BANDやろう是 第一二章 祭りの後
ライブ会場を後にした僕達は、無言のまま帰宅していた。迎えに来てくれた眞由美さんでさえ何も発する事なく…、という事はライブをどこかで眺めていたという事なのか?兎にも角にも沈黙というより静寂に近い状態だと僕は思った。車の音さえも感じさせないほど、僕達の心は深く沈んでいた。
流れる窓の景色は闇だらけで、多分ここは桜三里の辺りなのだろうか。高速道路沿いに規律よく並ぶライトと、遠くに見えるトンネル内の光が見えるだけで、他は闇。闇。已み。ライトの光が余計に漆黒さを際立たせ、薄霧が漂っているようだから尚更である。高速道路はまるで地獄への一方通行ではないかと感覚させるほど薄気味悪く、やけに息苦しかった。
やがて車はトンネルへと入っていき、今度は黄色い視界とコンクリートの壁に包まれたその瞬間、僕はやけに妙な感覚に囚われて、何故だか分からないが思わず目を閉じてしまった。すると、ライブ最中に見たステージからの景色や、表情までは思い出せないがメンバーの演奏する姿。色とりどりのライトが交錯する天井の光と影などが、まるで走馬灯のように流れては消えていった。
僕達のあの熱い想いは、どこを漂い、どこに誘われて、どこへ流されていったのか?妙に静かな、そしてどこか薄い色彩の流れる画像を閲覧していても、やはり答えは見出せなかった。
なんだか混沌とした気持ちが僕に覆い被さろうとしていたので、それを何とか振り払う気持ちで目を見開いた。
車は三列シートのワゴンタイプであり、後部座席の右側にイータダ、そしてトース。二列目の右側に僕が座り、そして大ちゃん。眞由美さんはもちろんの事運転席で、助手席に智さんが乗っていた。
後ろから見える智さんの背中はいつもより小さく見え、やっと震えと呟きは止まったみたいだが、常に項垂れて下を見つめ続けている。大ちゃんは窓に肘をかけて頬杖をした状態で、流れる景色を眺め続けていた。イータダとトースさえこの只ならぬ雰囲気に圧倒されているのか、いつものように謎に騒ごうとはしなかった。どういう体勢で座っているのかは確認していないので分からないのだが…。
黄色い視界から漸く脱出し、ちらほらと左の方角からまばらに光る街の灯火が見え始めた。眞由美さんの運転は安全運転を心がけているのかやけにスローリーで、馬鹿みたいに飛ばす車に何台も抜かれていった。
「皆、聞いてくれないか?」
いきなり智さんがしゃべり始めた。声にはやはり覇気はなく、弱い蛍のようにゆら揺れながら、か細く空間に響いた。
「今日のライブの失態は全部俺の責任だ。すまなかった…。」
智さんは決して後ろを見ようせず、ただただ下を俯いたままだった。
「そして、俺は今日限りでバンドを辞めようと思っている。勝手な意見だと思うが…すまない。」
皆は智さんの方に静かな視線を向けていた。誰からもそれに対しての疑問や問いかけが出てこないのは、皆智さんの気持ちを痛いほど理解しているからだと僕は思った。そしてまた沈黙がその場を支配した。
ふと大ちゃんの方を見てみると、相変わらず窓の外を見つめたままだったが、通り過ぎた車のライトと、まるでコマ送りのように入り込む道路灯の光が、窓に映る大ちゃんの顔を仄かに照らし出している。そこには唇を震わせながら涙を堪えている表情が、浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。それはまるで何者かが悪意を持って編集させたスライドフィルムのように…。
ふと窓越しに目線が合ったような気がしたが、今はただそんな事どうでもよかった。
後部座席を確認すると、二人とも下を俯いたまま微動だにもしなかった。まさか寝てはいないかと疑ってしまったが、どうやらそうではないらしく、たまに鼻を啜る音が聞こえてきた。多分この二人は泣いているのだろうと思った。
僕自身はと言うと、正直この出来事の意味や、智さんの脱退。そしてこの場の雰囲気の緊迫した様子がいまいち理解出来ないでいた。
というよりも、このライブがもたらした現実を粛々と身に受け止めて、次へ進むべきだと冷静に感じていたからだ。
『人生を深刻に考えるには余りにも深刻すぎる』とオスカー・ワイルド氏が残した言葉がある。正しく、この今にある描写が余りにも深刻で、そして愚かだと思った。これはただの過小評価ではなく、寧ろ正論だと自負してもいい。
現実を思い返してみても、僕達ZEALのバンド歴なんて産まれたての赤ん坊に毛が生えたようなもので、そんな僕達があのステージへ辿り着けた事態が驚きなのだと今となれば思う。
応募数は少なかったから僕達が選考されたという事はもはや考えられない。参加メンバーやAMDの実力はかなり高いもので、選りすぐって選考されたという事はそれによって明白化されるのである。
そうなってくると、僕達が選考された事実にいよいよ謎が帯びてくる訳なのである。もしかすると松平や石川の心には少しでも光る何かが残り、ただ単にステージを踏むためのチャンスを与え、飛躍してくれたらと切に思うメッセージだったのかもしれない。もしそうだったのなら、やはり僕達は、ただの身の程も知らない輩達という事になってくる。もしくは、丁度いい素人バンドをステージに…。いや、このような事はいくら考えても今は詮無き事。下衆の勘ぐりはやめておく事にしよう。
そんな中でホワイト・デヴィルという獰猛な怪物を生で体感して、少しだけでも自分達の中で吸収してくれたならとあのお二方が考えたと仮定したなら、今日の出演順位の意味が浮き彫りになってくる。
それが、この自信だけを握り締めた奇跡の素人集団は、自らを省みずに愚かな自信過剰を満々と胸に抱いて参加し、自らの立ち居地と圧倒的な実力を思い知らされた事となった。そこで一致団結の起爆剤となれば美談で終焉を迎えるのだが、何故か意気消沈し、それがバンドすら止めてしまう要因となっただなんて、あのお二方が後に聞けば一体どう思い、どう感じてしまうのか…?
というよりも、多分僕達のステージを見て、さぞやがっかりした事だろうと素直に思って恥ずかしくなってきた。思い上がりも甚だしいとは正にこの事である。
何はともあれ、リーダーの脱退はバンドの解散を意味する。
僕達の夏はまるで不発した花火のように周りを巻き込み、散々期待させといては、一華咲かす事もなく朽ち果てた。そして生涯決して外すことのできない金の十字架を、自ら手に取る羽目になったという、最低最悪な結果になったと言わざるを得ない。
僕はそんな事を考えながら、また流れる景色の方へ視線を向けると、多分あれは海沿いなのだろうか、赤と白の光だけが静かに点滅させては擦れ違い、そして離れていく情景が広大な闇のキャンパスに描かれていた。
確かあれは今治造船工場内に立つクレーンの光で、という事は、ここは西条付近を走っているという事になる。西条インターを過ぎると、新居浜、土居、そして三島川之江インターと続く訳で、ここからだとそこまで三十五分余りの距離だ。既に家路は近いと思った。
智さんの言葉でやっと周りが反応し始めたようだ。
大ちゃんの方からはすすり泣く声が聞こえてきて、後部からは子供のように泣きじゃくる叫び声が、輪唱されている。もしかするとこいつら雰囲気に泣かされているのかとついつい思ってしまうほど、大げさに、大胆不敵に泣き喚いているのである。
そんな周りの雰囲気が僕を余計冷静にさせた。何がそんなに悲しいのかが理解し難く、智さんがこのライブを持ってきた時に叫んだ言葉を思い出すと、寧ろこの笑えない状況がナンセンスと感じざるを得ないのだ。いつもの二人がコラボする茶番劇の方が幾分笑える結果になるのでマシだと思った。
すっかり白けてしまった僕は、なんだか疲労感に苛まれ、シートへと深く背中を預けて腕を組み、抜けるような溜息を漏らした。皆に聞こえようがいまいが、そんな事はどうでもいいと感じるほど、心身ともに疲れ果ててしまっていた。
いきなり智さんが後方へと体を向けた。一瞬聞こえたのではないかと内心焦ってしまったのだが、どうやらそうではないらしい。
表情は曇り、涙に頬が濡れていた。そしてゆっくりと天を仰ぎ、きつく瞳を閉じた。
そこからどんな言葉が飛び出してくるかだなんて僕には分かりきっていた。いちいち芝居がかった行動が寧ろ鬱陶しくさえ思えるほどだ。
肩をまたたび震わせながら、どうとも捉えられるような複雑な表情が、時折過ぎる車のライトに照らされる。
一度大きく息を吸い、そして吐ききると、まるで漫画での描写だと思えるほどの作り笑顔を浮かべて、後方をしっかりと見据えた。そして、台本でも用意されているのかと思うほど、トーンも、言い回しも、口調も、僕が予想していた通りの展開が発せられた。
「…よって、ZEALは…、解散だ…。後は皆それぞれ…誇り高く生きよ…。」
そうとだけ言い放ち、智さんは再び前方へと体を向けると、まるで白い灰になったように項垂れて沈黙した。皆はその言葉をどう捉えているのかは知らないが、僕はただ一言でいうと…暗澹の憎悪。
勝手にこのイベントに皆の相談なしに参加表明し、皆の意見を何の確証もない自信で跳ね除けて、自分勝手に盛り上がり、圧倒的な力を見せつけられて、自分勝手に意気消沈し、ステージも…。
今、自らだけが権利を持つ核爆弾のスイッチを押し、皆の気持ちを踏み躙るだけ踏み躙り、そして全てを破壊した。
そのような事を、冷静に状況を省みずに遣って退けるこの男に、リーダーの資格などない。最早かける言葉など僕にはなく、憎悪を燃やし苛立つ時間がもったいなく、価値もないと僕は感じて小さく一人ごちた。
「あーあ、やってられんな…。」
多分皆の耳には届いてはいないだろう。届いていてもきっと、誰も何も言えないのは分かっていた。なぜなら、皆同じ気持ちだと確信していたからである。実にナンセンス極まる話だからだ。
気がつくと見慣れた煙突の影が現れて、やっと我が街へと返ってきたのだと思った。インターから僕の家は近く、一番早く車で運ばれる事となるだろう。早くこの忌々しい夢から覚めたかったから幸いだと思った。
とりあえず僕の家の位置を眞由美さんに伝え、車はその方向へ向かう。
そして辿り着き、荷物を手に取り車を降りた。
「眞由美さん、お世話になりました。」
少し憂いを帯びた眼差しの眞由美さんから視線を逸らすように、僕は深々と頭を下げた。
「いいのよ…。これからも頑張ってね。たまには家へ遊びに来てちょうだい…。」
長い髪が魅力的な眞由美さん。しかし僕はまともには見られなかった。多分このライブを黙認していて、がっかりさせた気持ちが残念で仕方なかった。
下げた頭も上げぬまま、車は僕の家を遠ざかっていった。トースを除く他の元メンバー達は、多分これから逢う事もないだろうと思った。
家へと視線を向けた。当たり前のように明かりは灯っていない事から、両親は今晩も会社に釘付けなのだと確信した。
ドアを開錠させて家へと入る。すぐにある階段を意味なく静かに上り、またすぐにあるリビングの光を灯した。
熱いシャワーを浴びよう。悪しき夢から、いち早く覚めてしまおう。着ていた衣服を剥ぎ取り、風呂場へと向かった。早くリアルへと戻りたかった。
シャワーを浴びながら様々な事を思い返しては、この言葉がやはり似合う。
実にナンセンスな話であったと…。
第一二章 祭りの後 おしまい 第十三章 再決起に続く
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