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#77 学生時代の恩師との思い出

4歳と0歳のボウズたちを持つ父親です。将来のボウズたちに手紙を書いています。大きくなったら酒の肴にでもしながら笑ってくれたら嬉しいな。

さて。一度寝かしつけをした後に、お父さんとお母さんは今期の予算作りをして(笑、なんだそれは)、寝室にいくと、4歳のキミも0歳のキミも布団を最も効率悪く占領しており、お父さんとお母さんの寝る布団のスペースがない。箱の中に充填率の悪いモノを並べたみたいに、ちょうどよくお父さんの場所がない。お母さんはまだ顔を洗ったりしていて、お父さんが先にこのことに気づき、うまくスペースを捻出したが、どう見てもお母さんのスペースはない。お父さんは早い者勝ちではないが、睡魔に襲われていたので、その捻出したスペースに入り込んで、のび太くんばりにソッコーで爆睡してしまった。お父さんは寝つきが良い。4歳のキミも一緒だよ。お母さんはそうでもないので、いつも羨ましがられる。

寝つきで思い出したので、今日はお父さんの昔話だ。大学生の頃のお話だ。お父さんは文章を書くのは結構好きだけど、バリバリの理系で大学の専攻も化学に近かった(大学時代に一番力を入れたのはサッカーだけど専攻はサッカーではないよ笑)。研究室は化学なのだけどフィールド研究が盛んで、雪の中でテントを張ったり、山の中で何日も調査をしたり、という内容が楽しそうで(安易!)、そういう視点で選んだ。あとは、凄く野生じみてカッコイイ先生(仮名:フィー先生)がいたからだ。

お父さんが初めてフィー先生に「先生の所で学びたいのですが」と話をしに行ったときに、「体力はあるか?あとちゃんと泳げるか?」と聞かれたのを覚えている。全く勉強関係ないじゃん笑と思った。当時はサッカー部で死ぬほど走れる自負があったけど笑、「人並にはイケルと思います」的な返事をした。

フィー先生は「先生」と呼ばれることが嫌いで、学生たちもみんな「フィーさん」と呼んでいた。何で嫌いなのかフィーさんは飲み会の場とかで笑いながら言っていたけど、当時のお父さんにはよくわからなった。

フィーさんに師事する学生は、なぜかみんな男性で(お父さんの後には女性の学生も入ったかな)、それはきっと研究テーマというより、研究生活がまぁまぁ過酷だったからだと思っている。一度野外調査に出ると、ほぼ全て山とか川原とか海岸とかでテント泊だし、トイレはないし、雨・雪・風関係なく、悪天候でも漁師さんが着る雨合羽を着てご飯を焚火で作るし笑。

焚火の起こし方にも極意があった。大きな丸太ふたつ探してきて、平行に並べて風の通り道を作る。その間に乾いた流木とかを並べていく。宿泊サイトに着くと、いつも最初の仕事が流木集めだった。

雨で火がつかないと料理ができない。濡れた枝の表面を削って水分を飛ばす。本当に腹ペコになって、ご飯にがっつくという経験も貴重だった。

雪の上で寝るときはしっかりと足元を踏み固めてテントを張ったり雪洞を作ったりした。ストレートな表現だけど、「とにかく寒い」ので寝袋を頭まで被って寝る。起きたときには寝袋もバリバリに固まっている笑。靴も寝袋の中に入れて凍らないようにするし(でも寝袋の中の足元はどろどろ笑)、お父さんはコンタクトレンズのケースをいつも胸ポケットに入れて体温で凍結を避けていた(メガネにしろよ、という話だ笑)。

フィーさんは「大学で学生たちと一緒に研究するほど面白い職業はない」と言っていた。「数年でこんなに学生たちが変わる姿を目の当たりにできるなんて幸せだ」とも。フィーさんは学生たちに真摯に実直に100%で向き合ってくれた。研究内容のみならず、生き方をその背中で示してくれたお父さんにとっては尊敬すべき恩師だ。

当時、フィーさんは今のお父さんと同じ年齢だ。

野外調査のときは、フィーさんが運転するハイエースでお父さんはよく助手席に座っていた。「いやー今回も色んなことがありましたねー」とか道すがら語り合いながら帰ってくるのが通例だ。話の途中で、お父さんはのび太君ばりにアチラの世界に行ってしまうこともしばしばだった笑。フィーさん、ごめんなさい、と思いながらも疲れ切って遠慮なく爆睡していた。

あるとき、お父さんが助手席で眠りにつくかつかないかでカクンカクンしていると、フィーさんがグスグス言いながら手ぬぐいで目を拭いている。お父さんは遠のく意識を呼び戻して、「どうしたんすかぁ」と運転席のフィーさんを見るとぐっしょり泣いている。。。
曰く、「お前らが出し切って寝そうになっているのを見るとダメだ、、、」とのこと。この時の野外調査は昼も夜も全力の一週間で体はズタボロになりながらも、心は充実感いっぱい。
全力で出し切った感満載な学生の姿を見るのがフィーさんの琴線に触れるみたい。
このときに、フィーさんが言っていた「こんなに面白い仕事はない」の気持ちがわかったような気がした。

お父さんがフィーさんと一緒の3年間で涙を見たのはこの一回だけだ。

昔々のお父さんと恩師のお話だ。幸運にもお父さんは良い先生(先生というと怒られる)に巡り合えた。

最後にフィーさんと会ったのはお父さんとお母さんの結婚式でスピーチをしてもらったときかな。いや、そのあともノーアポで大学の研究室に突撃したことがあったかな。いずれにしても暫く会っていないや。

「研究とは、知的好奇心の肉体的発露である」
フィーさんが当時大学生のお父さんにくれた言葉だ。これは、チェリーガラードの「世界最悪の旅」からの引用をフィーさんが転用した表現。「世界最悪の旅」は世界初の南極点到達に向けてノルウェーのアムンゼン隊と競い、敗れ、極寒の地で全滅する英国のスコット隊の悲劇の探検行をチェリーガラードが綴ったものだ。

当時ハタチ前後の学生のお父さんにとってこの言葉は強烈に胸に残った。もう20年も経つけど、学生時代に灯った火は簡単には消えない。フィーさんが学生時代を共にする面白さを語ったのもこういう所があるのかもしれないな。

今年こそ会いに行って、今、全力で向き合っている挑戦について聞いてもらいたい。「こうやって教え子が酒を持って返ってくるなんて、教員の醍醐味は大学時代だけじゃないんじゃないですかー」と答え合わせのお土産を持っていきたい。

そして。この文章を書いているときに4歳のキミが起きてきて、お父さんの前に座って「足し算を出して」としつこい笑。お父さんは、問題を白い紙に書きながら、キミを足し算の答え合わせをしながら文章を書いている(キミが解いているときにお父さんは書く)。二けたの足し算は簡単と抜かすので三桁と四桁の問題を5問くらい書いて時間を稼いでいる笑。

急に面舵をいっぱい切ってこのお手紙の構成が変わるのは、それが原因だ笑。キミと足し算をしながら文章を書くのは、普段使わない反射神経が問われてそれはそれで良い笑。冒頭でのび太君の「寝つきが良い」の伏線をフィーさんとの思い出で回収する予定だったけど、散らかってしまった。。。笑。

将来お酒を飲みながら、行間に秘めたお父さんのメッセージをキミたちで想像してね。

これから羽ばたくキミへ。5問出しているから、1問ずつ答えずに纏めて5問答えて欲しい笑。


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