なぜ学生は、駅のホームで整列しないのか?――理由と原因について考えてみた。
※今回書くことは、完全に私の憶測であることを、先に断っておきます。
朝、出勤時、駅のホームで電車を待っているとき。
中高生、学生さんたちとの通学時間と重なるんです。
けっこうな人数の学生さんたちが、登校しようと電車を待っている。
で、前々から、ずっと思ってたことなんだけど、
中高生の学生さんって、なんで駅のホームで整列しないんだろうか?
いや、たまたま自分の乗る電車(路線)だけがそうなのかもしれないけど、並んでいない。
並ばずに、例えば二列に整列せずに、駅のホームでふわっと散らばって、電車を待っている。
後ろのほうで携帯をいじってる学生もいれば、前の方で、3~4名で話しながら待っている学生たちもいる。
並んでいない。散らばっている。
つまり、“列”がない状態。
各々が、バラバラで、電車を待っている。
整列して電車を待っていない。
サラリーマンの方々が、駅のホームで二列になって電車を待っている光景はよく見る。
この場合、私はその列の後ろに並んで、電車を待つことになる。
実にシンプルな話だ。
しかし、中高生、学生さんたちは、整列せずに、ふわっと散らばって、駅のホームで電車を待っている。
“列”がない状態。
この場合、あとから来た私は、どこで電車を待てばいいのか。
「いや、普通に、並び位置のところで、待てばいいじゃないか」
でも、学生さんたちのほうが、私よりも先にホームで電車を待っているのだ。
あとから来た私が、ずかずかと真っ先に、並び位置の先頭で待つことは、よろしくないだろう。
「並んでいない学生が悪い。気にせず、並び位置の先頭で待ち、電車が来たら一番に乗ればいい」
――それは確かにそうかもしれないが、なんだか気持ちが悪いのである。
■ なぜ学生は、駅のホームで整列しないのか?
ところで、なぜ学生は、駅のホームで整列しないのか?
その理由を、私なりに考えてみた。
※今から書くことは、なんの根拠もないことを、ご了承ください。あくまで想像です。
ひょっとして、今の若い子、学生さんは、
「『運動場で整列する』という経験があまりないのではないか?」
私が小学生の頃、運動場で整列させられることが、よくあった。
先生から「4列になって並びなさい!」とか、「背の低い順に並んで!」とか、指示されて整列させられることがよくあった。
この『運動場での整列』こそが、私にとって「整列することの原体験」である。
今の若い子、学生さんは、『運動場で整列する』という経験、教育があまりないのではないか? だから、駅のホームで整列しないのではないか?
実際のところはどうかわからない。私と同様、先生に整列させられて育ったのかもしれない。
しかし、もし、整列するという経験や教育が少なくなっているのだとしたら、それはなぜか? なぜそのように変わってしまったのか?
■ 『整列させる教育』について
「整列」というものが持つイメージ。
「整列」という言葉から、何を連想するだろう?
軍隊とか、古くからある日本の教育だとか、そういうことを思い浮かべた人がいるかもしれない。
(「整列させる教育」については、もとを辿れば、事実そういったことが関係しているかもしれない)
私が子供の頃は、よく、「背の低い順に並べ」と言われた。
しかし、「背の低い順に並べ」、これって、今の時代、どうなんだろう?
何か、漠然とではあるが、“避けたほうがいいような”感じがする。
“ポリコレ”、“多様性の時代”、
このあたりの言葉が、一つのキーワードとなって、『整列させる教育』に影響を与えているのではないか。
『整列させる教育』は、私が子供の頃は、当たり前だった。
しかし、今は少し違うのかもしれない。
減っていっているのかもしれない。
■ 最後に
ここまで色々書きましたが、完全に私の想像です。
「今の小学生も、普通に整列してるよ。先生に整列させられているよ」
だったら、申し訳ない。
ただ、なんとなく、駅のホームで整列して電車を待たない学生たちをみて、妄想したことを書いてみました。
ろくでもない妄想で、すいません。
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