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地元に帰ってよかったと思う5つのこと。

こんにちは。
静岡県で小さな家具工場を経営している鈴木大悟と申します。

現在はMANUALgraph(マニュアルグラフ)と言うソファ専門の自社ブランドを運営しながら、まちづくり団体一般社団法人南富士山シティと言う団体を運営しています。

僕は高校を卒業して以来約15年間、生まれ育ったここ静岡県裾野市を離れ東京で暮らしていました。
進学後、バンド活動やサラリーマン生活を送りながら、結婚もし妻と子供2人と都市部に住んでいました。

ところが、2011年東日本大震災を受け、家業を継ぐため本当は帰りたくなかった我が故郷に帰って早9年。

あれだけ地元に帰るのが嫌だった僕が、9年経ってすっかり静岡での暮らしを満喫し、地元に帰って本当に良かったと思う5つのことをご紹介したいと思います。

もし今都市部で暮らしてる方で、
・実家には両親もいて家もあるし帰ろうかどうしようかなー
・親が営んでる家業どうしようかなー
などと、ちょっとでも悩んでいる方、Uターンや移住を検討してる方に少しでも参考になれば幸いです。

1、住宅のコストが安い。

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写真は僕が帰郷して6年目に建てた我が家のリビングです。

住まいに関しての価値観やプライオリティは人それぞれですが、僕の場合インテリアに関連する仕事をしてるのもあり、やっぱり広くてお洒落な一戸建てに憧れていました。

土地は元々実家の敷地の中にあった祖母の家を建て替えたのでタダ。建築費は約3,500万円。もちろん35年ローンです。月々の支払いは約10万円。仮に都内で同価格の新築の分譲マンションを買った場合より恐らく倍以上の広さで庭もあって、薪ストーブもあったりしちゃいます。

リンクはライフスタイル系Webメディア「100%LIFE」さんで取り上げていただいた我が家と僕のライフスタイルを紹介していただいてる記事です。よろしければご参照ください。

賃貸か持ち家かの議論もありますが、そんなにお金持ちでなくても少なくとも都市部よりは贅沢な住空間で暮らすことができたのがUターンして1番良かったと感じるメリットです。


2、働くことがより楽しくなった。

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冒頭にも述べましたが僕は東日本大震災の影響で潰れかけた家業を継ぐために泣く泣くこの地元に帰ってきました。
帰ってくる前は、東京での仕事も楽しく充実していたので、正直帰る気はありませんでした。
しかし今は中小企業の経営者として、責任も大きいですが、自分次第で結果も出せる非常に刺激的で楽しい仕事に従事し、毎日充実して働いています。


地元に帰って2年後には自社の強みを活かし、自社のブランドMANUALgraph(マニュアルグラフ)を立ち上げ、2つの実店舗とECを運営しています。

帰った当初は父親の代から働き続ける10名の社員さんのみ(ほとんどが65歳以上!)でしたが、今では若い新しい仲間も増え、総勢約30名の仲間と毎日楽しくものづくり、お店づくりに励んでいます。

中には僕同様、Uターンや移住をして我が社に就職してくれた社員も多く、会社としてもWantedlyなどを活用してUターンを促進しています。


僕の場合は「家業」と言う働く場が用意されていたので恵まれていて特殊なパターンかもしれませんが、今地域は過去にない人手不足です。

平均収入は都市部に比べ低いですが、前述したように暮らすコストも下がります。また待機児童がまだ少なかったり実家が近ければ両親の協力も得られたりと、共働きもしやすい環境の場合も多いでしょう。

さらに、このコロナ禍で在宅ワークも促進され、働き方の多様化も進んでいます。実際にフリーランスで独立して移住されてくる方も増えています。

僕が立ち上げたまちづくり団体「一般社団法人南富士山シティ」ではコワーキングスペースを運営したり移住相談を受け付けたりしています。

今はまだ新型コロナウィルスの影響で、ちょっと移住は待ってねと言うような雰囲気ですが、収束が見えればまた再開したいと思いますので、ご興味がある方は是非お問い合わせください。

地方と都市と比べて、「あるもの」と「ないもの」があります。
地方に「ないもの」として挙げられやすいのが「満足のいく仕事」です。この「満足」は収入だったり、刺激だったり、やりがいだったり様々です。

移住相談を受ける中で「満足いく仕事がありますでしょうか」と言う悩みを聞くことを多いです。
答えは当然「YES」です。
僕の様に家業がなくても、そう言える理由は、

①働き方の多様化が地方でも起きていて、都会で培ったスキルを活かす機会は地方にも様々ある。
②地方には過去にない人手不足。企業内でも個人でも活躍する場はいくらでもあります。
と、僕は思います。

ただしその働き方、見つけ方にはちょっとコツがあって、普通に就職サイトで見つけるのではなく、地域と事前にコミュニケーションを取りながら、人との繋がりの中で多少時間をかけて自分の「働き方」を見つける必要がある様に感じています。

以上の様に、僕は家業があって刺激的で楽しい働き方が用意されていましたが、そうでない場合でも十分見つけられると思います。

そんな「自分らしく楽しく働ける」チャンスが地方にはいっぱい転がっているのが、僕が地元に戻ってよかった2つ目の理由です。


3、地元の友達、仲間、コミュニティが最強。

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Uターンや移住を迷ってる方の中には、疎遠になってる地元の同級生や、地域のコミュニティに溶け込めるかが心配の種になってる方も多いのではないでしょうか?

かく言う僕も、そう言う田舎のコミュニティがなんか嫌で地元を飛び出した方でしたし、実際に帰るとなった時も、疎遠になっていた地元の同級生たちとうまくやっていけるか正直心配でした。

でも帰ってみるとそこにはうまくいくポイントが2つありました。

①大人になった同級生はみんな優しく僕を迎え入れてくれた。
田舎には確かにマイルドヤンキーが多く、昔は馴染めない奴もいましたが、みんないつの間にか大人になっていて、15年ぶりに再会した僕を暖かく迎え入れてくれました。子供の頃から知っている同級生はやっぱりなんか普通の友達とは違い、今ではヤンキーだったアイツも、真面目だった彼も隔たりなく毎週のように飲み歩いています。

また僕が帰ったことをきっかけに、今では僕自身が年に1回年末にプチ同窓会を開いて、遠方で暮らしてる帰郷してきた友達も誘ってUターンを進めたりしています。

②地域のコミュニティに溶け込む努力は必要。
地元に戻ってまず様々なコミュニティに顔を出す努力をしました。
最初は結構めんどくさかったですが、だんだん楽しくなり今では積極的にいろんなところに顔を出しています。
そもそもそう言う付き合いや、コミュニティが嫌で田舎を飛び出した僕ですが、帰って積極的に顔を出すといつの間にかすっかり僕も地域のコミュニティの一員になりました。
田舎特有の先輩後輩の関係や、付き合いなど嫌な人はいつまでも嫌かもしれませんが、最初努力をして溶け込むと意外と楽しいものかもしれません。

何より友達や仲間がすぐ近くにいる。家から歩いて会いに行けると言うのも都会ではあまり味わえない醍醐味で、3つ目の理由として上げました。

4、週末が俄然楽しくなった!

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静岡に戻ってから3人目の次男が生まれ現在我が家は3人の子供がいます。

東京に住んでいる頃は、まだ上の2人の子も小さく、週末はベビーカーと抱っこ紐を駆使し、電車を乗り継いでショッピングなどお洒落な気分で都会での週末をそれなりに満喫していました。

ところが、静岡に帰ってから家族との週末の過ごし方ががらっと変わりました。
帰ってきてまず初めにはまったのがキャンプ。
僕の地元は富士山のすぐ麓。家から数十分でキャンプ場がたくさんあります。最近は子供たちも習い事などで週末も忙しくなかなか家族揃ってキャンプに行く機会も減ってしまいましたが、それでも思い立ったらすぐキャンプに行ける環境が最高です。

キャンプ好きが高じて南富士山シティでは Snowpeakさんと提携して「手ぶらキャンプ」のサービスなども提供しています。

これは、地域の魅力をアウトドアを通じて知ってもらおう、と言うのが目的で、まさに手ぶらで静岡のキャンプ場に来てSnowpeakのギアで初心者でもキャンプができると言うサービスです。
ご興味がある方はぜひご利用ください。

その他にも、温泉がすぐ近くに沢山あったり、庭や近所の広場で手軽にバーベキューができたりと、都会では非日常であったことがすぐ近くにあり、週末の過ごし方がすっかり変わってとても充実しています。

週末もそうですが、地方に住むと当然車社会、車での移動がほとんどとなります。確かに購入費や維持費などもかかりますが、駐車場なんか都会に比べたら本当にタダみたいな金額で借りれるし、何より子育て世代にはとては本当に便利。

車社会に疑問を持つ方もいらっしゃるかも知れませんが、やっぱり車って便利。地元に帰ってきて強く実感しています。

週末の過ごし方がすっかり変わり、リフレッシュ感倍増。これが地元に帰ってよかったと思う4つ目の理由です。

5、まちづくりに気軽に参加できる。

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こちらの写真は僕たち南富士山シティが市役所と一緒に立ち上げた「南富士山産業連携研究会 FCRUM」のキックオフミーティングの様子です。
一番右が僕、その隣がうちの地元出身のとある大企業の社長さん、そしてその隣がうちの市の市長さんです。

ただの地元の中小企業の経営者が、こんな座組みでフォーラムを開催したりしちゃってます。

自分の住む地域がどんな課題を抱えていてどんな未来が待っているか。
東京に住んでいる頃はそんなこと全く興味がなかったし、自分の住んでるまちの区長が誰かさえも知りませんでした。

ところが地元に戻ってすぐ、一応地元企業の経営者として商店街の会合に誘われたり、商工会の青年部や青年会議所の活動に誘われ参加しているうちに、だんだんと興味を持つようになりました。

特に同世代の仲間が、一生懸命活動している姿に触発され、いつの間にかすっかりはまってしまいました。
遂には地元行政に声をかけていただき、一般社団法人南富士山シティを立ち上げ代表理事として、右往左往しながらも「わくわくする地域の未来を共創する」ことを目指し様々な活動をしています。

あれあだけ帰ってきたくなかった地元ですが、実際に帰ってみると人々もまちも僕たち家族を本当に優しく迎え入れてくれ、同時に地域の課題もなんとなく見えてきました。
迎え入れてくれた地域に恩返しを、と言ったらちょっと綺麗事過ぎますが、せめて自分の子供たちもこのまちに住み続けられるように、出来ることをしたいと思うようになりました。

僕の住む静岡県裾野市は人口約5万人のまちで、そんなにすごい田舎というわけではありませんが、それでも小さなまちです。
市議会議員の人が地元の先輩だったり、市長が近所のおじさんだったりして、都会に住んでいた頃より政治もなんだかとても身近に感じます。

人口の多い都市部では一人一人は埋もれてしまうかも知れませんが、地方ではこんな僕でも何かやれることがある気がしています。
この地域でも様々な課題を抱えていますが、小さなまちだからこそ、一人一人がやれることをやると、結構地域にとっていい影響を与えることができたりします。

と言いながら、実際には結局仲間とキャンプしたり焚き火を囲って語り合ったりしてるばっかりですが、自分の住む地域に興味を持ち、何かしらの形で参加することは、地に足をつけて子供たちの未来はもちろん、地域の未来も考えながら生きていく生き方はなんだか充実感を覚え、地元に帰ってきてよかったなーと思える5つ目の理由として上げました。


以上が、僕が静岡に帰ってきて9年たった今、地元に帰ってきてよかったと思う5つのことです。

どこでどの様に暮らすのが豊かで幸せかは、様々な価値観や状況によって変わってくると思います。
僕の場合は少なくとも静岡に帰ってきて今本当に幸せでよかったと思えるようになりました。

僕が東日本大震災をきっかけに静岡に帰ったように、今このコロナ禍の状況で移住やUターンを検討していると言う人も多いかも知れません。実際に南富士山シティへの移住相談もとても増えています。

そんな人にこのブログが少しでも参考になれば幸いです。


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