚活をやる余裕は全くないし、自然な出会いも全くない。

私はこのまま母の介護をし、父と母とこの家で暮らしていくのだろう。

 
不満はない。
介護云々の理由ではなく、約40年生きてきて出会いと別れを繰り返し、縁がなかったのだ。

好きな人とは一緒になれない。今回はそういう人生なのだ。

まだ誰にも言っていなかったけど、40歳になったら家を出ることを考えていた。
一度くらい一人暮らしをしないと、社会性に乏しい家事能力の低い大人なままだと。

 
だけど、母の入院を機に、私はこのままこうして家に残る人生なのだと悟った。

結婚できなかったのも、福祉の道を選んだのも、全てはこのためだったのではないかとさえ思える。

 
本家は私で途絶えるけれど、姉や従兄弟は子どもを産んだ。
だから真咲家が途絶えることはない。それで十分じゃないか。

 
母が救急搬送される前日、私は家紋のキーホルダーを頼んだ。
それもまた、偶然だが必然な気がする。

家紋のキーホルダーを身につけながら私は思う。

これが家にこだわった私の、私達家族の人生であり、家を守ることなんだと。

 
子どもは産めないし、結婚はできないし、跡は継げないけれど
母と暮らし、父を助けることなら、この先の人生まだまだできることがたくさんある。

これが本家に産まれた私の使命なのだろう。







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