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ジャノメ食堂へようこそ!第5話 私は・・・(1)

 なんて幸せなんだろう……。

 調理台の上で鳥肉を鼻歌混じりに捌きながらアケは、心の奥から湧いてくる温かい気持ちを噛み締めていた。
 日が西へと沈みかけ、青々とした草原の色のトーンが落ちていく。
 いつの間にかジャノメ食堂と呼ばれるようになった青いとんがり屋根の屋敷は夕日に当てられ、橙色に輝き、長い影を伸ばしている。
 食堂の入り口となっている大きな窓の中からマンチェアを纏った金糸の髪の絶世の美女、家精シルキーが椅子に座ってアケの淹れたクロモジ茶を優雅に啜りながら柔らかい笑みを浮かべてこちらを見ている。
 ジャノメ食堂の調理の中核的存在であるアズキは燃え盛る背中に蓋のされた大きな羽釜を乗っけたまま眠そうに目を閉じかけるが、アケに火加減を任されてるので必死に瞼を開ける。
 その姿があまりにも可愛らしくアケは口元を綻ばせる。
 調理台の上には一口大に切られたじゃが芋、人参、くし切りになった玉ねぎ、小麦粉、ガラスの水差しにたっぷりと入った水。そして複数の小皿に乗せられた数種類の色鮮やかな粉が並べられている。
 これで鳥肉を裁き終えれば料理の準備は終わる。
 夕日が落ちれば出かけているウグイスとオモチ、そして黒狼もどこからかやってくる。
 みんなでワイワイ騒ぎながらアケの作ったご飯を食べる。
 それがアケが猫の額にやってきてから一ヶ月変わらず続いている光景。
 日常だ。
 あまりにも穏やかで幸せな日常。
 決して自分に訪れるはずのなかった平和な日常。
 ずっと夢にまで見ていた幸せな日々。
(幸せだ……本当に幸せだ……)
しかし、そんな幸せを噛み締めている時に必ず訪れる記憶。

"お前など娘ではない!"
 怒り狂う父の声。

"化け物!"
 怯え狂う母の顔。

"醜い!"
"あれが人間⁉︎"
"ただの化け物じゃない!"
"あいつがいるから俺たちは……!"
"さっさといなくなれ"
 自分の姿を見て震え、罵る人々の顔。

 そして負の記憶の中に出てくる最後の父の言葉。

"お前はアケではない。ジャノメだ"

 アケは、包丁を鳥肉に叩きつける。
 ガンッという音と共に骨が砕け、肉が落ち、刃が調理台に食い込む。
 アズキが驚いて目を大きく見開き、家精シルキーがカップを持ったまま腰を上げる。
 二人の様子に気付き、アケは「ごめんなさい」と頭を下げる。
「骨が中々切れなくて……」
 アケがそう言って苦笑をすると家精シルキーは、納得して座り直し、アズキは再びウトウトし始める。
 アケは、ふうっと大きく息を吐き、調理台に食い込んだ包丁を抜く。
 鏡のように磨かれた包丁の表面に自分の顔が映る。
 額に赤い蛇の目を携え、両目の部分に白い鱗のような布を巻いた醜い自分の顔が。

 父の声が脳裏に響く。

"罪を償え"
"穢れた魂と身体を拭え"
"黒狼を……殺せ"
"ジャノメ……"

 包丁を握る手が震える。
「違う……私は……ジャノメじゃない……」
 アケは、声を震わせ、唇を噛み締める。
「私は……」

 その時だ。

「ジャーノメ!」
 明るい声と共に両の乳房がぎゅっと握られる。
 黒いものがバンッと音を立てて弾ける。
 そして代わりに湧き上がってきたのは真っ赤な羞恥。
「ひゃあっ!」
 アケは、空に迸るような悲鳴を上げる。
 その声に驚いてか、乳房を握っていた感触が消える。
 アケは、身を翻し、顔を真っ赤にして両手で胸を隠す。
 そこにいたのは緑の髪に緑の双眸、そして緑の大きな両の翼腕を持った少女、ウグイスであった。
「ただいまジャノメ!」
 ウグイスは、明るい声でにっこりと微笑む。
 愛らしい笑み。
 いつもならぽっとするような温かさと若干の嫉妬を感じるが、今日に関しては違う。
 アケは、胸を守るように押さえたまま恨みがましい目でウグイスを睨む。
 しかし、ウグイスに悪びれた様子は見られない。
「いやー全然呼びかけても答えてくれないから、つい!」
 ウグイスは、あははっと笑いながら緑色の髪を掻く。
「つい、じゃありません!」
 アケは、顔を真っ赤にして怒鳴る。
「ごめんごめん!てか、ジャノメってけっこう大きいんだね」
 ウグイスは、艶やかな反物に包まれた自分の両胸に緑の羽毛に包まれた手を当てる。
「半分欲しいくらいだよ」
 羨ましそうに唇を尖らせてウグイスはアケの胸を見る。
 アケは、怒り以上に羞恥が高まりすぎてなにも言えなくなる。
「それよりさ」
 ウグイスは、もう興味を無くしたように話しを変える。
 アケは、ムッと唇を曲げる。
「良いもの手に入れたよ」
 そう言ってウグイスは後ろを振り返る。
 そこでようやくアケはそこに雪だるまのような大きな白兎、オモチが立っていることに気が付いた。
 オモチは、大きな木の根で編まれた籠を両手で抱えている。
「もう、ずっと立ちんぼさせられたままかと思ったよ」
 オモチは、表情を変えないままプリプリと怒ってこちらにやってくる。
 ウグイスが「ごめんっ」とオモチの大きな身体を叩いて謝る。
 本当に悪気はないのだ。
 オモチを待たせたことも、アケの胸を触ったことも。
 アケは、少し腹立ちながらもその天真爛漫さが羨ましく感じ、苦笑いする。
 オモチの籠の中に乗っていたのは大量の真っ赤な苺と固く蓋の閉じられたガラスの瓶だ。
 大量の苺だけでも蛇の目を輝かせるのには充分だったがそのガラス瓶から見える白い液体に驚きを隠せない。
「これは……お乳ですか?」
 アケの言葉にウグイスは、頷く。
「今日、友達の牛鬼アラクネーがお産を終えたね。オモチと二人で見に行ってきたの」
 なるほど。
 だから今日は昼からいなかったのか。
 と、いうか胸を触ってきたのはこの伏線?
「それはおめでとうございます」
 アケは、頭を下げる。
「私が産んだんじゃないけどね」
 そう言った後、ウグイスの顔がしょげる。
「そんな相手もいないし……」
 そう言って落ち込むウグイスをアケは苦笑いして見る。
 オモチがウグイスの言葉をもらって話しを続ける。
「生まれた子どもたち、たくさん飲んでくれるみたいなんだけど、それでも張っちゃうみたいで分けてもらったんだ」
 そう言ってお乳の入った瓶を見る。
「ジャノメなら何かに使えるんじゃないかって」
 オモチは、表情こそ変えないがその赤い目にはアケに対する大きな信頼が浮かんでいた。
 白蛇の国では決して向けられることのなかった穢れのない信頼が。
 それだけでアケの心は温かくなる。
 嬉しくなる。
「それじゃあ明日のおやつにしましょう」
 屋敷の下にある冷所なら一週間は腐らずに保管できるはず。
 オモチの目が輝く。
「苺も使える?美味しそうだからたくさん採ってきたんだ」
「むしろ大歓迎です」
 苺とお乳、この二つが揃えは作るものとしたらアレしかない。
「ところで……」
 ウグイスがアケの後ろの調理台を見る。
「今日のご飯はなに?」
 ウグイスは、眉を顰めて訊く。
 料理文化のない猫の額の住民では材料を見ても何の料理か想像も出来ない。
「今日はカリです」
 カリ?
 案の定、ウグイスとオモチは二人で首を傾げる。
「楽しみにしていてくださいね」
 そう言ってアケは、調理台に向かう。
 その背中でウグイスとオモチがカリとはなんぞやと話し出す。
 その会話だけで面白く、アケは笑みを溢してしまう。
(幸せだなあ)
 本当に幸せだ。
 心から心から思ってしまう。
 しかし、同時に不安になる。

 この幸せは長くは続かないのでは、と。

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