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感情と出力と事実と

「感情が出ないですねぇ」
10月頃、とある人に言われた言葉だ。
どうやら、感情が表現されずに、行動や言葉で埋め合わされているらしいのだ。

そもそも、自分の中で感情というものを丁寧に見てこなかったのかもしれない。
「感情を出していく」というテーマを与えられても、自分の中にどんな感情があるのか、感じたとしてもうまく表現できなかった。

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感情は顔に自然と現れる。
でも表情は感情の、明確な出力ではないと思う。
そういう顔をしたという事実はあっても、それ以外に出されたものはない。
その表現を見た人は、感情を推測、もしくは邪推するしかない。

流石に自分も、感情が表情には出ていたと思うが、それだけだと情報量が少ないということなのかもしれない。
それ以降、感情に関する出力の種類を増やしている、つもりである。
(感情を話すことで、「今自分がどう思っているか」や感情を明確に表現する訓練が、その一例である)

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あれは小泉さんが首相だった時だろうか。
当時の外務大臣の田中真紀子氏が、何かの拍子に泣いてしまい、(たしか)その小泉首相に「涙は女の武器だからね」言われたことがあった。

自分は、涙は女の武器ではなくて、人間の感情の最上級の出力だと思っている。
そしてその出力があれば、一つの事実ができる。
その人の感情が揺さぶられて、涙という出力が見られたという事実が。

明確な出力は事実の形成につながっていく。
感情が事実と繋がる一つのプロセスに、出力が大きな役割を果たしていると言える。
逆に、出力が曖昧だと事実も曖昧になる。
「あの人は怒っていたかもしれない」とか「悲しそうな顔をしていた」というのは、事実ではなく(感情の)推測でしかない。

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出力という言葉、文字通りに受け取れば「力を出す」ことである。
力を出すためにはエネルギーが要る。
色々な場面でエネルギーを吸い取られている現代人が作っている社会を、「失感情社会」と表現することがあるのは、あながち間違っていないかもしれない。
感情を「出力」するためのエネルギーが残っていないのだから。

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