脱・成功願望――承認のいらない『自分の幸福』を。
以前、noteに書いた記事の続きみたいになるのですが。
ちょっと思ったこと。
『成功願望』は消えないのか?
この前、休みの日の夜。
「自分の人生、これでいいのかな。
もっと何かやんなきゃいけなんじゃないか」
と思った。焦りに近い感情。
『何かを成し遂げたい』という気持ち。
もっと若い表現を使うなら、
『大きなことをやりたい』『成功したい』という気持ち。
ふつふつと、そのような気持ちが湧いてきて、このままじゃあいけない、なんて思って、なんかやんなきゃって、焦ってきちゃって。
そのとき、ハッと我に返り、
「あー、まだ自分には『成功願望』みたいなものがあるんだな」
と思った。
20代とか、若いときならまだしも、
いい年して、まだそんな気持ち、成功願望があることに、自分でもちょっと驚いた。
『成功願望』とは何か?
そもそも、『成功願望』とは何か?
大きなことをやりたい
誰もがやったことをやりたい
お金持ちになりたい
有名になりたい
周りと自分は違うんのだと思いたい
――とまぁ、だいたいはこんなこと。
こんなことを望んでいるだなんて、「浅ましいなぁ」と思う。
年齢を重ねれば、自然と消えていくものだが、
しかし、心の奥底では、まだこのような成功願望がくすぶっている。
愚かだなぁ、と思うのですが、そうはいっても、
そういう成し遂げたい願望みたいなのって、なかなか消えないのかもしれない。
多くの人がまだ、『成功願望』をもっているのではないか。
多くの人がこのような成功を、「成功したい」って、思っているんじゃないか。
そういう願望をもつ人がもし多いとするなら、
それは人として自然な願望だと言うこともできる。
しかし、それが人として幼い願望であることも、理性的にわかっている。
なぜなら、上記に挙げた成功願望のいくつかは、
他者に依拠しており、他者を軸としている。
したがって、叶う叶わないは、他者のさじ加減である。
人に左右されている人生ともとれる。
では、「お金持ちになりたい」については、どうか。
なぜお金持ちになりたいか?
胸に手をあてて、考えてみる。
なぜ私はお金持ちになりたいか?
「生活を豊かにしたい、楽をしたい」という思いの他に、
「お金持ちになることで、他者に対する優位性を感じられる」
そんな、気持ちはありはしないか。見栄を張れるとか、そういう気持ち。
とすれば、これもまた、他者が中心軸になっている。
自分の幸福が、他者に左右されている。
ハンドルをにぎっているのは他者である。自分の人生なのに。
他者に依拠しない『自分の幸福』
『成功願望』があってもいい。
しかし、そのような他者に依拠した願望を叶えるよりも以前に、
他者に依拠しない幸福、『自分の幸福』をもったほうがいいのではないか。
好きな小説を読んで満足した
音楽のライブが楽しかった
好きな人とデートして楽しかった
noteに文章を書いて達成感があった
美味しい料理ができた
仕事で人に喜んでもらった
これらは先に述べた『成功』とは大きくかけ離れている。
他者からの承認が介在していない。
「自分が見つけた幸せ」である。
自分で自分を喜ばせている、あるいは、自分が発見した小さな幸せである。
では、最後の、“仕事で人に喜んでもらった”についてはどうか。
仕事で人に喜んでもらったら、なぜ嬉しいのか? なぜ幸福感があるのか。
成功願望は、他者から「すごい」と言われること。
一方、これは他者から「ありがとう」と言われること。
人からもらった「ありがとう」――
これは他者が軸になっているのではく、私が軸となっている。
私という軸に向けられた、他者からの「ありがとう」である。
「すごい」と言われるより「ありがとう」と言われたほうが幸福感があるなら、そちらを大切にする。
人からすれば、小さな幸せかもしれない。
成功とは程遠いものかもしれない。
しかし、それは他者にゆだねない『自分の幸福』である。
私は成功よりもまず、そのほうが欲しいと思う。
ではまた。
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