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書店の減少について私ができること――ブックカバーを外して読む。

街の本屋さん、

「書店が減少している」といわれるようになって久しい。

“国のほうでも支援していこう”と、
このようなニュースが最近あった(やや物議をかもしているけど…)。

さて、今日ちょっと思ったことがあったので書いてみます。


■ ブックカバーについて


今日、先ほど、いつものように電車の中で本を読んでいたら、
ふと思ったことがあって。

ちなみに私の趣味といえば、読書と格闘技をみることくらい。

「電車の中で本を読むこと」が、毎朝の通勤時のルーティンとなっている。

通勤時間は、片道1時間ほど。
電子書籍のときもあるが、どちらかといえば紙の本を読むことが多い。

で、そのときなんですが――。

私は本にブックカバーをつけている。

ブックカバーをつけて、電車の中で本を読んでいる。

なぜつけるか?

理由は2つあって。

  • 汚れたり、表紙に折り目がつくのを防ぐため

もうひとつが、

  • 周囲に読んでいる本を見られるのが恥ずかしいため

これらの理由から、ブックカバーをつけて本を読んでいる。

しかし今日、先ほど、
電車の中でいつものようにカバーをつけて本を読んでいたとき、

「これ、もしカバーを外して読んだらどうなるだろう?」と思った。

ちなみに、私が今日読んでいた本は、

『六人の嘘つきな大学生』(浅倉秋成 著)。

『六人の嘘つきな大学生』
『六人の嘘つきな大学生』

本屋で平積みされているし、本屋大賞にもノミネートされているので、
いわゆる“読書好き”の人は、知っている人が多いのではないだろうか。

■ 何の本を読んでいるのか、気になる


ところで――。

“読書好き”の人に聞きたいのですが、

電車の中で、例えば前に座っている人が、ブックカバーをつけずに、
つまり、本の表紙がみえる状態で、本を読んでいたとしたら、
『一体、何を読んでいるんだろう?』と、気になったことはないだろうか?

ちなみに私はある。っていうか、けっこう気になる。

で、その本の表紙、タイトルをチラ見して、

「あー、この本かぁ。今けっこう売れてるやつだな」とか、
「あ、この本、俺がこの前に読んだ本じゃん」とか、
「若そうなのに、こんな小難しい本読んでいるのか…」とか、

そういうことを、色々思ったりする。

はっきりって、本を読んでいる人からすれば、
こんなふうに思われたら、迷惑このうえない。
恥ずかしいし、「なに見てんだよ」と思うかもしれない。

でもまぁ、それでも、
「何を読んでいるんだろう」と、つい気になっちゃうのが、読書好き、本好きではなかろうか。
(間違っていたらすいません。みんながみんなそうじゃないのは勿論わかっております)

■ ブックカバーを外して読む


で、先ほどの電車のシーンに話を戻すと、

カバーをつけずに、『六人の嘘つきな大学生』を電車の中で読んでいたとしたら、
そして、それを読書好きの人、ひいては電車内にいる人が、そのタイトルをみたとしたら――。

それは何か、周囲の人に、「本」というものを伝播することにならないか。

もちろん、何も思わない人がほとんどかもしれないが、なかには、

「へぇー、この本、やっぱ今流行ってるんだな。今度、読んでみようかな」

と思う人もいるかもしれない。

今回で言えば、『六人の嘘つきな大学生』。

「有名だしタイトルは知っているけど、まだ読んでいない」という人に対して、感心をもってもらう一つの契機、さらには購入へと繋がったりはしないだろうか。

これがもし、ブックカバーをつけて、見えない状態だったら、まったく何も起こらない。

タイトル、表紙が見えることで、
他人と私との間に、見えない“本の繋がり”のようなものが発生する可能性。

勿論、「何を読んでいるか」人に見られることは、
恥ずかしかったり、望まない人が多いと思う。実際、私自身がそうだし。

ただ、たまにブックカバーを外して、電車の中で本を読んでみることで、
どういうかたちになるかはわからないけれど、「本を読むということ」を、人に伝播できるかもしれない。

***

冒頭で、書店の減少について少し触れたけど。

「ブックカバーを外して、電車の中で本を読むこと」

それくらいしか思い浮かばなかった。

てか、そもそも、こんなことをやっても、あまり意味がない。
図書館や電子書籍の波には勝てないだろう。

私ができるとしたら、これくらいの、とてつもなく小さいことしかない。

無力だなぁ。

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