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リーダーの理想、私の現実

その日、私はパソコンをしていた。

 
リーダーも隣でパソコンを始めた。
パソコンを立ち上げた瞬間、新施設長がリーダーに「仕事邪魔していいですか?(笑)」と笑いかける。

新施設長が某利用者のことや今後の施設の行事について聞いてきた。

 
リーダーはペラペラ自分の意見を述べる。
仕事に信念がある人だなぁと思った。
意見が次々に流れるように出るのだから。

 
私は口を挟まなかったが
パソコンをしながら内心、「へ~。ほ~。」と感心していた。

それでいて、話し合いがなかなか終わらないので
リーダーはこんなに話していてパソコンで仕事はできているのだろうかと勝手に心配になった。

 
リーダーの考えとしては
理想としては
利用者が行きたい場所ややりたいことをグループごとに計画し、実行するということらしい。

 
確かにコロナ前はそれをやっていたらしい。
映画やボーリング等を利用者が企画して、行き方を調べて
職員はあくまで助言や運転手伝いだったらしい。

コロナ前にやっていた調理実習にしても
利用者がメニューや中に入れるものを決めるところから始まったとか。

 
そんな中で身を置いていたリーダーにとっては
それが当たり前なのかもしれない。

 
だけど。

 
新施設長は「真咲さんは今の話をどう思いますか?」と言ってきた。

だから私は伝えた。

 
確かにそれができれば理想だけれど
一部の方はできるだろうけど
“自由に決める”ということは難易度が高く
難しい利用者が大半だろうし
職員負担も否めない、と。

 
それでいて私はこうも言った。

リーダーが発案したレクの〇〇や●●は楽しそうだし
それをやるなら
▲▲もやってみたらどうかなと個人的には思う、と。

そして
□□も楽しそうだなと思う、と。

 
私は言いながら驚いた。
私は私で夢や理想があったからだ。

 
ずっとやりたかったこと。
今やりたいと思ったこと。

 
それを言った時
私の頭の中でフッと昔の記憶が蘇った。

 
 
前の職場は年間の予定が決まっていて
基本的には毎年繰り返しだった。

4月は〇〇に花見。5月は外食。6月は映画……そんな風に。

 
私はそれに不満はなかった。
また来年が楽しみだったから。

 
同じ場所に毎年行く楽しみがあることを私は知っていたから。

多分利用者もそうだったと思う。

 
職員にしても、毎年同じ行事は楽だったのもある。
同じといっても
例えば花見はお弁当を変えたりもしたし、外食場所や映画を変えたりもしたし
全く工夫をしていないこともなかった。

外食場所や映画は複数用意して選択制にしていた。

 
それでいて毎年
年に何回かはフリーな営業日があった。新たに行事を企画する日だ。

 
毎年5月は
その年にやりたいことを、行きたい場所を、利用者に聞いていた。

 
毎年たくさん意見が出た。
毎年同じ意見も出た。

 
あの時の光景がパァーッと浮かんだのだ。

 
「ディズニーランドに行きたい。」

ある利用者が毎年言っていた。

 
だけどそれは無理だった。

施設の行事として行くには
職員体制の都合や予算や諸々が理由で無理だった。

 
「考えておくね。」

なんて表向き言いながら
そうしていくつもの利用者の意見を聞き流していたのが現状だった。

 
だから退職して小さな施設に転職した。

小さな施設は小回りがきく。
あの頃諦めたあれやこれができる。諦めなくていい。

 
だけど。

私は本来、誰と出かけたかったのだろう?
誰のそばにいたくて、あんなに頑張っていたのだろう?

私が叶えたかった望みは、それは…。

 
自問自答した時に浮かぶのは
あの時のあの光景だ。
あの時の利用者のみんなの顔だ。

責任者として奮闘していた、あの頃。

 
不意に泣きそうになった。
どんなに懐かしんでも
もう私はあの頃には届かない。

戻れない。

 
前の職場は職員が減らされ、利用者は増えていき
上の考えや地域からの意見で
最終的には外出が全てなくなった。 

 
退職した私にはもう何もできない。
そもそも、できなくなったから退職したじゃないか。
 
そう言い聞かせる。

 
パソコンを叩き続けた。
余計なことを考えないように、パソコンを叩き続けた。
  
忘れてはいけない。  
今私がこうして夢を語れるのは
転職先にいるからだ。
リーダーがそばにいるからだ。

 
あの頃、私や利用者や保護者の要望を無碍にした上司は
今でも前の職場で権力を持ったままだ。
私が退職したって何も変わらない。

私はリーダーと
新たな夢を描いていこう。

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