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学生時代の頑固な思い出とともに

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かつてわたしが学生生活を謳歌していた頃、お金がなくておいしいものが食べたい!と思うと、よく学校近くの神保町に足を伸ばした。学生生活の中で誇れるものなんていくつもないが、そのうちの貴重な一つが神保町の近くで学生生活を送れたことだ。

本好きのわたしにとって、神保町はまさに天国みたいな場所だった。退屈な授業を抜け出しては、よく神保町界隈をぶらぶらした。何だか気乗りしない時には三省堂で面白そうな本がないかあちこちみて回り、疲れたらラドリオという喫茶店でウインナーコーヒーを飲むことが定番だった。

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そしてお金がない時に救いの神としてよく利用していたのがキッチン南海 神保町店である。おいしくてボリュームも多く、安価だったので当時はかなり贔屓にしていた。緑色の看板が非常にアイコニックになっているこのお店は、お昼時の時間帯になるといつの時でも行列がひっきりなしにできている。

そしてコロナ禍の折、キッチン南海が閉店するという話を小耳にした。コロナの影響でたくさんのお店が潰れる中、原因はそれかなと思ったのだがそうではなく建物の老朽化が原因らしい。

お店は新たに近くの場所に改めて居を構えてオープンするらしい。それまでキッチン南海を率いてきた南山社長から、南山社長の遠縁にあたる方が新たにキッチンを引き継ぐ形になるらしい。なんだかいても立ってもられなくて、会社がだんだんと普通に出社することを認めるようになった頃合いを見て、訪問した。

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閉店間近の日に訪問。10時20分ごろに訪れるも、開店時間まであと1時間ほどあるにもかかわらず、その時すでに30人ほどが並んでいた。キッチン南海がお店を閉じるということで、ほとんどが昔の思い出を胸に訪れた人たちなのだろう。

外観を改めて見てみると、確かに60年という歴史の重みを感じる。ショーケースに並べられたサンプル、どこか香ばしく漂うカレーの匂い。全てが色褪せることなく今も、変わらずそこにあった。ショーケースの上の像の木彫りが印象的だったことを覚えている。

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開店してから10分程度で入店。お店が開いた時間帯にはすでに150人以上の長蛇となっていた。もともとお昼時は行列ができるのが日常ではあったものの、これはちょっと異様な光景。本当にいろんな人から愛されていたのだと感じいる。わたしと同じように、青春時代を過ごした人もいるのかもしれない。

ちょうど、わたしの数人後ろの男性がインタビューを受けていた。当時平成元年に神保町近辺で就職して以来、ずっと通い続けているのだという話を横目でぼんやり聞いていた。

開店してから15分ほどでお店に入る。最後に注文したのは、もちろんカツカレー。漆のように黒く光るそのカレーは、目の前に置かれただけで強烈な食欲を掻き立てる。付け合わせのキャベツ含め、相変わらずすごいボリュームだ。

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一口口にすると、もうスプーンを動かす手が止まらなくなる。この場所で食べるのも最後なので、噛みしめながら食べようと心掛けていたのに。味としてはほんの少し辛いが、かなり万人受けする味わいだと思う。スパイスや野菜をじっくり煮込んだ丁寧な味わいがする。

一緒に乗せられたカツが、これまた衣がサクサクしていてカレーとよく合う。そして時々箸休みがてら、キャベツを食べて一呼吸置く。入店するまでに1時間とちょっと。割と待ったという感覚があったのだが、食べ終わった後の満足感と言ったら。なかなか言葉で言い表せない。移転する間際だからこそ、この場所で最後に食べることができてよかった。

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最後、お店の人たちに「ありがとうございました!」と声をかけられて、なんだかよい店だとしみじみ感じた。またお店が新しい場所に移転したら、食べに行きたいと思う。でもその一方で、この満足感を満たすことはできない気もしている。料理の味は、きっとその当時の思い出とともに増幅させられるような気がしているから。

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