見出し画像

ぼくは本が売れない。「本を売る」ってなんだろう。

今日、大好きな編集者の方とゆっくりお話しする機会があって、いつもはあまり口に出さないことを言ったので、書いてしまえということで。

ぼくは本を売りません。売れません。

ひんぱんに古書店に出入りしているし、蔵書は多分4、5000冊を超えているだろうし、そもそも蔵書の増加のためにマンションを買ったわけで。本を売るには十分すぎる理由があります。が、売れない。

愛書家であれば、情緒的な理由で「本を手放したくない」という気持ちは理解してもらえるかと思います。ただ、それだけじゃないんです。

本を売ること。倉田百三風に言えば、他者の労作を売ること。本はただのモノではない。文字を踏んではいけませんっていう躾があるけれど、書物を敬意を払うべきものとして捉えると、本を売るという行為は、ビジネスを越えたものだと思うんです。流通の特殊性といった事柄とはいっさい関係なく、本を売るというのは特別な行為であり、ある種の純粋さ、侵しがたい何かを伴った行為であるということ。「ひたむきに売る」とか、「情熱をもって」とか、そういう話ではありません。

BtoCに限って言えば、書店は属人的であるべきだと常々思っていて、賛否両論あるかとは思いますが、このエントリーの大前提には、本は人が介在して売られるべきものだという考えがあります。ただし、無店舗型店舗を否定する考えではなく、実店舗だとか、ECだとか、形態は問うていません。人がいれば、それでいい。(そもそも既存書店や書店員さんにどうのこうの言うエントリーではありませんので、ご理解を。)

貸し借りやリコメンドはよいけれど、「売る」あるいは、それを「生業にする」となると、これはその人の人生をかけて取り組む一大事業だと思うんです。たいそうに聞こえると思います。書店員さんからは大げさすぎると言われるかもしれません。

だれかの労作を売って、その対価を得るということ。無論、その対価には、店舗地代や人件費、卸価、そして利益が含まれているわけですが、無形の役務の価値というのは、数字で表せないものがあるのではないかと思います。これは専門技能や職能全般に言えることではないかと言われそうですが、断じて違います。本を売るという行為は本質的に、その役務に、個人の人格、情緒、経験、価値観、思想などが色濃く反映される、ただし芸術に通じるものはあっても自己表現とは異なるという点で特殊です。

ギャラリストやキュレーターに近いのかもしれませんが、より日常的な消費であり、本にはコモディティ的な側面もあること、さらには購買行動と個人や社会のムードが密接に関係していることなどから、やはり異なりますね。

ちなみに、余計なことですが、「自分はよく知らないジャンルの棚の担当だし」とか、「棚づくりにビジネス以上の意味を見出していないし」とか、「嗜好が反映されるような棚づくりしてたら、もっと毎日楽しいわ」とか、そういったことは表層的な事柄で、本を売るということの本質とは関係がありません。

ある人は、書店の売り場は劇場だと言いました。

本当にそのとおりだと、つよくつよく思います。人の人生が交差する場所。当事者たちは無意識ながらも、人格がきりむすんでいる。劇場とは言い得て妙で、起源をさかのぼれば儀式を行う場であったわけだから、祈りの場所でもあるかもしれません。

人生をかけて書店をしている友人がいます。その友人は、死ぬ間際まで本を売り続けた人を追いかけています。ぼくも本を売るというのは、そういう仕事なのだと思っています。死ぬまで本を売らなければならないとは言いませんが、本を人に売るということは、なかなかに深遠で、一生をかけてもその蘊奥に至るのは難しいのではないかと思うんです。

ぼくは、そんな仕事はとうていできないし、そんな覚悟はそもそもない。人生をかけるなら、売る方ではなく、書をつくる側になる方がよいと決めているから、本は売りません。

本当は売りたいんですよ。事務所を持っていたら、店舗一体型にして、本を売りたい。そして、本を探してたずねてきてくれた見知らぬ人と出会えたなら、どんなに素敵だろう。でも、ぼくの足元には線がはっきりとひかれていて、それを越えることを自分には許していません。

これは書店が限りなく属人的でなければならない、という考えにつながっていくのですが、それはまたの話に。別の視点では、サブスクリプション型のコンテンツ消費論にもつながっていて、それもまた。

これは、現実的な書店のさまざまな業務、書店員さんたちの現場の気持ち、そういういっさいを無視したメタ書店な話です。あらゆる現実的問題を排除した内面的な態度の話です。なので、いささか極論に振れた意見であることは自覚しているので、他者にこういう考えを強要するものでもありません。

そもそもぼくは今の仕事で書店のブランディングをしたこともないし、書店の売り場に立ったこともありません。書店で働く知人たちから話を聞くばかりですから、ある意味では、ただの妄想による行動制限を自分に課しているだけです。鎮守の森の迷信を自分でつくりあげて、森に入らないようにしているだけです。ただの森と言われれば、その人にとってはそうである、というだけ。

売らない、売れないとだらだらと書いているけれど、要はひとつのことが言いたいんです。

ぼくは(著作に敬意をもって)本を売る人たちを人一倍尊敬しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?