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冷たい男 第7話 とある物語(2)

「"とある物語"ですね。それは」
 凛とした佇まいでチーズ先輩は言う。
 その美しい所作と容姿はまるで1枚の絵画のように見える。 
 冬の終わりだと言うのに"香り屋"には夏の匂いが充満していた。
 咽せ返るような樹液の熟した匂い、熱に沸いた海水と砂浜のお菓子のような甘い匂い、そして夏の風景を脳裏に浮かび上がらせるような蝉の大演奏オーケストラ
 清潔で清廉な店主の切り盛りによって店のドアを潜った瞬間から現世から半歩潜って別の世界に抜けたような錯覚を起こさせる店内は別の意味で違う世界となっていた。
 整然と丁寧に商品が並べられた陳列台や古い建物なのに磨かれたように輝く壁には蝉が我先にと場所を取るように埋め尽くし、激しく存在を主張していた。
 店の中央のテーブルに置かれた生花のように色づき、匂い立つ数十種類のドライフラワーの束からはバッタが何匹も顔出して飛び跳ね、蝶が舞い、カナヘビが這っていた。
 その虫達をツーブロックのピンク髪の痩せた男が海色の虫網を使って器用に捕まえ、その足元で茶トラ猫がバッタを掴まれては食している。凛と座るチーズ先輩の隣では子狸が前足を使って器用に冷たい男が発注を掛けた線香を確認している。
「・・・今更だけど何があったんですか?」
 冷たい男の問いに答えたのはチーズ先輩と子狸だった。
「品出しをしてただけなんだ」
 子狸の言葉に冷たい男は、首を傾げる。
 チーズ先輩が気まずそうに小さな肩を窄めて切長の目を反らす。
「お兄さんの会社に下ろしてる線香って清涼感というか気持ちを落ち着かせる効果があるでしょ?」
 冷たい男は、頷く。
「それってね。"夏の部屋"って言うところでおばさんが精製していて保管もそこでしてるんだけど・・・」
 何となく話の筋が読めてきた。
「今日は、おばさんが仕事でいないから私と先生で店番頼まれてお兄さんが来たら線香渡してねと頼まれてたの」
 子狸は、線香の一束一束を丁寧に確認してから箱に詰めていく。
「それで今から取りに行きますっていう電話を貰ってから私が夏の部屋に取りに行こうとしたら先生も一緒に行くって言ったの。私、とても嫌な予感がしたから丁重に断ったんだけど、生徒にやらせる訳にいかないからって・・」
 結局、子狸が折れ、線香を取りに夏の部屋に入った。
 そして・・・。
「何であんなことが起きるんだろう?」
 子狸は、得体の知れないものを見るように主人であり、学校の先生でもあるテーズ先輩を見る。
 チーズ先輩は、赤いと言うか青い表情をして恥ずかしそうに俯く。

 一体、何があったんだろう・・・。

 気にはなったが怖くて聞けない。
「まあ、そんなこんなで夏の部屋にいた虫達が大量に飛び出して今に至る訳なの」
 1番大切な部分を端折って子狸の説明は終わる。
 冷たい男は、チャコールグレーの手袋を嵌めた指先で頬を掻き、必死に虫を追いかけるピンク髪の男、ハンターと茶トラ猫に目をやる。
「で、あいつらは何でここに?」
「おばさんに用事があって来たみたいなんだけど、この現状を見て手伝ってくれてるの」
 ハンターは、壁に止まっている蝉をそっと掴もうとして・・・逃げられ、悔しそうに地団駄を踏む。茶トラ猫は、前足を使ってバッタを捕まえるも飽きたとばかりに疲弊している。
「・・・ハンター失格だな」
「じゃあ、お前も手伝わんかい!」
 ハンターが目を血走らせながら叫ぶ。
「こちとら2時間前に顔出してからずっと捕まえてんねんぞ!蝉が鼓膜に張り付いたんかってくらいずっと声が鳴り響いて気が狂いそうになってんねんぞ!」
 ハンターは、腰に下げた海色の虫籠を冷たい男の前に押し付ける。
 虫籠の中で小さくなった無数の蝉や蝶、蜻蛉が飛んでいるのが見える。
「見てみ!もう百匹以上捕まえてんねんぞ!むしろハンターとしては激優秀やからな!」
「もう・・・一生バッタは食べたくないにゃ・・」
 普段の茶トラ猫からは想像出来ない弱々しい口調で項垂れる。
「だから私が捕まえると・・」
 その途端に1人と2匹が眉根を吊り上げて睨む。
「先生は動かないで!」
「会長、シットダウンや!」
「お願いだからこれ以上の災厄を振りまかないでにゃ!」
 1人と2匹の必死な静止にチーズ先輩は、細い体をさらに細くする。
 どうやら凛と佇んでいたのではなく、全員から動かないように言われていただけらしい。
 冷たい男は、小さく嘆息するとチャコールグレーの手袋を外す。
 その途端に室内の温度が数度下がった感覚に襲われる。
「ハンター、虫籠から蝉を1匹出してくれる」
「何でや?」
「いいから」
 冷たい男は、彼にしか見せない少し強めな口調で言い、続いて茶トラ猫に視線を向ける。
「火車さんもすいませんがバッタでも蝶でも1匹捕まえてもらえますか?」
 その口調は、ハンターに向けたものとまるで違う穏やかなものだ。
 茶トラ猫は、「火車いうにゃ!」と怒りながらももう見るのも嫌になっていたバッタを捕まえ、ハンターは、海色の虫籠から蝉を出した。
「俺が触ったら直ぐに手を離してな」
 そういうと冷たい男は、人差し指を立てて、ハンターの持つ蝉と、茶トラ猫の捕まえたバッタに触れた。
 その瞬間、蝉が短い悲鳴のようなら鳴き声を上げ、バッタが聞いたことのないか細い声を上げる。
 ハンターと茶トラ猫は、同時に手を離す。
 蝉は、弱々しく逃げ、仲間のいる壁に止まる。
 バッタは、そのままドライフラワーの中に消える。

 刹那。

 冷たい男の触った蝉を中心に壁に純白の霜が走り、蝉を巻き込んで凍りついていく。
 ドライフラワーから冷気が巻き起こり、白く染まり、花弁や茎に止まっていた虫達が凍りつき、床に落ちる。
 突然、店内に訪れた氷河期に2人と2匹は口を丸く開ける。
 冷たい男は、チャコールグレーの手袋を嵌める。
 その途端に部屋の気温が数度上がる。
「表面が凍ってるだけだから後で夏の部屋ってとこに戻して上げて。数時間もすれば溶けるから」
 冷たい男は、そういって優しく微笑む。
 ハンターは、凍りついた蝉を虫網のそこ軽く突く。
「これは・・・どう言うこっちゃ?」
「俺が触った虫から発された冷気が回りを冷やしただけだよ。保冷剤みたいなもんさ。一瞬だし、冷気も弱いから長く持たないけど」
「・・・お前、葬儀屋じゃなくて冷凍食品業界か害虫駆除業界に転職か起業したらどうや?稼げるで」
「興味ない」
 短く答え、チーズ先輩に向き直る。
「ところで先輩・・・さっきの話って?」
 あまりにも呆然としていたチーズ先輩が冷たい男の声に意識を戻す。
「さっきの・・・話し?」
「あれですよ。"とある物語"でしたっけ?」
 冷たい男の言葉にチーズ先輩は、「ああっ」と話しの内容を思い出す。
「その・・・葬儀にいた子は茶色の羽根ペンと黒革と金糸の本を持っていたのですよね?」
 冷たい男は、頷く。
「そしてご遺体から黒い水のような文字が出て来て羽根ペンに吸い込まれて本に書き込んでいた?」
 冷たい男は、再び頷く。
「母でないので断定は出来ないのですが、話だけ聞いているとそれは"とある物語"だと思われます」
 子狸は、線香を数える手を止める。
 虫を回収していたハンターと茶トラ猫も手を止める。
「それって何かの本なのですか?」
 自分で言って変だと思う。
 本だったら筆を走らせる意味がない。
 案の定、チーズ先輩は首を横に振る。
「本ではなく手記・・・人生記と呼ぶのが正しいかもしれません」
 教員の卵ならではの説明口調でチーズ先輩は話しだす。
「"とある物語"は、その人の歩んできた人生を文字に変えて記すんです」
 意味が分からず冷たい男は、眉を顰める。
「その少年が去った後、何か変わったことはありませんでしたか?例えば遺族の態度とか・・」
 チーズ先輩の問いに冷たい男は、頷く。
「出棺を終えて火葬して斎場に戻ってくるとあれだけ悲しんでいた遺族達が平然としてました」
 そう平然と。
 悲しみはおろか喜怒哀楽全ての感情を削ぎ落としたように淡々と式の続きをしていた。
 社長の言われるままに合掌し、祈り、住職の言われるままに経を読み上げる。
 そこには一つの感情も上がらず、数合わせに参加させられた行事のように淡々としていた。
 そのあまりの変化に戸惑った冷たい男は、社長にその事を話すと社長も同じように感じたと言う。
 そして言うのだ。

 故人は結局どんな人物だったのだろう、と。

 冷たい男以外の誰もが、社長も遺族も誰もが故人のことを覚えているだけで何も知らないのだ。

 まるで物語の名もない登場人物のように。

「その亡くなった人は"とある物語"に人生を記された。つまり人生をなかったことにされてしまったのですよ」

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