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ビロードの掟 第37夜

【中編小説】
このお話は、全部で43話ある中の三十八番目の物語です。

◆前回の物語

第七章 ビロードの掟(3)

 それはもう凜太郎の中で確信として固まりつつあった。

 海へ優奈が凛太郎を誘ったあの日、彼女の服装はベージュ色のロング丈コートという出立ちだった。ほぼ全身を覆い隠すような形で。前を歩く彼女は、時折少しぎこちない足取りになる。それがある時間帯を境目にして、様子が一変した。

 まず事実として、彼女はあの日おそらく深い赤に染まったビロード生地のワンピースを下に着ていた。次に優奈はリハビリをして快復したとはいえ、今も多少なりとも歩き方にクセがついてしまっている。

 凜太郎は、一つひとつの音を噛み締めるように言葉を連ねる。

「深紅のワンピースを着ることが、優奈と君が入れ替わる鍵みたいなものになっていたんだね」

 優里の大きな瞳が凜太郎の顔を捉える。その強い眼差しは、凜太郎を気後れさせた。本当に現実としてそんなことはあるのだろうか。まるで御伽噺おとぎばなしの世界のようだ。でも、あるいは優奈と優里の間柄ならありそうな気がした。

 彼女は揺るぎのないしっかりとした言葉で返答した。

「うん、そう。さすが、勘が鋭いねリンくん」

 あっさりと認めてしまうあたり。かつての自分だったら、間違いなく妄想だと一蹴していたかもしれない。この不可思議な世界に来たら、なんでもありなのだということをまざまざと感じさせられる。

 彼女は軽く右手で髪をかき上げ、「……ところで、『ペルソナ』って知ってる?」と言葉を続けた。

「ペルソナ?」

「そう、仮面のことよ。転じて今では心理学だと外的側面のことを指したりもする。私はきっと深紅のワンピースを着ることによって、かつての自分を取り戻したような気になってたのかもしれないね」

 夜の遊園地に行った時のことを思い出した。

 あの日の優里はいつもの彼女ではなかったように思えた。いつもよりも妙にはしゃいだ様子で、どこか楽しそうだった。酒のせいだと思っていたけれど、決してそれだけではなく彼女自身が本来の自分を演じていたからということなのかもしれない。

「なんか、不思議な話だね。あのワンピースを着ることで君と優奈の魂が入れ替わっていたなんて」

「本当よね。私自分のことじゃなかったら、絶対嘘と決めつけてたよ」

「でも不可解なことがまだいくつかある──」

 凛太郎は最初に優奈と出会った時のことを思い出していた。渋谷のカフェで待ち合わせした時、彼女は優里が遊園地に来た時に着ていた深紅のビロード素材のワンピースを着ていた。

 もし予想が当たっているのなら、その時に会った優里も優奈の姿をして現れたことになる。だが優奈は間違いなく本人だった。優里ではなく。

 その違いをなんと表現したら良いかわからないが、少なくともチグハグ感みたいなものは感じなかった。

「ああ、その話ね。優奈から話を聞いていたから、なんとなくは全体像知ってる。正解を言うと、その時の彼女は私ではなく優奈よ」

「どういうこと?」

「優奈と私が入れ替わるのはもう少し複雑なの。あの深紅の服を着ただけでホイホイ人格変わってたらせわしないじゃない?他にも条件があるのよ」

「ん?」凛太郎は先を促すようにと、じっと優里の顔を見た。

「気になるのはわかるけど、そんなに怖い顔しないで。あなたも薄々勘づいているはず。この場所にたどり着く上での条件も被ってる」

 凛太郎はこれまでの情報を再び必死になってかき集めていた。

 まずこれまで彼女たちに会っていた時の条件はパッと思いつく。毎回会うのは決まって日曜日だった。でもそれだけだと説明がつかない。優里の存在を感じた時の条件はなんだったのか、そして今日の光景を思い出そうとする。

「──月か」

「当たり。優奈と私が入れ替わる条件は3つ。深紅のワンピースを着ていること、日曜日であること、それから──満月が空に昇っている時間帯」

 ようやく合点がいった。全てが線になった気がした。

 そういえば、月のメカニズムについてはまだ解明されていないことがあると聞く。そのうちの一つが、こうして自分の身に降りかかっている。

「それにしても、なんで君はこんなところにいるの?」

「うーん、なんでだろうね。私にもよくわからない。この場所がどうして現れるのか他の人に聞いてもよくわからないって言うんだ。私はむしゃくしゃして海に来たときにこの場所への道を見つけたんだけどね。あなたのことを案内してくれたあの男の子は遠い異国で溺れかけて死を覚悟した時に、突然扉が開いたと言っていた」

 ということはあの青年も優里もずっとこの世界に囚われ続けていることになる。果たしてこの世界はなぜ、何のために存在しているのか。ここから出る術はないのだろうか。

 のび太くんに似た青年は、元の世界に戻るには骨が折れると言っていた。

 ここで、これまで感じていた奇妙な違和感の正体に思い当たる。

「それで──君は一体いつからここにいるんだ?」

 優里は軽く眉根を寄せた。痛いところを突かれた、というような顔をしていた。

<第38夜へ続く>

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