見出し画像

ブラック・ブラック

  夜、家族旅行から帰ってくると、マンションの郵便受けに電報が入っていた。叔父が母に宛てたそれは、簡潔に、ひとつの事実を伝えていた。「チチキトク  スグカエレ」

  今から30年以上前。私が小学4年生で、まだ携帯電話もメールもなかった頃の話だ。電報は、NTTに電話するとメッセージカードとして配達される仕組みだ。ほとんどの場合、それは不吉の象徴だった。

  母の父、つまり私の祖父が危篤だった。旅行帰りの華やいだ気分は吹き飛び、母はおろおろし始めた。その頃、私は熊本に住んでいて、祖父は神戸にいた。博多から新幹線で向かおうにも終発時刻を過ぎてしまう。「車で行こうか」。父がつぶやいた。

  熊本から神戸までは700キロ近く。車で8時間以上の道のりだ。ハンドルをしっかりと握った父は、120キロ近いスピードで夜の高速道路を飛ばした。小刻みに揺れる車内。助手席の母は、ブラック・ブラックガムの包装をはがして、父に渡した。父が目をこするたび、また1枚、また1枚と差し出した。子供だった私は祖父のことより、車が事故を起こすんじゃないかとはらはらした。

  夜が明けて、私たちは神戸に着いた。病室の祖父は小康状態ではあったが、すでに意識がなかった。叔父は「遅い」と母をなじった。母は、目をつむったままの祖父に「お父さん」と呼び掛けながら、泣いていた。

  何日かして、祖父は息を引き取った。母の実家でお通夜をした。私はまだ幼く、死がどういうものなのか分からなかった。祖父の体を収めた棺のひんやりとした感触と、敷き詰められた布の白さが怖かった。

  大人になった私は、高速道路を運転しながらブラック・ブラックガムをかむ度に、あの夜のことを思い出す。

  

  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?