BAND☆やろう是 第四章 対談
自転車に乗って急いでトースの家へと向かった。
幸い学校からさほど離れていない距離にトースの家はあり、急いで行けば十分もかからない場所にあった。僕は一心不乱に自転車のペダルを立ちこぎし、道を急いだ。
トースの家へたどり着き腕時計を見ると針は十七時に差し掛かる三分前を指していた事を知り、僕は思わず息をついた。
「何とかなんとか間に合った…」
そう一人ごちながら、内心ドキドキさせながらそろりとインターフォンを鳴らした。すると家の中からどたどたと騒がしく走る物音がして、叫び声にも似た男の声がスピーカーから飛び出してきた。
「はいいいいいっ!こちら三島警察署おおおおっ!」
「…。」
言っている意味が分からない。しばらく僕は黙っているとスーッと静かに扉が開き、トースがちょこっと顔を出した。
「冗談だよ、中に入って!皆待っちょるきんな!」
そう言うと彼はにんまりと笑顔を浮かべ扉を全開にした。冗談というかただ単なる悪ノリだと僕は思った。
人の気持ちも知らず彼の取った冗談まがいの行動に、僕は出鼻を挫かれそうになり正直腹が立った。思わずここで帰ろうかとも思ってしまったのだが、ヒロとフミの固い契りの事を思い出して、この行き場のない想いを何とか胸に収める事ができた。そして深呼吸して家の中に入った瞬間、僕にとってまさかの情景が目の前に現れた。
それはメンバーの物と思われる学校指定のシューズが何足も乱雑に脱ぎ捨てられていて、家の創りにしてはやや大きめの玄関が狭く感じるほどの有様であった。
人の家ではせめて品行方正でいなさいという親からの教えがあった為、その見るも無残な光景に僕は呆気に取られ、その場へと立ち尽くしていた。僕の視線の先を追い、気持ちを察してかトースはその脱ぎ散らかされた靴を急いで揃え、再度僕に視線を向けた。僕は自身の脱いだ靴を揃えて、一つ咳払いをして家へと上がった。
メンバー達は本当に人に対して礼儀を尽くせる人物達なのか…。そこに疑問を感じざるを得ない。
ふとそこで僕は一つの考えに到達した。まずはメンバー達を疑いの目で見て、逆に僕がふてぶてしい態度を見せ、彼らの反応を見ようという作戦だった。少々手荒なやり方だとは思ったのだが、うまくいくと全ての事が浮き彫りにされ、自らが天秤にかけやすくなると思ったからだ。
僕はトースに気づかれないように静かに拳を握り、廊下を進んだ。
僕がこの家に訪れなくなってどれくらい経ったのだろうかは忘れたが、本当に何一つ変わる事なくそのまんまであった。彼の家独自の匂い、どこか生活観を感じる散らかりさ、まるでここだけ置き去りのまま時が過ぎ去ったかという感覚に陥り、懐かしさやあの時からの物悲しさに思わず涙が零れ落ちそうになった。
少し急な階段を上がり、そのフロアの一番奥に位置するトースの部屋へと案内された。部屋の手前に差し掛かり、トースは一度動きを止めて僕の眼を真剣な眼差しで見つめた。
「…ホントにあの時はごめんな。メンバー皆いい奴ばかりじゃけん!岡田さん心配する事ないけん!」
僕の心を探っているのか、トースは僕の視線から眼を逸らす事はなかった。僕も彼の視線から逸らす事はなかったのだが、微妙な感情に覆われた。
彼の気持ちも言いたい事も分かるが、しかしながら今の僕の感情のままではこのバンドに素直に加入する気持ちにはなれない。彼には今の心情を少し語っておく必要性がある事を思い、僕は静かに声を上げた。
「まぁ、今から会う人らの態度を見るわ。少し横暴な態度とるかも知れんけどあんま気にせんといてな」
「え…?」
その僕の言葉を聞き、トースは一瞬表情を曇らせた。彼らが描くビジョンを素直に受け入れる事ができないという僕の強い眼差しに何かを感じ取ったのか、トースは無言で頷いた。
「わかった…。ほんだら開けるきんな。」
彼はそう言うとゆっくりと扉を開け、二人は部屋へと入った。
家中同様、トースの部屋も見慣れない音楽機材が多少増えた以外、そう変わった様子はなく、やはり散らかった男の部屋のまんまであったが、そこには見慣れない顔ぶれが僕を笑顔で迎えていた。
周りのメンバーを無視するかの様に部屋中を呆然と見回していると、長身でヒョロっとした体格をしていて、少し長めの髪がなんともバンドマンの雰囲気を醸し出している男が、薄く微笑みながら真っ直ぐに僕の眼を見ながら右手を差し出してきた。
「岡田君だね?俺はこのバンドのリーダー兼リードギターをやっている宇高智安だ。よろしく。」
元々人見知りがちの性格である上に、この上ない疑いの目で彼らを見定めると心に決めてこの場所に存在している僕は、ここで一発かまさずおくべきかという衝動にかられ、右手を差し出す彼の手に左手で手の甲をぎゅっと力強く握りしめ、彼の目の意地悪な視線で見つめた。
すると今まで醸し出していた周りの和やかな雰囲気は一瞬にして凍りつき、殺伐とした雰囲気に見事早代わりした。宇田も一瞬表情を曇らせたが、僕の思惑を瞬時に悟ったのか、一瞬にして表情を笑顔に変えた。
「なるほど…。噂通り面白い方だ。他のメンバーも紹介したいが、続けていいかい?」
彼の華麗なるかわし方に僕は思わず驚いた。
『ふむ…。流石はバンドを取り締まる立場にある人物らしく懐は深いようだ。しかしまだまだ気を許す訳にはいかない。』
僕は無言で頷いてその場で胡坐をかいて腕を組んだ。この行動も相手の気持ちを錯乱させて本性を出させる作戦の内なのだ。
その僕の行動を気にせずに宇高は笑顔で自己紹介を続けた。
「俺の横にいるこの男がサイドギターの岩崎大輔で俺の昔からの相棒だよ。」
髪型は短く、身長は僕と同じくらいだが、体格は細いが肩幅があるから少しがっちりとして見えた。
ジャニーズにいても可笑しくない様な整った顔が、少し冷たそうな印象を与えていて、尚且つ僕の大胆で傲慢な態度に少し怒りを覚えていたのか、どこか殺伐とした雰囲気が否めなかった。
その彼の気持ちを悟ってか、宇高が彼の肩にぽんっと手を置いて意味ありげな笑顔で軽くウインクして合図を送った。そして瞬時にその意味合いを理解したのか、彼はすぐさま笑顔を浮かべ、宇高にウインクで合図を返した。
浮かべた笑顔の口元に密かな八重歯が見え、冷たい表情を何となく柔らかいものに変えていた。それは意外と好印象なイメージを与え、笑顔の素敵な男の軽い魔術に僕はとても不思議な感覚に陥った。
一つ息を呑んで岩崎と紹介された男は笑顔で僕の方を向いた。
「岩崎です。トースからいつも話聞いてたよ。よろしく!」
その声に僕は片眼で確認し軽く会釈をした。
今さっきの宇高の話から思っていたのだが、トースは一体僕の何を話していたのかと気になっていてふとトースの方を見たのだが、トースはもう一人の今から紹介を受けるメンバーと、どうも馬鹿話を繰り広げているらしく、全然こっちを見ている様子は無い。当然問い詰める雰囲気ではなかった。
僕はなんとなく諦めて腕を組み直し、眼を瞑った。そして宇高からのメンバーの紹介は続いた。
「で、あのベッドに腰掛けてトースと話している奴がドラムを担当している伊川正だ。」
いきなり自分の名前を呼ばれた宇高の声に不意をつかれた様子で、伊川と紹介された男は瞬時にその場に立って僕の方を見た。宇田が岩崎と接する態度と彼と接する態度の違いに少し疑問を抱いてしまったのだのだが、彼が言った自己紹介でこのバンドの体制というものが少し理解できた。
「いっ、伊川正とっ、いいます。僕もまだまだ楽器を始めて間もないっす。まじ下っ端っす!よろしくっす!」
脱色をしているのか、はたまた地毛が元々茶色いのかは分からないが、なぜかほんのりと茶色い髪の色で、多分スポーツをしているのか服の上からでも筋肉質である事が分かるほど鍛え抜かれた体格で、その肉体とは裏腹に何故か情けない顔を浮かべていた。直立不動のまま、きびきびと言葉を並べている姿が誠実さを感じさせていて、他のメンバーに比べて比較的第一印象が良い男だった。
少し思ったのだが、仲良しこよしと見せながら意外とこのバンドは縦の関係が出来ているらしい。
伊川と名乗った男は何かにつけてこのバンドの中では新参者の様で、リーダーである宇高をどことなく尊敬している眼差しで見つめている様に思えた。メンバーの関係がはっきりしていて組織的にメリハリのある団体という事は個人的に実に好ましいと思った。
僕は思わず一瞬表情を緩めてしまったが、まだまだ許すまじと、気を引き締め、顔を強張らせた。そして気を取り直して軽く会釈をして再度眼を瞑った。僕の一瞬の表情の変化を捉えたのか宇高は元気よく最後の紹介を始めた。
「そして最後に岡田君もよく知っていると思うけどベースを担当しているトースだ。今はこの四人のメンバーでバンドが構成されている訳だ。」
ちらっとトースの方を見るとへへっと笑顔で頭を掻いていた。なんだか幸せそうな様子である。
彼的にはこのメンバーといる今が至福のひと時なのであろう。彼の笑顔の意味もなんとなく分かるのだが、僕はまだまだ気を許す訳にはいかなかった。
それは何故かというと、喧嘩を売った僕の態度も然り、このバンドへの誘いを断らなければならない可能性があるからだ。いくら自己紹介を穏便にされたとしても、僕の中で友人は愚か、まだまだ知り合いにも慣れてはいない。ましてや自分の中の人間性的な疑いも完全には晴れてはいない。僕は相変わらず頑なな態度を変えずに、まるで拗ねた少年の様に殺伐とした雰囲気を飛ばしまくっていた。
僕の態度に呆きれた様子もなく、丁寧な口調で宇高は語り始めた。
「楽器隊はこうそろってスタジオに入っている訳だけど、肝心のバンドの顔であるボーカルが不在の為、今探している真最中なんだ。確かに幾度かボーカルを加入させた事もあったけど、なかなか思う様なボーカリストがいなくてさ…。」
彼の深く、そして真剣な声が夕暮れの部屋にそっと響いた。ふてぶてしく思わせる僕の態度をむしろ惨めに映すかの様な深刻な面持ちであった。
これも言いたい事はなんとなく分かるのだが、ただ僕の長く考え抜いた日々がこの場の雰囲気に流されてしまうほど安いものではない。素直に『はい、そうですか。』と承諾してしまうのは嫌だった。
その場を納めるのは言葉一つで解決するのもよく分かっていたのだが、それでは自分なりに苦悩してその時を乗りきった自分の心に余りにも忍びなかった。もっとも支えてくれた仲間達の気持ちも然り…。
僕は相変わらず黙んまりを効かせていると、僕の邪険な態度に、まるでだめ押しを与えるかの様な優しい口調で宇高は言った。
「以前トースから君の事を聞かされて是非歌声を聴いてみたくなったんだ。君を騙す形になってしまった事をリーダーである俺から深く詫びたい。申し訳なかった。」
さっと音がした事とその言葉に、僕は何となく視線を浮かべてみると、彼は深々と僕の前で頭を下げている姿が見えた。
大の男が夕暮れを浴び、深々と頭を下げている姿。その裏には暗い表情を浮かべて項垂れている姿の他のメンバー。いつもなら空気を読まずにヘラヘラしているトースでさえも、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。その表情はかつてカラオケを断った夜に、僕の家へとやって来た時の表情と同じだった。
あの日の僕は…。今まで過ごしてきた彼との日々は…。悔しくて泣いたあの日の夜は…。過ごしてきた日々が走馬灯の様に僕の頭の中を駆け巡った。
どうすればいいか自分でも分からなくなってきて、僕は思わず天を仰いだ。
かつて感じたこともない激しい葛藤が僕の心の中を支配する。再び眼を瞑ると、しばらくしてトースの声がした。
「俺も…辛かったんよ。」
切実な態度、そして泣き出しそうな声を浮かばせて、彼は僕の心に話しかけてきた。
「岡田さんをこんな気持ちにさせるなんてホント思ってなかったんよ!岡田さんと縁切りすることなんか俺…ホント考えてなかったよ!」
顔を赤くさせ、必死に僕に語りかけてくる横で、宇高はまだ深々と頭を垂らしていた。
『僕はなぜこんなに困惑しているのか?』その言葉がふと頭に過ぎり、我に返った。
ここまで心から話してくれている事に、なぜ僕は気づけないでいたのか。それは僕が初めから色眼鏡をかけて話しを聞くと決めたからだ。
初めから疑いの姿勢で出来事を見てしまっていては、本当に大切な事さえも気がつかない事など考えなくても分かり過ぎていた筈…。
そう思うと、僕の顔面からだんだんと血の気が引いているのが分かった。どうしようもない想いに苛まれ、僕は急いで声を上げた。
「お、俺こそごめんなさい!なんかつまらん事で自分の心閉ざしとった!ほんまごめん!」
急いでその場に立ち、僕も深々と頭を下げた。それに驚いての事なのか、宇高から優しい声が発された。
「もうこれで分かり合えたのだから…。岡田君も頭を上げて。な?」
その言葉に、素直に頭を上げたが、うまく宇高の目を見る事ができない。自分のみすぼらしい行動とは対象に彼の紳士的な態度と深い心の器。全てにおいて自分が情けない。そう思えてならなかった。僕の余り見せる事のなかった暗い表情にトースがあえてなのか明るく振舞った。
「もうええやん!お互いの気持ち確認出来たんじゃけん!な、智さん?」
トースの言葉に宇高も穏やかに列を連ねた。
「岡田君に疑いを持たす行動を初めにしたのは俺達の方だ。本当に申し訳なく思っているよ。だから今からは少しだけこれからの話をしないか?」
彼のその言葉にようやく正面を向く事が出来た。宇高は万弁の笑みを浮かべて僕を見つめていた。
「トースから聞いた話を元に君からも色々話を聞きたい。熱く重苦しい話が続くかもしれないけど少し付き合ってくれないか?」
そう言うと彼は真剣な顔つきに変わり僕を見た。その言葉に僕も無言で一つ頷き、お互いその場に座った。
しばらく彼らのバンドの結成秘話や、自分達の音楽に対する熱い想い。これから予定しているバンド展開など様々な事を僕に聞かせてくれた。
夢も希望も無い僕にしてみれば、全てが非現実的な内容で、正直ピンとはこなかった。しかし、同じ歳の人間が人生に対してここまで真剣に考えている事に正直驚き、何も無いだけの我が人生が、なんだか恥ずかしく思えた。夢の為に生きる熱い気持ちや、夢を叶えたいという切実な想いが彼の言葉からひしひしと伝わる。
僕は今まで一体何を想い、何を糧に生きてきたのか…。自分の人生をそう振り返させられる。正直、耳を塞ぎ、現実逃避してしまう言葉の数々だった。
僕は相変わらず無表情で彼の顔を見つめていると、少し困ったのか心配した表情で僕に確認した。
「ここまで理解してくれたかな…?」
彼の問いに無言でなんとか頷いてはみたものの、今の僕にしてみると、夢を実現させる為の彼らが思考しているこれからのプランについていく自信が全くもってない。
小説の様にとんとん拍子に進むほど現実は甘いはずはない。まるで物語の様に行き過ぎた構成が、僕にはリアルとして素直に受け入れられる事ができなかった。
妙な所リアリストである僕は、この壮大な計画に乗れるほど心にも余裕もなく、やはりどことなくまだ疑っているのか、半信半疑のまま乗っかる訳にもいかない。僕は彼の目を見られずにいた。いや、見てはいけないと思ってたのだった。
宇高は少し戸惑った様子で、僕に問いてきた。
「岡田君…?どうしたのかな?」
どうにもこうにも行き場のない思いが込み上げ、まるで威圧をかけるかの様に、僕はその場へいきなり立ち上がり、頷きながら体を小刻みに震わせた。
やはりこんな中途半端な気持ちのままこの誘いには乗れない。こんな僕が彼らの夢に乗っかっても迷惑がかかるだけだというのは既に明白だった。それだけは自分の気持ちの中でよく分かった。分かり過ぎていた。
言葉はないが、まるでお互いを語らしているかの様な緊迫した雰囲気は最高潮を迎えていた。
重苦しくむさ苦しい雰囲気が当たり一面漂い、それに捕らわれているかの様にお互いが硬直していた。
緊迫感がまるで金縛りを齎しているかの様に、ただただ汗だけがお互いの顔面や首筋、寧ろ全身を覆い尽くしていたかのように思った。
どれくらいそうしていたのだろうか、ふと気がつくともうすぐ暗闇が僕達を包み込ように、部屋中は薄暗い状態になっていた。
時間に気づき、ようやく冷静な思考を取り戻した僕であっても、このバンドに肩入れできる様な上等な人間ではないという想いは変わらなかった。彼らの熱い想いにはこの中途半端な気持ちは必要ないのだと素直に思えた。
我に返った僕の姿を確認し安堵した宇高の様子を確認すると、僕は寂しく言った。
「やっぱり俺には無理です。荷が重過ぎますわ。他を当たって下さい。さよなら…。」
そう言い残すと僕は後ろを振り返り、部屋の扉を開けようとすると、トースが悲しそうな声がふと僕を立ち止まらせた。鼻の詰まっている情けない声で…。
「俺も…あの時一緒だったんよな…。」
「えっ…?」
その言葉に僕は思わず顔だけトースの方へ向けるとトースは泣いていた。情けない表情をよりくしゃくしゃにして泣いていた…。
なんとか自分の想いを不器用ながら僕に伝えようとしていた。そんな事は今まで彼と過ごしてきた中で一度もなく、今はとにかく僕に何か自分の心中に秘めた想いを伝えたい様子だった。
彼のそんな態度に僕は逃げ腰になる訳にいかず、僕は耳を傾けるかの様に体を元の方向に向き直した。
「智さんが俺に同じ事語ってくれた時、俺も岡田さんと同じ様に黙ってしもたんよ。多分あの時の俺と今の岡田さん同じ気持ちだと思うわ。」
トースはゆっくりと諭す様に僕に語りかけた。
「俺もこのバンドに誘われるまで夢も希望も無かったんよ。あ、岡田さんと毎日話しながら過ごしよるのがつまらんかったって言よるんじゃないで?別に毎日何しよった訳じゃないし、どうしたいんかも分からんかった毎日が正直辛かったんよ.…。」
トースは唇をかみ締め、泣きじゃくる気持ちを抑えながら涙ながらに語っていた。まるで心の鏡越しで話しているかの様に僕の心も泣いていた。
「クラスの友達から誘われて智さんの家へ遊びに行った時になんか部屋中が音楽だらけでびっくりしたんよ。少しアニメのポスターも貼っとったけど…。」
トースの突拍子のない暴露に宇高は思わず咳払いをして肩をすくめた。何を言われるのか皆無と思ったのか、宇高が半ば強引にトースの話を中断させるかの様に話を続けた。トースは少し不機嫌な表情を浮かべたのだが、リーダが語り始めた為、言葉を噤ませた。
「トースが俺の部屋で一枚のアルバムを見つけてすごく愕いてたんだ。それに正直俺も愕いて話は意気投合して、このバンドの話を出したんだよ。」
僕はその宇高の言葉自体に驚いた。トースから今まで一度も音楽の話を聞いた事はない。思わず僕はトースに言った。
「トース音楽なんか興味あったんじゃなぁ。知らんかったわ。」
トースは照れながら頭を掻いた。
「父さんが好きでいつも車で流しよるんよ。そのアルバムが智さんの家にあってびっくりしたんよ。」
本当に嬉しそうで幸せそうな表情に変わっていた。今や彼は音楽と共に生きていると言っても可笑しくないくらいのバンドマンの姿だと思った。
僕はその質問に対し、こう問わなければならないと感じざるを得なかった。トースや宇高の態度に半ば安心し、半ば仕方なく聞いた。
「それって誰?」
本当はトースに答えて欲しかったんだが、何故か僕の質問に宇高が少し自慢げな口調で応えた。この短時間で感じた事なのだが、宇高は少し出しゃばりな性格らしい。
「クレイズというバンドだよ。」
実はというと、僕は最近の流行の音楽は漏れなく聴いていた。しかし、そのようなバンド名は聞いた事がなく、僕は思わず興味本位で質問をした。
「外国人のバンドなん?」
コレキタと思ったのか宇高は華やかな笑顔になり、またもや得意そうな口調で語り始めた。
「クレイズとは日本のバンドで、元ジキルと元ボディと元ジャスティ ナスティのメンバーで結成されているバンドなんだ。今も活動は精力的に続けていて、あまりメジャーなバンドとは言えないがメッセージ性の強い曲にコアなファンは多いんだ。ジャンルはロックと言うよりも強いて言うなら魂だな。」
トースもその言葉に深く頷いていて、よく分からないワードばかりが並ぶ言葉に正直僕は困惑していたが、トースが嬉しそうに言葉を続けた。
「父さんどこから知ったんかは知らんけど数ヶ月前から車で毎日かけとるの聞いて、俺もホンマ好きになっとったんよ。しかもボーカルの歌う声がなんとなく岡田さんの歌声に似とるし。」
「そ そうなん?」
僕の反応に宇高とトースは同時に笑った。周りのメンバーも僕達のやり取りに言葉は無いがいつしか笑顔に変わっていた。
「俺達のバンドもそんなこんなメッセージ性の強いバンドを目指しているんだ。岡田君に聞かせようと思ってそのアルバムを持ってきているんだけどよかったら聴いてみるかい?」
なんだかよく分からなかったが、宇高の問いかけに僕は黙って頷いた。彼はとても満足そうな顔をしてトースに盤を渡しながら言った。
「分かった。トースかけてくれ。」
「はいな!」
宇高から盤を渡されると、彼は嬉しそうにコンポへとアルバムを入れ、再生ボタンを押した。
読み取る音が微かに聞こえてくる。するとトースがいつもになく自信有り気な張りのある声で呟いた。
「かなり熱いナンバーだから火傷しない様に気をつけなよ」
彼の顔つきは変わっていた。
そのアルバムを聞いた後、他のメンバーとも何言か言葉を交わした。
そして、とりあえずそのアルバムをダビングして貰い、しばらく考えさせてと一言だけ告げてトースの家を後にした。
頭の中がまるで空っぽになったかの様に、方針状態のまま、とぼとぼと歩き、何とか家にたどり着けた。
そしてベッドに身を投げて強く目を瞑った。
アルバムの音を聞いた瞬間、僕の中で何かが弾け、心に大きな波動が押し寄せたのだ。
「これは…なんだろう…。」
今まで受けた事も感じた事も無い。ただただ始めての感情の波が僕の心身を捕らえていた。
それはまるで僕の今まで過ごしてきた人生の根底を大きく覆す様な得体の知れないもので、強く、そして大きく貴重なモノであるという事だけは漠然と感じていた。その感情にただ気持ち悪さを覚える程であった。
しばらくは自分の何もなかった人生をぼんやりと想い、ふとダビングしてくれた盤をプレーヤーに入れ、ぼんやりと聞き初めた。確かこのアルバムの二曲目のワンフレーズに心奪われたのだ。
「泣くな泣くなこの魂…か」
このフレーズを聞いた後になんとなく一人呟いてみた。
別に泣いてなんかいなかった。ただ、今まで自分の魂が熱く振るえた事などなかった為、少し自分の置かれている境遇を考えさせられているのだ。
外から入る街頭や車の光が暗闇と入り混じる中、スピーカーから流れるこの音ががやたらと心に染みる…。
しばらく何も考えないまま、ただ音に身を委ねさせてていると、行き場のない混沌とした感情を掻き消すかの様に一本の電話が鳴った。
電話の音に助けを求めるかの様に僕は急いで電話を取った。
「…もしもし。」
「岡田か?俺だ…。」
声の主は頼さんだった。いつもの力強い声に何故だか本気で助かったと思えた。
「頼さんどしたん?」
「いや、お前が泣きべそかいてるんじゃないかと思ってな。」
彼には全てお見通しの様だ。全ての不条理を鋼の肉体と熱い誇りで笑い飛ばす漢。それが頼さんなのだ。
「正直どうすればええんかわからんくなっとるんよ…。」
僕はまるで蚊が飛んでいる様な力のない声で呟いた。すると彼はいきなり大声で笑い出した。
「はーっはっはっは!お前がどう進むかなど俺には分からん!ただ自分の人生は自分自身でしか決められないのだ!お前がどうしたいか、どう望むかでお前の人生は変わる!それを自分自身で拒否すれば想いは想いのままで終わるのみ。そんなもんだ!」
彼は力強く言った。僕はその言葉に想いが詰まってしまった。
「うぅ…。想いは想いのまま…。俺は思った通りに生きていいん?間違いじゃないんかな?」
その問いに対して泣き出した僕を笑い飛ばすかの様に彼は答えた。
「間違いかどうかはやってみて分かる事だ!お前も男だろう?今はお前の想う様に行動してみろ!」
「頼りさんはなんでそんなに優しいん?」
どうして人の為にこんな事を言ってくれるのだろうか…?僕はありったけの想いで彼に言葉を発した。すると彼はまたもや強く、そして笑いながら答えた。
「優しいのどうのではない!俺はお前の事を仲間だと信じているから敢えて意見しているまでだ!今のお前とこれ以上問答しても埒があかん!後は自身で考えて行動しろ!さらば!」
彼はぶっきらぼうに言い飛ばして電話を切った。それが僕に対する彼の優しさだと分かっているから不快には思わない。寧ろそんなざっくばらんな彼の性格が大好きだった。
彼との電話を切った今、混沌とした心が嘘の様に晴れ晴れしい大空の如く澄み渡っていた。頼さんの言葉に感謝し、想いをかみ締めながらトース宅の電話番号を押した。
これから起こりうる出来事に夢を抱いて…。
第四章 対談 おしまい 第五章 始動に続く
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