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こんなクラスは初めてだよ!!

高校一年生の頃、担任の先生は激怒した。

「こんなクラスは初めてだよ!!」

あの時のことは今でも、忘れられない。

 
 
 
 
本命の高校に落ちた私は、自信を失くしていた。

私は負け組なのだ。
私は選ばれなかった。
競争社会で負けて、私立に行く負け組なのだ。

高校入学式までの間、私は暗い気持ちでいた。
すべり止め高校の入学式なんて、楽しみでもなんでもない。
それでも立場上、行くしかないのだ。

高校に行かないという選択肢はないし
その高校に思い入れがないだけで
高校に行きたくないわけではなかった。

 
 
私の高校はいくつかの科があり、一学年で1000人のマンモス校だった。
私は普通科で、普通科は特進・進学・英進の三コースに分かれていた。
私は特進コースである。特進コースは1~7組まであった。
中等部からの内部進学組は全員1組で、私のように受験失敗組は2~7組に振り分けられた。
私が知っている限り、本命が元々ここだったという人は一人しか見当たらなかったので
2~7組の人は、ほぼ全員が同じ傷を持つ者だった。

不合格者の烙印を持つ15歳だった。

最初にクラス分け一覧表を見た時、私はなかなか自分の名前が見つからなかった。
2組から順番に見て行き、ようやく見つけたのは7組だった。

7組!

私は驚いた。
小学校は1クラス、中学校は3クラスしかなかった。
中学校は学年で100人。
そんな田舎者が、一学年25クラス、学年1000人の学校にこれから三年間通うのだ。

7組

今までにない数字だ。
ラッキーセブンだ。いい数字じゃないか。
上履きには7組と書く決まりだったので「1 - 7」と書いた。

 
 
入学して一ヶ月もしない内に、私は自分が何故7組なのかを理解した。
私の高校は入試の時の成績順にクラス編成していた。

入試の成績が一番良かった人が7組

と言われた。
つまり、入試の成績順に7組→6組→5組→……と振り分けられたらしい。
中学校は学力バランスや人間関係、相性でバランス良く振り分けられたと噂に聞いていたが
高校は入試重視だと分かった。
確かに中学時代に通っていた塾も、レベルに合わせてニクラスに分けられていた。

塾と同じシステムか。

そう思った。
でも、塾は所詮ニクラスで、ここは2~7組と六クラスに分類されている。
規模が、違う。

  
確かに、私はここの入試の時のことをよく覚えている。
科目数は国数英の三科目で、私は確かな手応えがあった。
自信がない問題は、三科目でわずか1問。
満点の自信があった。
生まれて初めて受けた入試がこうだったので、あまりにも拍子抜けした。
早々に解き終わり、見直しも完了しても、試験終了まで残り10分以上あった。
私はコックリコックリと、暇すぎて眠気とさえ戦っていた。

合格発表は、中学校の視聴覚室に一人一人呼び出されて、担任から告げられた。

「合格よ。余裕だったわよ。」

担任はニッコリ笑いながら言った。

 
私は自身が7組で、7組がそういったカラクリだと分かり、あの日の担任の笑みはこういうことだったのかと理解した。

 
 
不合格者だったはずの私は、高校の中では羨望の眼差しで見られた。
なんせ上履きには何クラスかが書いてある。

「あの7組よ。」
「ともかちゃん、頭いいんだね。」

と言われた。

どうせなら私立入試ではなく、本命入試で力を発揮してくれよ自分…
とは思ったが、試験とはこういうものだ。
 
 
 
一般では、本命に落ちた負け組な私。
高校内では、成績優秀な私。

そのギャップが不思議だった。
置かれた環境が変わるだけで、立ち位置や気分も変わる。

 
悪い気はしなかった。
「頭が良い。」は私のステータスだ。
運動もできない、容姿も恵まれていない、私のステータスだ。

………そう思えたのは、入学してから三ヶ月にも満たなかった。

 

7組は、県立最上位校を落ちた人がほとんどだった。
私が落ちた本命高校ならば、受かっていた人が大半だった。
私は入試がたまたまできただけで、頭の作りが根本的にみんなと違かった。

中間期末試験では、7組は100位以内に入るのが当たり前

と担任から言われていた中で
私の成績は150位以下だった。
担任は化学の先生で、私は全科目の中で化学が一番成績が悪く、それもまた居心地が悪かった。
二者面談では、もっと勉強を頑張るように言われた。
…自分なりに頑張っていたつもりだった。
予習や復習を、自分なりに頑張っていたつもりだった。

だけど、皆には勝てないし、追いつけなかった。

「テスト勉強しないで、昨日は寝ちゃったよ。」と笑う皆は
テストで高得点を叩き出した。
私の得意な国語でさえ、クラス上位には食い込めない。
常に上には上がいた。
 
 
 
二学期の学級委員を決める日のことだ。
某クラスメートが立候補すると張り切っていた。
一定数、学級委員やりたがる人はいるもんだなぁ、任せよう、と
私は呑気に構えていた。
私は学級委員をやりたくなかった。私以外なら別に誰でもよかった。

ところが担任の先生は後に全員に一枚の紙を渡した。
そこには男女各10名の名前が書かれていた。

「そこの誰がいいか、各自○をつけるように。」

まさかの、立候補でも推薦でもなかった。
その20名は

男女別に、クラス成績が上位の人だった。

 
残念なことに、学級委員をやりたがっていた人の名前は、そこには書かれていなかった。

 

みんな、自分の成績は自慢していなかった。
周りの話しぶりから、クラストップが誰かくらいは把握していた。
だが、私はその紙を見て驚いた。

私が仲の良かった子の大半が
その紙に名前が書かれていた。

 

上履きに書かれた「1 - 7」と同じで
本人が何を言おうが何を言わなかろうが
その紙に書き出された名前が全てだった。

AちゃんもBちゃんもCちゃんも……
みんなみんな、こんなに頭が良かったなんて……

私は打ちひしがれた。
運動神経もない、容姿に恵まれていない、私の武器が
ここでは何の役にも立たない、なまくら刀だ。
 
段々、7組ということが私に重くのしかかってきた。
他クラスから見た私は羨望の眼差しの対象だが
実際にはなんてことない、ただ入試の成績が良かっただけの、落ちぶれ者だった。

 
たまたまだが、7組には容姿端麗で運動神経抜群の男女も多く
親は医者か薬剤師か実業家ばかりで
私はそういったことも含めて、コンプレックスの塊だった。

 

文武両道

の言葉が身に染みた。

小さい頃に親が言って聞かせた「運動神経が悪いのはどうしようもないから、勉強を頑張りなさい。勉強は頑張れば頑張るだけ、力になる。」という言葉が、しおしおと萎れていく。

天は与える人には、二物も三物も与えるのだ。

 
 
 
そんな状態だったから、私はあの過ちを犯してしまった。
今まで、一度もやったことがなかったのに。

 
特進コースでは小まめに、朝、英語の小テストをやっていた。
小テスト用の問題集があり、そこからランダムで出題された。
回答は選択性で、点数が7割以上とれない人には課題が出るといったペナルティがあった。

 
私は、半々の成績だった。
7割以上の時もあれば、そうでない時もある。
連日の授業の予習復習宿題に加え、小テスト勉強に課題…
想像以上に、高校の勉強はハードだった。
だけど、みんなに置いて行かれないように、ただただ必死だし、焦ってもいた。

そんな時だった。

学級委員の子が、6組から小テストの内容を聞いたと、一部の子に話した。
彼女の話によると、隣のクラスは学級委員が小テストを職員室から教室に運ぶシステムらしく
先生が来る前に問題集で答えを見つけてその答えを丸暗記し、点数をクリアしているという。

 

私は学級委員の子と仲が良かった。

「ともかちゃんにも答え教えてあげようか?」

私はその悪魔の囁きに、迷いつつも、乗った。
小テストは内申点には関わらないし、点数はどうでもいいと言えばいいが、ペナルティでの課題が厄介だった。
課題をする時間を、予習復習の時間に当てたい。
そういったことが本音だった。

「行くよ。3、5、4、2、3、5、4、2、1、1」

選択性の問題だったので、問一から順に回答を友人が読み上げた。
英単語を覚えるより、この数字を覚える方がよっぽど簡単だ。

私はその数字を丸暗記し、テストで書いてみた。
…………満点だった。
情報は確かに、本当だったのだ。

  
「私、6組の子と仲良いから任せて!また聞いてくるよ。」

学級委員の子はそう言って、その後も答えを聞いてきた。
最初は女子10人ぐらいでこっそり行った集団カンニングだったが、学級委員の子が男女仲が良かったことも災いし、段々とカンニングに関わる人は増えていった。
次第には、学級委員の子が、

「じゃあ今日の、答え書きまーす♪」

と、黒板に答えをデカデカと書いている始末だった。
もう、こっそりカンニングどころではない。
クラス全体で、その答えを見て、暗記し、先生が来る前に黒板を消した。
あくどいところで、全員毎回満点だと怪しまれる、と
わざと多少間違えたりもしていた。

こんな日がそう長く続くわけがない。
ある日私達は、先生に仕掛けられてしまった。

 
 
いつものように答えを丸暗記し、テストが返された。

ほとんどがバツだった。

そんなバカな。
周りの人も同様だった。
みんながみんな、予期せぬ結果に動揺が隠せなかった。
 

 
どうやら、カンニングに加わらなかった真面目な子が担任の先生に告げ口し

7組だけ、違う小テスト 

が配られたらしい。
問題集さえ開かず、問題文を覚えることさえ放棄していた私達は
問題文や答えの違和感に気づくことさえしなかった。

先生の罠は実に見事だった。

真面目に勉強している子はそれなりの成績をおさめ、集団カンニングに加担している人をあぶり出せたのだろう。
言い逃れは何もできない。

「これはどういうことだ?なんでみんなが同じ問題に同じ選択肢で間違っているんだ?」

「それも、毎回高得点だった人達が何人も何人も。」

みんなは俯いて、ただ机に視線を落とした。
バツだらけの答案が置かれた机。
逃れられない現実。
私達は何も言えず、沈黙した。

「こんなクラスは初めてだよ!!」

先生は沈黙を破るように怒鳴りつけた。
今までで一番大きな声に、全員がビクッとした。
空気が揺れ、窓ガラスにさえ響いた気さえした。
怖くて泣いている生徒もいた。
 
先生は激怒し、そのまま教室を出て行った。

 
先生が立ち去った後、教室内の空気は少し、緩んだ。

「私のせいで、みんな、ごめんね。」と学級委員の子が謝った。

「いや、それに甘えちゃって勉強しなかったのは私だし、カンニングしたのは自己責任だよ。みんな悪かった。」と私は言った。
大抵の人が、私の言葉に頷いた。

何も言わずに泣いていた子もいたし

 
「でもなんでバレたの?ちゃんと全員全問正解は気をつけていたのに。やっぱりアイツだよなぁ…」

「アイツがチクッたんだよなぁ…アイツめ……。」

と、犯人に目星をつけて、睨んでいる子も複数いた。

 
犯人…と思われる子は、明らかに態度が違かった。
こうなることを最初から知っていた素振りだったのを、みんな見逃さなかった。
犯人…真面目な生徒……と思われる子は、元々クラスで浮いていたが
これを機に一部の人とは関係が悪化し、更に孤立化していく。

正しいことをすれば人間関係は上手くいくというわけではない
いい見本だ。

 
 
私達カンニングに加担した人達は全員で担任に謝罪した。

「こんなことをするくらいなら、テストは受けなくていい!」

と先生は怒り狂い
それでテストがなくなればそれはしめしめだが、まぁそうするわけにもいかないので

「もう二度とこんなことはしません。テスト受けさせてください。本当にごめんなさい。」

と、私達は謝り続けた。

先生は許してくれた。

 
 
集団カンニングの件は、もちろん6組のことも含めてバレたらしく
6組の方も怒られたそうだ。

7組は別格だったが
高校生活が始まると、6組は7組に負けじとも劣らない成績だった。

内部進学の1組を抜かすと、6・7組はエリート中のエリートだった。

 
 
「一番は7組だけど、6組もすごいよね。」

そう噂されていたニクラスだけが、集団カンニングをしたのだ。
しかも、両クラスの学級委員の先導によって、だ。

入試の成績、学校の成績だけでは
分からないものがある。

 
 
私含めおそらく今回集団カンニングを行った人達は
これが人生最初で最後のカンニングだったと思う。

「みんながやっている」「友達がやっている」「たかが小テスト」「内申書に響かない」「答えが分かっている」「バレない」

そういった、カンニングへの罪悪感を緩和する材料が、今回はたまたま揃ってしまった。 

人とは恐ろしい。
一人だったら、きっとみんなカンニングはやらなかった。
やらないままだった。
だってみんな、カンニングなんかしなくても、私より頭がよっぽどよかった。
 
 
 
私はこれを機に、再び真面目に小テストの勉強をするようになった。
相変わらず、合格点はとれたり、とれなかったりだが
それでも心は軽かった。

やっぱりカンニングなんてするものじゃない。
あの時、先生にバレてよかったんだと私は思っている。

最初は罪悪感を感じていたのに、集団カンニングということで、私は確かに感覚は麻痺していた。
「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」を地でいっていた。
目先の欲に惑わされて、私は大事なものをなくすところだった。
私は目を覚ましたのだ。

集団カンニングを告発した人も、入学して半年後にはクラスに馴染みだした。
7組のクラスが一つにまとまりだし、楽しかったところで
私は二年生になった。  

 
 
二年生からは、文系・理系でコースが分かれ
更に国公立組、私立組にクラスは振り分けられた。
私は文系を希望して文系コースになったが
理系は、理数科目が一定の点数をとっていない場合
希望しても文系に落とされた。
 
つまり、理系と文系なら、文系の方が成績が劣っていた。

国公立組、私立組も、希望云々ではなく、一年生の時の成績で振り分けられた。
得意、不得意科目にばらつきがある私は当然、私立組になった。
謂わば、ランク落ちだ。
楽しかった7組だったが、クラスメートの大半とは離れ離れになり
私は新しいクラスで一からまた人間関係を築く必要ができた。

 
 
ランク落ちは格好悪かった。
だけど、心は軽かった。
身の丈の成績にあったクラスで、私は伸び伸びとできた。
二年生から家庭教師をつけたこともあり、私はクラス内で上位をキープしていた。
一年生の時よりも、二、三年生の時の方が成績は良かった。

 
新しい担任の先生は、穏やかで優しかった。
学歴偏重主義の我が校にそぐわない方だった。
学校自体は成績を重視したし、有名大に入ることを目的として、ガミガミうるさかったが
担任の先生は、生徒の気持ちに寄り添ってくれた。

学級委員を決める際も、成績関係なく、クラス内からの推薦・投票制だった。
そして私は、投票により学級委員の庶務に任命された。

 

 
時間が解決してくれることもある。
だけど、大人になって思うのは、人の気持ちは早々容易くなく、時間より環境が大切だということだ。

人は置かれた環境で変わる。
良くも、悪くも。

 

  



 

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