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チェ・ゲバラ

こんにちは、だいちです!

今日は「チェ・ゲバラ」について話していきます。

皆さん、チェ・ゲバラは知っていますか?

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聞いた事はあるが、深くまでは知らないという方もいると思うので今日は彼の半生からどんな事をしてきたのかを書いていきます。

ゲバラの半生

ゲバラはアルゼンチン人で両親は公務員という家庭で生まれたので裕福な家庭で育ちました。

大学もアルゼンチンの国立大学に通い、学位を修め医者の免許も持っています。

23歳の頃に知見を広めたいと思いで大学の友人とラテンアメリカを旅します。

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アルゼンチンを出てチリの貧困街に立ち寄った時の事です。

病気持ちのおばあさんに出会い、医者のゲバラはおばあさんを診断しました。

おばあさんはお金も無く、家のソファーで寝たきり状態です。

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おばあさんはラテンアメリカを覆う貧困で診断を受けるお金がありませんでした。

大地主や政治家はお金を持ち、一般市民は過酷な労働を強いられていました。

中流階級の家庭で育ったゲバラの1回目の旅は世の中の情勢から貧困生活で不自由な生活を送っていた人々を目の当たりにしたが、何もできない自分にもどかしさを覚えながら旅を終えます。

ゲバラ2度目の旅

グアテマラ編

ゲバラは25歳で大学を卒業し2回目の旅に出ます。

2回目の旅は1回目の旅で感じた【貧富の差をどのようにしたら無くなるのか】を探す旅でした。

最初に訪れた国はボリビアです。

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当時のボリビアは南米の中で特に貧しい国でした。

しかし、ボリビアではゲバラが目を疑う事件が起きていました。

それは「革命」です。

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民衆が銃を持ち、政治家や権力者に対してクーデターを起こし平等な社会を手に入れる為に戦っている最中でした。

その後にグアテマラの旅に出ます。

グアテマラでは1950年に労働者よりアルペンス政権を発足し画期的な政策。

農地政策を進めていました。

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それまでは国土70%が大地主(人口の2%)が所有していました。

その為、農業の仕事で得た利益は地主が得て農民は貧しいままでした。

農地政策ではこうした不利益を改革する為に、政府が大地主の土地を買い占めて国有化し、再度土地を農民に平等に分け与えました。

しかし、隣の国から打倒しようと隣国のエルサルバドルが軍事攻撃を仕掛けてきました。

それは裏ではアメリカが計画した事件でした。

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当時はアメリカの大企業が中米、カリブ海で土地を所有しビジネスを進めていました。

グアテマラが進める農地政策をされてはアメリカの富裕層が儲けられなくなると考え攻撃を仕掛けてきたのです。

グアテマラの政策や動きを魅力的に思っていたゲバラは銃を取り、アメリカが仕向けた戦いに参入しようと考えます。

しかし、大国アメリカの攻撃にグアテマラは負け、アルペンス政権は崩壊しアルペンスは国外へ逃亡しました。

国外からの旅人にしか過ぎないゲバラは国外へ脱出するしかありませんでした。

メキシコ編

次にゲバラはメキシコに向かいます。

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メキシコでゲバラが出会った人々は革命を首謀する者や亡命者が集まる国でした。

メキシコでは大きな目標も持てず日銭を稼ぐ日々で、そこで後の親友であり戦友のカストロと出会います。

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キューバ政府に反発し革命を志してた人物です。

キューバでは当時サトウキビの輸出が問題になっていました。

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その利益のほとんどがアメリカとキューバの地主が独占していました。

彼らに搾取され貧しい貧困層と富裕層の格差社会が生まれていました。

言論の自由】だけではキューバの貧富の差は無くならないと考えカストロは26歳の時から革命家としてキューバ政府と戦っていました。

しかし、カストロは戦いに破れメキシコに亡命しました。

しかし、キューバの国民にとっては希望の星でした。

カストロからキューバの貧富の差を無くすには銃を手に取り、戦うしか方法はない。と熱く語られゲバラもその熱意に負け、カストロと一緒にキューバの貧富の差を無くすべくキューバに向かいます。

キューバ編


82人の革命軍VS政府軍

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政府軍から待ち伏せされ猛攻撃を受けます。

攻撃を受け生き残った革命軍は12人でした。

その後、12人の革命軍が勝利をおさめます。

2回目のキューバでの戦いでは、革命軍12人VS2万人の政府軍でした。

しかし、戦いの中カストロの考えで「命を救いながら戦いをする」革命軍の姿勢に住民が支援をするようになります。

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ゲバラは医師だったので、戦いながら貧しい地域に診療所を作り、人々を診療し教育を施しました。

すると、革命軍を支援する者と戦いに参加する者が出てきました。

ゲバラ・カストロの革命軍は賛同得た人々と首都ハバナに向かう途中の町、サンタクララで政府軍と戦い激戦の末、革命軍が勝利します。

その後、革命軍の勢いに圧倒され当時のキューバの大統領は国外に亡命しました。

革命軍は首都ハバナに到着し国を掌握しました。

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カストロとゲバラが革命を主導しアメリカの策略とキューバの土地を支配していた富裕層から自由を手に入れキューバ革命は勝利しました。

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その後、1959年にカストロは首相に、ゲバラは工業大臣に就任しました。

新しいキューバではアメリカからの産業・工業からの脱却

農業では農地改革に着手

アメリカが独占していた農地を国有化し、農民に平等に分配しました。

工業を近代化すべく、各地を偵察しました。

追い求めた国へ発展していきます。

カストロとゲバラの別れ

しかし、思い描いていた国作りと生活は長くは続きません。

時代は1960年代、冷戦の時代です。

アメリカを主に資本主義陣営

ソ連を主に社会主義陣営

この根本的な考え方の違いでお互いが冷戦になります。

特にキューバはアメリカと距離が140キロという地理的な問題でこの冷戦に巻き込まれます。

首相のカストロはソビエトに接近。

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そして、キューバは核を保有しました。

これを機に核戦争寸前になり全世界に緊張が走ります。

ゲバラは様々な国際会議に参加します。

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強大な軍事力を経済力で他国から指示を受けるアメリカを猛烈に批判します。

更にゲバラはアメリカに留まらず、アジア・アフリカに貧困を押し付けている欧米列強諸国の批判もします。

以下が実際にゲバラが会議で発言した内容です。

欧米列強諸国の高い生活水準は我々発展途上国の貧困のもと成り立っている。

もし、途上国が惨めになることによって社会主義国家が高い生活水準を保っているとすれば、

それは帝国主義的搾取と共犯者と見られても仕方がない。
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アジア・アフリカからはこの発言によって称賛されるが、それはソビエトも指しており、ソビエト側に付くことによりキューバを守ろうとしているカストロとの思惑が交わらないことから関係性が崩れていきます。

その後のゲバラ

カストロ宛に別れの手紙を作成しゲバラはキューバを旅立ちます。

ゲバラはキューバを後にアフリカ大陸コンゴ民主共和国にいました。

コンゴは戦後、部族間対立、元宗主国のベルギー、アメリカ、中国の介入によって国が貧困に喘いでいました。

ゲバラは部族間の対立を緩和しコンゴを自由な国へとするべくキューバ革命の時のように革命軍の顧問として先導します。

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しかし、キューバ革命の時のようには上手くいきませんでした。

コンゴではゲバラはどれだけ先導に立ち、戦っても現地民と馴染むことはできませんでした。

コンゴ革命軍は働かず、訓練せずまともに戦わない。

そして、現地の住民には食糧提出や労働強制をさせていました。

敵味方が複雑化し考え方が入り乱れるコンゴではゲバラが描く動きは作れず、外国人のよそ者として見られなかったのです。

そしてゲバラは失意の元わずか半年でコンゴから撤退します。


ゲバラの最後


1966年ゲバラはボリビアに向かいます。

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現地の人々と民衆を抑圧する軍事力再政権からの脱却を目指します。

しかし、アメリカから支援を受けたボリビア政府軍の圧倒されゲバラは拘束され射殺されます。


39歳でゲバラはこの世を去りました。

最後に

ゲバラは旅を通して世の中の不平等を知り他人の為に働き世界を変えていった人物でした。

旅人・医者・革命家など様々な側面を持つ彼の半生とバイタリティには感路を受けます。

よりゲバラを知るキッカケの為に映画も紹介しておきます。

ゲバラの青春を描いた映画

ゲバラの生涯を描いた映画

これで「チェ・ゲバラ」について解説を終わります。

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